萩市平安古地区

―萩市平安古地区―
はぎしひやこちく

山口県萩市
重要伝統的建造物群保存地区 1976年選定 約4.0ヘクタール


 山口県北部、阿武川(あぶがわ)の三角州に形成された萩市街。それは慶長9年(1604年)より毛利氏によって築かれた、長州藩36万石の城下町である。明治維新直前の文久3年(1863年)に城が山口へ移され、以降は山口が行政の中心となった事から、萩は急激な開発を免れ、結果的に萩の各所には今もなお藩政時代の面影を色濃く残す町並みが数多く残されている。そのうち、かつて武家町の一つである平安古(ひやこ)地区には、当初からの町割や武家屋敷の遺構が良好に現存しており、往時の様相をうかがい知る事ができる。それゆえこの平安古地区は、同じく萩の武家町であった堀内地区など全国6ヶ所の町並みと共に、1976年、初の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




広大な武家屋敷の敷地を囲う土塀

 慶長5年(1600年)の関が原の戦いにおいて、勝利を収めた東軍総大将の徳川家康は、まず始めに西軍に付いた有力大名の改易を行った。西軍総大将を担っていた毛利輝元(もうりてるもと)はその筆頭であり、毛利家の所領安堵を条件に東軍に加担した吉川広正(きっかわひろまさ)の訴えも虚しく、毛利家は中国八ヶ国から周防と長門の二ヶ国に所領を減らされてしまう。広島に居られなくなった輝元は、幕府に移転先の候補を打診すると、萩にすべしとの回答があった。交通の便が悪い山陰地方へ毛利氏を送る目的の、明らかな封じ込め策である。毛利氏は阿武川が作り出した三角州の北西端、日本海に突き出た指月山(しづきやま)の麓に萩城を置き、そうして城下町萩は誕生した。




平安古地区の鍵曲(かいまがり)

 平安古地区は、萩城三の丸(現在の堀内地区)の南に広がる一帯である。萩の城下町が形成された江戸時代初期の頃、萩藩の上級武士はその多くが三の丸に屋敷を構えており、その頃の平安古地区には武家屋敷がほとんど存在していなかった。ところが江戸時代中期頃になると、三の丸が手狭になり、また平安古地区の開墾が進んだ事から、橋本川沿いなどに上級武士、中級武士の屋敷が建てられ、本格的な武家町が形成されたという。その平安古地区のうち、今もなお武家町の風景が良好に残っているのは、玉江橋の東詰に位置する「鍵曲」を中心としたその一角である。鍵曲とは、城下町の防衛の為、わざと道を鍵型に折り曲げて見通しを利きにくくした道路の事だ。




坪井九右衛門旧宅の長屋門と土蔵

 その鍵曲に沿って薄黄色の土塀が折れ曲がり、塀の上に乗る屋根瓦の薄鈍色に夏蜜柑の枝葉や松葉の濃緑が映え、背後にのぞく家屋の壁が光を浴びて白く輝く。この路地において展開される色彩の表現は、驚くほど豊かである。その周囲には、武家屋敷の旧態も状態良く留められており、特に幕末期、家老の村田清風(むらたせいふう)と共に藩政改革に協力した坪井九右衛門(つぼいくえもん)の旧宅には、板張の長屋門や土蔵、主屋などが現存し、当時の武家屋敷の構えを今に伝えている。また、橋本川の対岸からも、武家屋敷の土塀や松の木々などといった風景を望む事ができるなど、そこには堀内地区の武家町には見られない、平安古地区特有の武家町の風景が広がっている。




江戸時代末期に建てられ、大正時代に増築されたという旧田中別邸主屋

 平安古地区重伝建の南側には、旧田中別邸が存在する。長い土塀に囲まれた、広大な敷地を持つその屋敷は、昭和2年(1927年)に第26代内閣総理大臣となった田中義一(たなかぎいち)の別邸であった。そこは江戸時代には、1万6千石を有する毛利筑前の下屋敷が建っており、その後に萩藩士であった小幡高政(おばたたかまさ)の邸宅となった後、大正時代に田中義一の所有となったのだ。現存する主屋は、小幡高政が建てた屋敷をベースにして、後に田中義一が改装したものである。同じく現存する土蔵や門なども、明治時代に建てられたものだ。敷地内にはそれらの建造物の他、橋本川やその背後の面影山を借景とする庭園や、橋本川に通じる舟着き場なども残されている。




旧田中別邸内にある石造りの船着場

 なお、明治時代にこの屋敷に住まった小幡高政は、士族たちに夏蜜柑の栽培を提唱した人物である。新政府の官職を務めていた高政は、明治9年(1876年)に萩へ帰ったところ、武士という職を失い貧困にあえぐ士族たちと、廃屋同然となった武家屋敷を目の当たりにした。そこで高政は夏蜜柑の苗木を士族に分け与え、屋敷の土地を利用して、その栽培を行うよう提言したのだ。この旧田中別邸の敷地は、高政が初めて夏蜜柑の種を蒔き、その栽培を始めた場所でもある。温暖な萩の地は柑橘類の栽培に適しており、夏蜜柑の栽培は瞬く間に広まった。今でもこの平安古地区や、萩城三の丸にあたる堀内地区の武家町では、夏蜜柑の木々が色を沿え、独自の風情を作り出している。

2010年10月訪問




【アクセス】

「萩バスセンター」より萩循環まぁーるバス「東回り」で約25分、「平古内南団地前バス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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