津和野町津和野

―津和野町津和野―
つわのちょうつわの

島根県鹿足郡津和野町
重要伝統的建造物群保存地区 2013年選定 約11.1ヘクタール


 島根県の西端部、山間を流れる津和野川が作り出した狭隘な土地に、「山陰の小京都」と称される津和野の町が存在する。山陽地方と山陰地方を結ぶ交通の要衝に位置する事から、中世の頃より津和野の地には城が置かれ、それに伴う城下町が整備されてきた。江戸時代に入ってからも、津和藩の城下町として発展し、明治維新後においても地の利を活かした商業の町として栄えたという。その津和野の中心部、江戸期の城下町北部にあたる本町の界隈では、元禄年間(1688〜1704年)に描かれた「津和野城下侍屋敷詳細絵図」に見られる町割が良好な状態で受け継がれており、江戸時代末期から昭和初期にかけて建てられた町家が建ち並ぶ町並みの景観を目にする事ができる。




かつての町人地にあたる本町通りの町並み

 津和野が開かれたのは、鎌倉時代の永仁3年(1282年)の事だ。蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は山陰地方の防備強化を図るべく、幕府の御家人である吉見頼行(よしみよりゆき)を津和野の地に置いた。頼行は永仁3年(1295年)から正中元年(1324年)にかけて城山に三本松城を築き、以降、14代に渡り吉見氏が居城した。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで功を上げた坂崎直盛(さかざきなおもり)が吉見氏に代わって入城すると、三本松城を改修して津和野城と改めたものの、元和2年(1616年)の千姫事件により坂崎氏は断絶する。翌年、鹿野藩の亀井政矩(かめいまさのり)が津和野へと移り、そのまま亀井氏の治政のもと、津和野の町は明治維新を迎える事となった。




土塀と水路が続く殿町通りの景観

 重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは、南北約700メートル、東西約160メートルの範囲である。そのうち北側3分の2はかつての町人地にあたる本町であり、南側3分の1は武家地にあたる殿町である。中世の頃、この辺りは三本松城の搦手(裏口)であり、町は無く水田が広がっていたという。江戸時代に入ると城下町が北へと拡張され、それまでの搦手が大手(表口)に改められた。こうして城下町は完成したが、幕末の嘉永6年(1853年)には城下町の大半を焼く大火が起きている。故に、今に残る建物はそれ以降に再建されたものである。本町通りの町家は江戸末期から明治中期のもの、一本裏に入った万町通りや新丁通りには明治後期から昭和初期にかけてのものが多いという。




津和野は東西が狭く、町のすぐ側まで山が迫っている

 津和野の町家は切妻造の平入を基本とし、いずれの家も屋根は赤褐色の独特な色合いを見せる石見特産の石州瓦で葺かれている。本町通りの町家は間口が比較的広く、通りに面して蔵を構える商家も存在する。一方、万町通りや新丁通りの町家は間口が狭く、奥行きも浅い。一階部分の表構えは格子をはめ、入口を大戸とするが、古式の蔀戸(しとみど)を吊る家もある。二階部分もまた格子の家が多いものの、中には虫籠窓のものもある。内部の平面は、玄関からトオリと呼ばれる土間を通し、トオリに沿って一列もしくは二列に部屋を配している。規模の大きな商家では庭園を備える家が多く、西にそびえる城山や東にそびえる青野山を借景として、それぞれ個性ある庭園が作られている。




津和野で唯一現存する武家屋敷、多胡家の表門

 本町の南に位置する殿町には、かつては上級家臣の屋敷が並んでいた。往時は殿町と本町の間に惣門と番所が設けられ、通行人の監視が行われていたという。武家屋敷として現存するのは津和野藩の筆頭家老を担っていた多胡家だけであるが、殿町通りには白漆喰に海鼠壁の土塀が連なり、また津和野町役場の前には大岡家の老門が復元されるなど、武家町の風情を今に伝えている。また殿町通りの両脇には、津和野川の上流から水を引いた水路が通されている。これは城下町の形成に伴い防火の為に作られたもので、その清らかな水の中では鯉が泳ぎ、津和野を代表する風景となっている。その水路はそのまま本町にも通じており、庭園へと水を引き入れている家もある。




殿町の北側にそびえる津和野カトリック教会

 江戸時代後期の天明6年(1786年)、津和野藩8代藩主の亀井矩賢(かめいのりかた)は城下の堀内地区に藩校の養老館を開設した。大火後の安政年間(1854〜1859年)、養老館は殿町へと移され、殿町はその東半分を養老館の敷地によって占められる事となる。養老館では儒学を中心に兵法や武芸などを教えており、津和野出身の森鴎外(もりおうがい)や思想家の西周(にしあまね)もこの学校の出身者だ。明治5年(1872年)に廃校となったものの、剣道教場と槍術教場、書庫が今もなお現存する。また養老館の北側には昭和6年(1931年)にドイツ人のヴェルケーによって建てられたゴシック様式の津和野カトリック教会がそびえ、伝統的な町並みの中、一際目を引く存在になっている。

2010年10月訪問




【アクセス】

JR山口線「津和野駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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