郡上市郡上八幡北町

―郡上市郡上八幡北町―
ぐじょうしぐじょうはちまんきたまち

岐阜県郡上八幡市
重要伝統的建造物群保存地区 2012年選定 約14.1ヘクタール


 岐阜県の中央部、長良川の源流域に位置する郡上八幡。その歴史は古く、斉衡2年(855年)に美濃十八郡の一つとして武儀郡から分置された記録から始まる。戦国時代には八幡城が築かれ、以降は江戸時代を通じて郡上藩の中心地として栄えたかつての城下町だ。八幡城の西側と南側に広がる城下町のうち、東西に流れる吉田川の北側を北町、南側は南町と称されていた。明治時代に入ってからも、郡上八幡の旧城下町はその骨格が変わる事なく現在に受け継がれ、町全体に昔ながらの町家が数多く残されている。そのうち北町の職人町、鍛冶屋町、大手町、柳町、それと八幡山の山上と山麓に広がる八幡城跡を含む範囲が、2012年、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




北町に残る町家は、様式が統一されているのが特徴だ

 中世の頃、郡上八幡は地頭の東(とう)氏により治められていた。戦国時代の永禄2年(1559年)、遠藤盛数(えんどうもりかず)が東氏を滅ぼして八幡城を築き、続いて長男の遠藤慶隆(えんどうよしたか)が城主となる。しかし慶隆は豊臣秀吉と対立する織田信孝(おだのぶたか)の家臣であった為に加茂郡白川へと左遷され、代わりに稲葉貞通(いなばさだみち)が入城する。その後、関ヶ原で功績を納めた慶隆は郡上八幡への帰還を許され、初代郡上藩主となる。慶隆は盛数が築いた八幡城を改修し、またその後、三代藩主の遠藤常友(えんどうつねとも)も八幡城の改修と共に城下町の大規模な整備にあたっている。そうして、現在に繋がる郡上八幡の城下町は築かれた。




大正の大火をきっかけに町家が並ぶようになった柳町

 北町はその東側に八幡山がそびえ、南側には吉田川が、西側は小駄良(こだら)川、北側は初音谷川が流れている。山と川によって取り囲まれた、いわば天然の要害だ。限られた土地の中、南北に三筋の通りが配され、それぞれ東の通りに沿っては柳町、中央の通りに沿って殿町、西の通りに沿って北から職人町、鍛冶屋町、本町と続く。なお、八幡城に近い柳町と殿町は武家地であり、西側の職人町、鍛冶屋町、本町、それと大手橋から大手門に至る大手町は町人地であった。大正8年(1919年)には北町の全域を焼き尽くす大火が発生。その復興に際して旧武家地が細分化され、柳町にも町家が並ぶようになった。現在の北町に残る町家は、この大火後に建てられたものである。




袖壁の町家が途切れることなく続く、鍛冶屋町の町並み

 郡上八幡の町家は、切妻屋根平入の総二階建てが基本である。壁は真壁造で漆喰を塗り、露出する木部や格子に弁柄を塗るものも多い。大火後に岐阜県によって屋根の不燃化が義務付けられた為、屋根はそのほとんどが鉄板葺き、あるいは桟瓦葺きだ。表構はガラス戸とするものが多いが、蔀(しとみ)の痕跡を残すものもある。軒はセイガイと呼ばれる持ち送りで桁を受け、二階の両端には袖壁が備わっている。土地の傾斜を利用し、床下に「シタヤ」と呼ばれる部屋や、「ムロ」と呼ばれる貯蔵庫を設ける家もある。大火後に一斉に建てられた為、いずれの町家も様式が共通したものが多く、特に職人町と鍛冶屋町では、統一された町家が建ち並ぶ壮観な町並みを目にする事ができる。




大手町には洋風建築も見られる

 郡上八幡は降雨量が比較的多く、周囲には水源となる山や森林も数多い。また東側が石灰質のカルスト地形である為、流水や湧水が豊富なのも特徴である。宗祇水(そうぎすい)を始めとする郡上八幡の湧水は、「清水」や「水屋」と呼ばれる共用の洗い場として整備され、人々の生活に利用されてきた。また江戸時代の頃より水路も整備されており、柳町を流れる「柳町用水」や、殿町を経て町人地を流る「北町用水」は、「寛文年間当八幡絵図」にも描かれている。現在は改修により取水箇所や経路が変更されてはいるものの、セギ板を挿して水を堰き止め、洗い物などをする溝が各家の前に設けられているなど、伝統的な水利用法を今に受け継いでいる。




郡上八幡のシンボルである八幡城天守と桜の丸隅櫓
戦前に建てられた、珍しい木造の模擬天守である

 かつての八幡城は明治維新の廃城令によって廃され、石垣を残して全ての建物が取り壊された。現在、三の丸の跡地には昭和11年(1936年)に建てられた安養寺の壮大な本堂が建つ。またそれより少し上の二の丸跡には、昭和17年(1942年)に移された岸剱(きしつるぎ)神社が鎮座する。八幡山頂上の本丸に建つ天守などの建造物群は、昭和8年(1933年)に木造で再建されたものである。当時はまだ現存していた大垣城の天守(太平洋戦争の大垣空襲にて焼失)を参考にして建てられた。いわゆる模擬天守ではあるものの、戦前にまで遡る近代の大規模木造建築として、また郡上八幡のシンボル的存在として、既に新たな文化財的価値が生まれている。

2014年05月訪問
2019年10月再訪問




【アクセス】

長良川鉄道越美南線「郡上八幡駅」より徒歩約20分。
長良川鉄道越美南線「郡上八幡駅」より郡上八幡コミュニティバス
「まめバス」で約15分、「城下町プラザバス停」下車、すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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