嬉野市塩田津

―嬉野市塩田津―
うれしのししおたつ

佐賀県嬉野市
重要伝統的建造物群保存地区 2005年選定 約12.8ヘクタール


 佐賀県南西部、有明海に注ぐ塩田川の河口からおよそ7キロメートル遡ったところに塩田津は存在する。現在は塩田川の付け替えにより旧塩田川となっているが、かつては川沿いに港が設けられ、物資の荷卸しが行われていた。川に並行して町家が建ち並び、周辺地域における経済の中心地として繁栄した商家町である。またその町筋は小倉から長崎へと至る長崎街道にもあたり、宿場町としての性格もあった。上町、中町、下町から成る通りには、寛政元年(1789年)の大火後に普及した「居蔵家(いぐらや)」と呼ばれる土蔵造の町家が軒を連ね、また川沿いの家では川へ降りる石段や洗い場が設けられているなど、川港の町ならではの特徴的な町並み景観を目にすることができる。




江戸時代の後期から末期にかけての居蔵家を中心に町家が残る

 塩田川の町は少なくとも天正期(1573年〜1592年)の末期には開かれていた。江戸時代の寛永16年(1639年)には佐賀藩の支藩である蓮池藩の領地に組み込まれ、藩西部の行政拠点となる。江戸時代初期に整備された長崎街道は、六角川沿いを南下して塩田宿へと入り、塩田川沿いに西の嬉野宿へと向かう塩田道が本道であったが、塩田川の度々の氾濫により通行不能になることも多く、宝永2年(1705年)には北側の塚崎宿を通って嬉野宿へと至る塚崎道が本道となっている。近代に入り、明治37年(1904年)には武雄から塩田津を経由して鹿島の祐徳稲荷神社へ至る馬車軌道が敷かれ、その際に塩田津の町家は曳き家で位置を下げられ、現在の道幅に拡幅された。




江戸時代後期に建てられた旧下村家住宅
隣はかつての陶石検量所であり、船着場へのスロープが設けられている

 塩田川は潮が満ちると海水が逆流することから、潮の満ち引きを利用して舟が行き交い、塩田津は川港として賑わった。特に重要な商品は磁器の原料となる天草産の陶石である。塩田川沿いに水車が設置され、天草から運ばれてきた陶石を砕いて陶土とし、有田へと運んでいった。そして有田で生産された有田焼は、塩田津から他地域へと搬出されていったのだ。陶石の搬入は戦後になっても続き、昭和39年には船着場にクレーンが設置されたものの、次第に鉄道輸送へと切り替わっていく。また昭和37年、昭和51年には塩田川が氾濫して多大な被害をもたらしたことから、昭和52年の河川改修によって川の付け替えが行われ、塩田津は川港としての歴史に幕を下ろした。




藩主や役人が宿泊する本陣でもあった本應寺(ほんのうじ)

 町の裏手には常在寺山と本應寺山がそびえ、それぞれの麓に常在寺と本應寺が鎮座する。そのうち天正13年(1586年)に創建された本應寺は、藩主や役人が宿泊する本陣の役割もあった。文化10年(1818年)には門前に藩の米蔵である御蔵が三棟建てられ、そのうちの一棟が今もなお現存している。この御蔵が建てられたことにより、本應寺の門前の路地は「御蔵馬場」と呼ばれ、荷揚場は「御蔵浜」と呼ばれていた。御蔵の前に主屋を構える江口家は藩の上納米を取り扱う米商人であり、その名もズバリ「米屋」の屋号を冠していた。米屋五代目の江口平兵衛は、江戸時代後期から幕末にかけて18年間に渡る日記を今に残しており、当時の生活や社会情勢を知る貴重な史料となっている。




塩田津の代表的な居蔵家である西岡家住宅

 町の中程に位置する西岡家住宅は、安政2年(1855年)に建てられた居蔵家である。西岡家は塩田津にて代々石材業を営んできた豪商であり、天保14年(1843年)には本應寺に石畳を寄進している。また廻船問屋としても多大なる財を成し、その主屋の間口は11.8メートルと極めて立派なものだ。屋根は桟瓦葺、切妻造の平入で、正面に千鳥破風を乗せる。玄関は潜り戸のついた吊り大戸とし、軒を支える大きな持ち送りには彫刻も施されている。大黒柱をはじめ良材をふんだんに用いて建てられ質が高く、塩田町を代表する町家として国の重要文化財に指定されている。当時は裏庭が塩田川に面しており、そこに直接舟をつけて物資の搬入を行っていたという。




街角に鎮座する恵比寿像
有明海では鯛が採れないので、フナを抱えている

 塩田津は石材が採れることから石工職人も多く住んでおり、町内には石仏や墓石、石段など、地元の石工が築いた石造物が数多く存在する。本應寺の門に立つ仁王像は寛延2年(1749年)に寄進されたものだ。常在寺に立つ高さ2.4メートルの仁王像は文政8年(1825年)に庄屋から寄進されたもので、筒井幸衛門ら5人の石工によって築かれた。塩田津における寺小屋発祥の寺である立傳寺(りゅうでんじ)には、天正12年(1584年)の創建当時に筒井藤右衛門によって作成された水盤が残されている。また佐賀県では恵比寿信仰が盛んな土地でもあり、塩田津においても家の横や町辻で数多くの恵比寿像を目にすることができる。

2014年10月訪問




【アクセス】

JR長崎本線「肥前鹿島駅」から徒歩約1分、鹿島バスセンターから祐徳バス「嬉野線」で約10分、「嬉野市役所バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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