焼津市花沢

―焼津市花沢―
やいづしはなざわ

静岡県焼津市
重要伝統的建造物群保存地区 2014年選定 約19.5ヘクタール


 静岡県中央部、焼津市の平野部と静岡市の平野部の間を遮るようにたたずむ高草山塊。花沢はその中腹、日本坂峠を越えて静岡へと至る峠道の途上に存在する山村集落だ。中世以降、東海道はより北側の宇津ノ谷峠を越えるようになったが、それ以前はこの日本坂峠を越えていた、いわば古代東海道沿いでもある。集落に伝わる「花沢三十三軒」という言葉の通り、わずか三十戸ほどしか家を建てられない狭隘な土地ながら、谷筋を流れる花沢川に沿って、石垣で整地した下見板張りの家屋が連なっている。その家並みは周囲の茶畑や蜜柑畑、山並みなどと相まって、特徴的な山村集落の景観を作り出している事から、2014年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。




花沢集落最深部の外観
切妻屋根の主屋を取り囲むように、附属屋が配されている

 花沢の名が初めて史料に表れるのは永禄13年(1570年)の事。集落の南に位置する花沢城を巡る、武田氏と今川氏の戦いの記録である。また慶長9年(1604年)、天和元年(1681年)の検地帳にも「花沢村」の名は見られ、江戸時代中期以降の「惣人別御改帳」によると明和7年(1770年)には35軒、安永3年(1774年)は28軒、文化13年(1816年)は36軒と、家の数はおおむね33軒前後で安定しているのが分かる。山村ではありながら閉鎖的ではなく、日本坂峠や高草山を越えて宇津ノ谷峠へと至る道を利用して他の集落との交流も活発であった。集落に残る家屋は江戸時代後期から明治時代のものが多く、その後に建てられた家屋も基本的な構造や間取りは江戸時代のものを受け継いでいる。




通りに沿って、階段状の石垣と附属屋が連なる

 花沢集落では、江戸時代には和紙の原料であるコウゾやミツマタ、種から桐油を絞るアブラギリなどを栽培し、生計を立てていた。また平野部に近いことから薪や炭といった燃料の産地としても重要であった。明治時代後半には茶の栽培や養蚕が行われるようになり、昭和に入ると蜜柑の栽培が盛んとなった。特に蜜柑は「黄金のダイヤ」と称され、主要産業として大いに栄えたという。各家の敷地隅や道沿いに蜜柑の貯蔵庫や選別所などといった附属屋が建てられ、また「ニーヤ」「ネーヤ」と呼ばれる季節労働者を雇うようになった事から、附属屋の二階を繋いでその宿泊施設とした。そうして、まるで長屋門のような附属屋が並ぶ、現在の花沢の集落景観が形成されたのだ。




二階部分を繋ぎ、まるで長屋門のような姿を見せる附属屋

 主屋は山を背にして東面して建ち、かつては茅葺寄棟屋根の平屋とするのが基本であった。大正から昭和初期にかけて養蚕が盛んになった際には、陽当たりや通風、スペースを確保する為、中二階建にしたり、切妻の瓦葺に変えるといった改造も行われている。平面は四間取りを基本とし、右側に「ニワ」と呼ばれる土間を通す右勝手である。部屋は表側に「ヒロマ」「デエ」と続き、その裏側に「ナイショ」「ナンド」が配される。附属屋は主屋の前に広がる「オード」と呼ばれる農作業用の庭を囲むように配され、季節労働者の住居であった「ハナレ」「ヘヤ」、農具を保管する「モノオキ」「ナヤ」、茶を揉む「チャベヤ」、養蚕や蜜柑の選別などに使われた「コナシヤ」などがある。




まるで城郭のような、立派な反りを持つ石垣もある

 階段状に連なる石垣は、集落内や近くにある野秋の石切場から切り出した石材を用いて築かれた。積み方は乱積み、並亀甲積み、谷積み、布積みと多種多様である。各家の敷地境界には、「ミゾッチョ」と呼ばれる細い排水溝が設けられており、各家の伝統的な敷地割をそのまま今に示している。また「ミゾッチョ」には、裏の山から出る水を花沢川に逃がす機能を持つものもあった。石垣は花沢川の護岸にも用いられており、川へと降りる「ダンダン」と呼ばれる石段や、水を溜める堰の跡なども残されている。花沢と石の結びつきは強く、集落の入口には「オシャモッツァン」と呼ばれる石壁があり、これは子供の歯痛を鎮めるなど、神の宿る信仰の場である。




集落唯一の寺院である法華寺の本堂

 集落の最奥部には天台宗の仏教寺院、法華寺が鎮座する。永禄13年(1570年)の武田氏侵攻の際に焼失し、現在の本堂は元禄8年(1695年)に再建された。元は茅葺であったが、明治時代に桟瓦葺へと改められている。本堂正面の仁王門は元禄16年(1703年)の建立と伝わり、本堂左手奥に祀られている日枝神社には明治13年(1880年)と昭和16年(1941年)の棟札が残る。なお、法華寺には乳観音の伝説が残されている。母乳の出が悪い母親が門前で祈ったところ、たちまち母乳の出が良くなったといい、その事から法華時は別名「ちちかんのん」とも称され、近隣の母親から信仰を集めていた。また集落の中央には「津島さんの石」という石が残り、島津信仰の場として大事にされている。

2014年05月訪問




【アクセス】

JR東海道本線「焼津駅」より、
焼津市自主運行バス「焼津循環線(さつき)」で約15分「坂本バス停」下車、
坂本より花沢まで徒歩約30分

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。