美濃市美濃町

―美濃市美濃町―
みのしみのまち

岐阜県美濃市
重要伝統的建造物群保存地区 1999年選定 約9.3ヘクタール


 美濃町は、江戸時代より美濃和紙問屋の集散地として賑わった商家町である。一番通りと二番通りの二本の道が、四本の横町で結ばれる目の字型の区画には、卯建(うだつ)と呼ばれる防火壁を屋根の脇に立てた、重厚な商家の連なる町並みを見ることができる。




江戸時代に町医者の家として建てられた山田家住宅

 明治時代に入るまで、美濃の地は上有知(こうずち)と呼ばれていた。関が原の戦いで東軍についた飛騨の金森長近(かなもりながちか)は、戦後この上有知の土地を与えられる。長近は飛騨と京都の中間地点として長良川の側にある小倉山の上に小倉山城を築き、城下町を整備した。その城下町が今の美濃町の原型となっている。




美濃和紙を販売する商家

 その後二代藩主金森長光が夭折したことで金森家は途絶え、上有知藩は尾張藩に編入される。尾張藩の統治下では専売制といった規制が無く、商人たちは自由に商売を行うことができた。周辺では質の良い楮(こうぞ)が多く採れたことから、美濃は上質な美濃和紙の生産と販売で繁栄し、特に明治時代から大正時代にかけて最盛期を迎えた。




一階屋根の上に乗る小さな社は火除けの屋根神様だ

 美濃町の商家は切妻屋根の平入中二階建てが多く、二階には漆喰塗り込めの虫籠窓や格子を持つ。できるだけ道に面する必要がある商家町であるため、短冊状の地割りで間口が狭く、奥に長くなっている。そして何より美濃町の商家と言えば、屋根に立つ卯建であろう。卯建の立つ家が19棟現存する美濃町は、最も卯建が多い町である。




緩やかなカーブを描く卯建が美しい小坂家住宅(重要文化財)

 卯建は本来、隣家の火災から自分の家屋を守る防火壁として作られたものである。だが、次第に装飾としての意味合いが強くなり、家督を表す財力の装飾として商家は競うように卯建を建てたという。卯建の建設には相当の資金が必要であったため、そこから「卯建が上がらない」という言葉も誕生した。




豪華な装飾の破風瓦を持つ卯建

 卯建には二階の屋根上にまで高く上がる本卯建と、二階の屋根より低い袖卯建とがあるが、美濃町ではこのうちより重厚感のある本卯建を多く目にすることができる。卯建の屋根には瓦が乗り、その最も手前側は破風瓦や懸魚で装飾されている。この装飾は、新しい時代のものほど豪華なものとなっているという。

2007年12月訪問




【アクセス】

長良川鉄道越美南線「美濃市駅」より徒歩約20分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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