日向市美々津

―日向市美々津―
ひゅうがしみみつ

宮崎県日向市
重要伝統的建造物群保存地区 1986年選定 約7.2ヘクタール


 宮崎県中央沿岸部に広がる宮崎平野の最北端、日向灘に注ぐ耳川の河口に位置する美々津は、江戸時代末期から大正時代にかけて廻船業で栄えた港町である。瀬戸内や近畿地方の玄関口として大いに賑わい、最盛期には「美々津千軒」と称されるほどの繁栄を見せた。美々津の商人たちは千石船を所有し、耳川の上流域で産出される品々を上方(大坂)方面に出荷し、また帰路は畿内の特産品を美々津へと持ち帰り、上方の文化を日向の地にもたらした。昭和に入ると鉄道をはじめとする陸上交通の発達により廻船業は衰退したが、美々津の町には今もなお往時の町割が良好に残されており、通りに沿って江戸時代末期から明治時代にかけて建てられた町家が軒を連ねている。




御仮屋跡(現日向市役所美々津支所)から見る美々津の町並み

 美々津は古くより開かれた港町である。明時代初期の銭貨である洪武通宝(こうぶつうほう)が江戸時代中期の元文5年(1740年)に出土したとの記録が残っており、室町時代には日明貿易の港として利用されていたことが分かる。江戸時代になると高鍋藩の上方交易港として栄え、耳川の上流から運ばれてきた木材や木炭、椎茸など商品の積み換え港として賑わった。また高鍋藩主の参勤交代における船乗り場としても利用されており、町並みから城の坂(じょんざか)を上ったところに位置する高台には、藩主が船待ちをするための御仮屋が置かれていた。上別府と称されるこの高台は監視台としても機能しており、異国船警護のために幕末に築かれた台場の跡も残るという。




京格子や虫籠窓など、関西風の町家が並ぶ上町の町並み

 美々津の町並みは、耳川沿いの港から平行して南に伸びる「上町」「中町」「下町」の三本の通りによって構成されている。そのうち「上町」は江戸時代の街道筋にあたる通りであり、城の坂の上り口には高札場が設けられていた。上町に残る町家は明治時代に建てられたものを中心とし、九州の商家町に多く見られる外壁を塗り篭めた大壁造の町家のみならず、繊細な京格子や虫籠窓、通り庭風の土間といった、近畿地方の町家の特徴を取り入れているのが特徴だ。間口が広い家は切妻屋根の平入とし、間口の狭い家は切妻屋根もしくは入母屋屋根の妻入としている。旧診療所や旧美々津郵便局といった洋風の意匠を持つものも存在し、華やかな印象の町並みとなっている。




安政2年(1855年)に建てられたかつての廻船問屋「河内屋」
現在は日向市歴史民俗資料館として一般に公開されている

 「中町」は特に古い町家が残る通りである。建立年代が確認できるものでは美々津で最も古い天保4年(1833年)建造の「矢野家住宅」をはじめ、天保11年(1840年)に建てられた「岡部家住宅」、安政2年(1855年)の元廻船問屋「河内屋」など、江戸時代後期から末期にかけて建てられた妻入の大壁町家が密集している。海に最も近い「下町」は度重なる津波によって路地や町家が流失しており、細い路地に比較的規模の小さな住宅が散在する現在の町並みは、明治時代以降に成立したものである。なお、これら三本の通りを貫くように、「ツキヌケ」と呼ばれる小路が通されている。これは、万が一火災が起きた際、延焼を防ぐための火除け地として設けられた路地である。




立派な持ち送り「マツラ」と、折り畳み式の床机「バンコ」

 美々津の町家の平面は、近畿の町家と同様「通り庭」と呼ばれる土間を通し、それに沿って表側から「ミセ」「中の間」「座敷」といった部屋を一列または二列に並べている。そのうち「中の間」は天井を吹き抜けとし、神棚を飾る。「座敷」は中庭に面し、床の間と仏壇を備えている。美々津の町家の特徴としては、他にも軒下の「マツラ」と「バンコ」が挙げられる。「マツラ」は軒を支える持ち送りのことだが、美々津においてマツラはその家の象徴とされ、競うように大きく、立派に飾られている。「バンコ」は折り畳み式の床机である。ポルトガル語でベンチを意味する「banco」に由来し、その名の通り腰掛けとして使われるのみならず、雨の日には跳ね上げておくことで簡易の雨除けになるという。




神武天皇と住吉三神を祀る立磐神社
神武天皇の東征伝説より、美々津は日本海軍発祥の地とされる

 港町として長い歴史を持つ微々津には神武天皇の東征伝説が伝承されている。初代天皇の神武天皇が高千穂から大和へ向かう際に、この美々津から水軍を率いて出航したというものだ。耳川沿いに鎮座する立磐神社は神武天皇と航海を司る住吉三神を祭神とし、その境内には神武天皇が腰を掛けたとされる御腰掛岩が祀られている。神武天皇は旧暦8月1日の昼に出航する予定であったが、急遽風向きが変わったことから早朝の出発に切り上げ、「起きよ、起きよ」と人々を起こして回ったという。その故事より、美々津では毎年八朔(旧暦8月1日)の早朝に、子供たちが短冊をつけた笹竹を振りながら「起きよ、起きよ」と町中の家を回る「起きよ祭り」が行われている。

2014年09月訪問




【アクセス】

JR日豊本線「美々津駅」より徒歩約20分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【関連記事】

鹿島市浜中町八本木宿(重要伝統的建造物群保存地区)
萩市浜崎(重要伝統的建造物群保存地区)