福山市鞆町

―福山市鞆町―
ふくやましともちょう

広島県福山市
重要伝統的建造物群保存地区 2017年選定 約8.6ヘクタール


 広島県東部の備後地方、沼隈(ぬまくま)半島の南東端に位置する鞆(とも)は、古くから海上交通の要衝として栄えた港町である。江戸時代には廻船業のみならず醸造業や製造業も盛んとなり、明治中期以降は陸上交通の発達によって廻船業が衰退したものの、それらの産業や観光業が町の経済を支えていった。現在も鞆には中世の骨格を引き継ぎつつ江戸時代までに成立した地割が残っており、江戸時代中期から昭和初期にかけて築かれた町家が軒を連ねている。また港には波止や常夜燈、雁木(がんぎ)などの伝統的な港湾施設も残ることから、かつて廻船業で栄えた鞆町の中核にあたる東西約490メートル、南北約300メートルの範囲が伝統的建造物群保存地区に選定されている。




鞆城跡(現在の歴史民俗資料館)から鞆の浦を一望する

 瀬戸内海の中央に位置する鞆町は、東西海峡からの満ち潮がぶつかり、引き潮が分かれる干潮の分岐点にあたる。潮に乗って航海を行っていた船舶はここで引き潮を待つ必要があり、古代より「潮待ちの港」として重要な寄港地であった。周囲には大小の島々が散在することから風光明媚な景勝地としても名高く、『万葉集』にも「鞆の浦」の名が複数詠まれている。室町時代後期には毛利氏の支配下となり、天正4年(1576年)には織田信長によって京を追われた足利義昭が毛利輝元を頼って鞆に下向している。慶長5年(1600年)には福島正則によって鞆城が整備されたものの一国一城令によって廃城となり、その後は福山藩によって奉行所や船番所が置かれ、港町としての性格を強めていった。




湊浜には階段状の船着場である「雁木」が残る

 江戸時代の鞆は七つの町に区分されていた。そのうち廻船業の中心であったのが西町、道越町、関町、石井町の四町であり、荷役に従事する仲仕(なかし)たちは東浜、湊浜、西浜の三つの港に分かれて組合を組織していた。寛文12年(1672年)に西廻り航路が整備されると北前船が盛んに行き来するようになり、瀬戸内海における海上交通の重要性はますます高まっていく。一方で航海技術の発達により沿岸を進む「地乗り」から沖合を進む「沖乗り」が主流になると、新たな港が整備されて港間の競争が激しくなっていった。鞆でも大型船の停泊や修理に対応できるよう港の改修が進められ、湊浜には常夜灯や波止、雁木などが、西浜には焚場(たてば)などの港湾設備が整備された。




鞆町の中心部を東西に貫く表通りの町並み

 鞆の町並みは東浜と湊浜を結ぶ路地と、鞆城跡の南麓を東西に通る路地を中軸として形成されており、室町時代には既にこの道筋に町場が形成されていたと考えられている。各家の敷地は短冊形であり、間口は二間と狭く、広いものでも三間以下である。表通りに面して間口いっぱいに主屋を建て、その背後に中庭を挟んで台所や風呂、便所、離れや土蔵などの附属屋を配している。主屋は切妻造の平入で本瓦葺きの二階建てが基本であり、正面には「オダレ」と呼ばれる半間の下屋を設けている。厨子(つし)二階建てと本二階建てが混在するので棟高は不揃いであるが、オダレの高さは揃っており、この下屋庇が連なる光景が鞆の町並みにおける特徴のひとつだ。




敷地を取り囲むように家屋が並ぶ「太田家住宅」(重要文化財)

 有力な商家は隣接地を買い取りながら敷地を拡大しており、主屋を増築しつつ敷地を囲むように離れや土蔵を増やしている。その代表例が湊浜の西側に敷地を構える「太田家住宅」だ。江戸時代に酒造業で栄えた保命酒屋中村家の屋敷を引き継いだもので、ほぼ一区画を占める広大な敷地の南東に主屋を配し、北側と西側に土蔵や窯屋を並べている。江戸時代の商家の構えを良く留めていることから、平成3年(1991年)に国の重要文化財に指定された。また太田家住宅から路地を挟んだ東側には別邸として「朝宗亭(ちょうそうてい)」が築かれている。藩主が鞆に滞在する際に使用された建物であり、本宅と共に鞆の町並みの中核をなす町家として価値が高く、こちらも重要文化財に指定されている。




福山城内の建物を移築した「岡本家長屋門」

 西側の江浦町に位置する岡本家は、福山城の長屋門を店舗として利用している。明治6年(1873年)の廃城令によって民間に払い下げられた福山城内の建物を譲り受けたもので、右側の番所が取り払われるなどの改変はあるものの、福山城の現存建造物として貴重な存在である。また町の東側に位置する道越町の高台に境内を構える福禅寺は、江戸時代に朝鮮通信使の宿泊所として利用されていたことから「朝鮮通信使遺跡」の一部「鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。本堂および客殿の対潮楼(たいちょうろう)は元禄年間(1688〜1704年)の建造で、正徳元年(1711年)には朝鮮通信使の李邦彦が対潮楼から見た鞆の浦の風景を「日東第一形勝(日本一の景色)」と賞賛している。

2007年11月訪問
2020年08月再訪問




【アクセス】

JR山陽本線「福山駅」から鞆鉄道バス「鞆線」で約30分、「鞆の浦」バス停下車すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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【参考文献】

・「月刊文化財」平成30年1月(652号)
福山市鞆町伝統的建造物群保存対策調査報告書について|福山市
福山市鞆町伝統的建造物群保存地区について|福山市
福山市鞆町伝統的建造物群保存地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定されました|福山市