遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落

―遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落―
とおの あらかわこうげんぼくじょう つちぶちやまぐちしゅうらく

岩手県遠野市
重要文化的景観 2008年選定


 民俗学者である柳田國男(やなぎたくにお)が明治43年(1910年)に発表した『遠野物語』は、河童や天狗、座敷童といった妖怪などの怪談を通じて遠野の人々が営んでいた生活や生業の実態を描き、遠野における自然・信仰・風習を示す、日本民俗学の嚆矢というべき著書である。その遠野物語にまつわる景観地のうち、古くより遠野で営まれてきた馬産の代表地である「荒川高原牧場」、荒川高原の入口に鎮座する「荒川駒形神社」、および柳田國男に遠野物語の題材になる説話を語った佐々木喜善(ささききぜん)の生家があり、遠野物語の中心的な舞台でもある「土淵山口集落」の三箇所、計1688ヘクタールの範囲が国の重要文化的景観に選定されている。




遠野の里の北、早池峰山麓に広がる「荒川高原牧場」

 遠野を含めた上閉伊(かみへい)地方における馬産の歴史は極めて古く、平安時代以前より土着の蝦夷(えみし)が馬を育てていたという。延暦20年(801年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が陸奥国を制圧し、大和朝廷の統治下に入ると本格的な馬産が始まった。建久元年(1190年)に遠野の地頭となった阿曽沼(あそぬま)氏が広大な山林や原野を利用した放牧を始め、南部藩に組み込まれた江戸時代においても南部氏により馬産が奨励された。明治時代に入ると洋種馬が導入され、国策として馬の増産・改良が行われるようになる。太平洋戦争が終結するまで軍馬の生産が続けられ、戦後は農機具の機械化により一時衰退するものの、現在は乗用馬の生産が続けられている。




荒川高原の麓に鎮座する、馬産の守護神「荒川駒形神社」

 早池峰山の南麓に広がる荒川高原においては、中世に採草地としての利用が始まり、近世に馬や牛を育てる牧場として発展した。主に大型の軍馬を生産していたが、江戸時代後期になると物資の輸送に適した小型馬の生産が中心になったという。遠野における馬産の特徴は、夏季に家畜を山へ放牧し、冬季には里に下して飼育する「夏山冬里方式」にある。冬は非常に冷え込む寒冷地のため、遠野地方の家屋は母屋に馬屋を取り込んだ、L字型の平面を持つ「南部曲り家」が発達した。荒川高原への入口に鎮座する荒川駒形神社は、阿曽沼氏の家臣であった佐々木氏が馬産の神を祀ったことに始まる。馬の守護神として遠野の人々の崇敬を集め、夏季に牧場への放牧を行う起点にもなったという。




「土淵山口集落」を流れる水路と水車小屋

 遠野中心部から約8キロメートル東に位置する土淵山口集落は、三陸沿岸へと通じる「大槌街道」沿い、および笛吹峠へと至る「山口の街道」沿いに形成された農村集落である。二本の谷筋に沿って棚田が連なり、集落の中ほどには柳田國男に遠野の伝承を語った佐々木喜善の生家がある。さらに奥まったところには、かつて集落に複数あったという水車小屋が現存しており、大鳥居が立つ薬師堂や集落の各所にたたずむ石碑など、遠野における昔ながらの農村景観が良好に残されている。遠野物語にはこの集落を題材にした説話も数多く、かつては豪農であったものの、座敷童が出ていったことで茸の毒にあたり娘一人を残して全滅したと伝わる孫左衛門の屋敷跡や墓を、畑の中に見ることができる。




姥捨ての地と伝わる「デンデラ野」

 集落西側の高台に位置する「デンデラ野」は、60歳になった老人を捨てる、姥捨ての地として遠野物語に登場する。デンデラ野に捨てられた老人たちは、里の農作業を手伝うことによってわずかな食料を得て命を繋ぎ、寿命が尽きるのを待ちながら静かに暮らしていたという。また集落東側の山に位置する「ダンノハナ」は、囚人の処刑場として語り継がれてきた場所である。死者への回向の地ともいわれており、集落の共同墓地として利用されてきた。このダンノハナには佐々木喜善の墓所も存在するが、これは病弱だった佐々木喜善が昭和8年(1933年)に46歳の若さで死去してから20年後の昭和28年(1953年)、柳田國男が遠野物語の印税を用いて築いたものである。




遠野伝承園に展示されている御蚕神(オシラ)堂
色とりどりの服を着せた馬と女性の人形がずらりと並ぶ

 佐々木喜善の祖母の姉にあたる大洞ひではまじないに通じる人物で、喜善にオシラサマの伝説を語っている。その内容は次のようなものだ。あるところに貧しい百姓がいた。妻はいなかったが美しい娘を持ち、一匹の馬を飼っていた。この娘がなんと飼い馬を愛してしまい、夜になると馬屋で寝るようになった。ついには馬と夫婦になったといい、激怒した父親は馬を桑の木に吊り下げて殺してしまう。馬の首に縋りついて泣く娘を前に父親はさらに怒り、斧で馬の首を刎ねた。すると娘は馬の首に乗ったまま天に昇り、オシラサマになったという。遠野においてオシラサマは養蚕の神、目の神、家の守り神とされ、桑の木で刻んだ馬と女性の人形をご神体として家内に祀っているという。

2015年10月訪問




【アクセス】

<荒川高原牧場>
公共交通なし。
遠野市中心部より車で約1時間。

<荒川駒形神社>
JR釜石線「遠野駅」より早池峰バス「附馬牛線」で約30分、「上柳バス停」下車(本数が少ないので要確認)、徒歩約30分。
遠野市中心部より車で約20分。

<土淵山口集落>
JR釜石線「遠野駅」より早池峰バス「土淵線」で約35分、「山口バス停」下車すぐ(本数が少ないので要確認)。
遠野市中心部よりレンタサイクルで約1時間。
遠野市中心部より車で約10分。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。