杵築市北台南台

―杵築市北台南台―
きつきしきただいみなみだい

大分県杵築市
重要伝統的建造物群保存地区 2017年選定 約16.1ヘクタール


 大分県の北東部、国東半島の南岸に位置する杵築は、江戸時代に杵築藩の藩庁が置かれていたかつての城下町である。豊予海峡を見渡す台山(だいやま)に築かれた杵築城と、その北麓に広がる藩主御殿を中心に、西側に続く「北台」および「南台」と呼ばれる台地の上に武家町を配し、南台の西側には寺町を、台地間の谷川や崖下などの低地には町人地を置いていた。現在も北台と南台には旧武家町の地割が良好に維持されており、江戸時代末期に築かれた武家屋敷を中心とする伝統建築も多く残ることから、北台と南台の旧武家町、および両武家町を繋ぐ「酢屋の坂」と「塩屋の坂」を含めた東西約600メートル、南北約580メートルの範囲が重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




杵築城の城域から北台へと上がる「勘定場の坂」
この坂の周囲には慶長期の石垣が残されている

 杵築城の歴史は応永元年(1394年)に大友氏の家臣であった木付頼直(きつきよりなお)が内陸の竹ノ尾城から守江湾に面した台山へ本拠を移したことに始まり、16世紀後半にはその北麓に居館が整備された。文禄の役の失態によって文禄2年(1593年)に大友氏が豊後国を改易されると、木付氏は自害して滅亡。慶長5年(1600年)には細川忠興の所領となり、翌年その重臣である松井康之(まついやすゆき)が城代として杵築城へと入った。元和元年(1615年)の一国一城令により杵築城は破却されたものの、杵築藩は政庁を居館へ移して存続する。その後の正保2年(1645年)には松平英親(まつだいらひでちか)が杵築藩へと入り、以降は幕末まで能見(のみ)松平家が代々藩主を務めた。




北台と南台の武家町を繋ぐ「酢屋の坂」(奥)および「塩屋の坂」(手前)

 杵築の城下町は慶長期のものを原型としつつ、能見松平家の時代に完成された。険しい切岸によって囲まれた北台と南台を曲輪に見立て、昇降用の坂道を計画的に通し、要所に番所を置くことで、城下への出入口を台山南麓の舟入と丘陵西部の松尾口に限定して城下町全体を要害に仕立て上げたのだ。明治維新を経て現代に至るまで、谷川の旧町人地は道路の拡張により家屋の更新や除去が進んだものの、旧武家町は住宅地として地割が維持され、現在も良好な状態を保っている。台地上に武家町が広がるという特性上、坂道が多いのが特徴であるが、それらは馬や籠の通行を考慮して道幅が広く、勾配も緩やかかつ石畳や石段で整備されており、他に類を見ない城下町の景観を作り出している。




土塀が連続する北台の家老丁筋に残る学習館の「藩主御成門」

 北台と南台は「酢屋の坂」および「塩屋の坂」を介する南北の路地によって接続されている。そのうち南台ではこの通りの東側に、北台ではこの通りと交差する東西の路地に沿って350石以上の重臣屋敷が並んでおり、その一帯は「家老丁(かろうちょう)」と呼ばれている。北台の家老丁筋は「勘定場の坂」を介して東の城域へ続いており、家老を務めていた大原家など大身の屋敷が建ち並ぶほか、北側には天明8年(1788年)に藩校の「学習館」が創設された。また南台では、家老丁筋の中央部から能見松平家の菩提寺である養徳寺に向かって本丁筋が西へと伸びている。本丁筋の北側には裏丁筋が通され、南北に通る小路が二本の路地を接続し、これらの通りに面して藩士の屋敷が構えられていた。




南台を東西に通る本丁筋
古い武家屋敷は少ないが、地割が良好に維持されている

 北台では享保10年(1725年)と寛政12年(1800年)に、南台では宝暦13年(1763年)と嘉永7年(1854年)に大火が発生しており、いずれも地割を維持したまま再建されたものの、故に現存する武家屋敷はすべて江戸時代末期以降のものである。また近代に建て直された主屋や、近隣地から南台の高台に移築された近代和風建築「一松邸」なども含まれる。屋敷地は正方形に近い矩形の敷地割を基本とし、台地の斜面に石垣を築いて平坦な土地を造成している。敷地の周囲には土塀や生垣を巡らし、通りに面して長屋門や薬医門など格式の感じられる門を構えている。主屋は通りから5間ほど奥まった位置に建ち、門との間にはソテツやマツなどを植えて、通りから視線を通さない目隠しとする。




家老にふさわしい立派な式台を持つ大原家住宅
式台の屋根はその家の格式を表している

 主屋は平屋であり、屋根は茅葺の寄棟造で周囲に桟瓦葺の下屋を廻らすのが基本であるが、現在は茅葺を桟瓦葺に改めたものや、建造当初から桟瓦葺とするものが多い。敷地の背面には座敷に面して庭園を築き、離れや土蔵、井戸屋形、祠などの附属屋を配している。主屋の出入口は通る人の身分に合わせ、式台付き玄関、内玄関、土間入口の3つを設けている。平面は内玄関、式台付き玄関、次の間、座敷を一直線に並べるか、あるいは座敷を矩折に配して接客空間を作り出し、玄関の背後を居間や仏間、台所などの居住空間とする。式台付き玄関の正面は壁いっぱいに床を設けるが、違い棚などを設える例は少ない。座敷も欄間はあまり使わず、長押も一部にしか用いないなど質素に仕上げている。

2021年10月訪問




【アクセス】

・JR日豊本線「杵築駅」から大分交通「杵築バスターミナル行き」、もしくは「国東行き」で約10分、「杵築バスターミナル」下車、徒歩約10分。
・JR日豊本線「大分駅」から大分交通「国東行き」で約1時間20分、「杵築バスターミナル」下車、徒歩約10分。
・大分空港から大分交通「大分駅行き」で約30分、「杵築バスターミナル」下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。
・大原家住宅など一部有料施設あり。拝観料は一般300円、小中学生150円。拝観時間は10〜17時(入館は16時30分まで)

【参考文献】

・「月刊文化財」平成30年1月(652号)
杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区|杵築市
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