小鹿田焼の里

―小鹿田焼の里―
おんたやきのさと
重要文化的景観 2008年選定

大分県日田市


 大分県の北西端、福岡県との県境に位置する小鹿田(おんた)の皿山集落は、「小鹿田焼」と呼ばれる陶器の生産地として知られている。大浦川が流れる狭隘な谷間に沿って、家屋や登り窯が密集し合い、陶土を砕く唐臼(からうす)の音が山並みに響いている。一子相伝の家業である小鹿田焼は、素朴ながらも開窯当時からの伝統的な技法がよく残されており、平成7年(1995年)には国の重要無形文化財に指定された。また皿山地区の上流に位置する池ノ鶴地区には、険しい斜面に石垣を積んで築いた棚田が広がっており、伝統的な山村風景が今に残されている。皿山地区、池ノ鶴地区のいずれも土、水、木といった地域の自然を利用した伝統的な生活が今も営まれており、この二つの地区を核とした周辺の山林を含む224.7ヘクタールが重要文化的景観に選定された。




主屋の前庭「ツボ」では作品の天日乾燥が行われる

 16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって朝鮮半島に渡った筑前福岡藩主の黒田長政(くろだながまさ)は、朝鮮から「八山」という名の陶工を連れて帰った。八山は直方の高取山に高取焼を開窯し、また八山の孫である八郎は小石原(こいしわら)に移り住んで小石原焼の窯を開いた。江戸時代中期の宝永2年(1705年)、天領(幕府の直轄地)であった日田の代官は、領内の生活雑器を賄うべく小石原焼の陶工「柳瀬三右衛門(やなせさんえもん)」を招き、日田郡大鶴村の「黒木十兵衛」による出資、および小鹿田のセンドウ(指導役)であった「坂本家」の土地提供のもと、登り窯が築かれた。以降、小鹿田の皿山集落では甕や鉢、壺といった日用雑器が焼成されるようになる。




水の力を利用し、シシオドシの仕組みで陶土を砕く唐臼
皿山には唐臼を作成・修理する大工も住んでいる

 小鹿田焼は皿山地区で採れる原土(もとつち)のみを原料とする。唐臼を使って原土を砕き、20日〜30日かけて粒子状にする。さらには「土こし船」に移して水を加え、泥水を何度もふるいにかけて濾し、「オロ」と呼ばれる濾過槽で水を抜く。最後には天日干し、もしくは土掛け窯を使って乾燥させ、ようやく陶土が完成する。陶器の成形には足で回す蹴轆轤(けろくろ)を使い、大きなものは「紐づくり」、小さなものは「玉づくり」や「引きづくり」と作品によって手法を使い分ける。装飾は化粧土を鉋で削る「飛び鉋(かんな)」、化粧土に刷毛を当てて花びらのような模様を描く「打ち刷毛目」、指先で模様を描く「指描き」、櫛を使う「櫛描き」などの技法を使い、独特の味わいを生み出している。




登り窯に捧げられた小鹿田焼の徳利

 現在、皿山の集落には14戸の家があり、そのうち10戸が窯業を営んでいる。窯元の内訳は坂本姓が4戸、黒木姓が3戸、柳瀬姓が2戸、黒木家からの分家である小袋姓が1戸と、小鹿田焼の礎を築いた三家の子孫たちが窯を守り続けてきた。これはすべての作業を家族のみで行い、弟子を取らず、職人を雇わず、一子相伝で窯を受け継いできたしきたりによるものである。また「小鹿田焼」の名は窯元共有のブランドであり、展覧会等においても個人の名を入れることはないという。相互扶助の精神も生き続けており、万が一ある家に問題が生じた時には、周りの窯元が補い合うのが慣習だという。いわば里のすべての家が家族同然、小鹿田焼で結ばれた極めて強い共同体意識が感じられる。




窯元の主屋はL字型の鉤屋(かぎや)造だ
手前に設けられているのは、陶土を作るための「オロ」と「土こし船」だ

 それぞれの窯元では、陶器の天日乾燥などを行う広々とした前庭「ツボ」を持ち、その敷地を取り囲むように、住居と作業場をL字型に配した「鉤屋」と呼ばれる主屋を建てている。かつては自給自足のために農業も行っており、窯業は農閑期に行う半農半陶の生活であったが、現在はすべての窯元が専業化している。また集落内には水路を巡らして川水を引き込み、陶石を砕く唐臼の動力としている。登り窯は全部で6基が現存しており、そのうち集落の中央に位置する1基は共同窯として近隣5軒の窯元によって共同使用されている。窯入れは各窯元ごとに年5、6回行われ、一度火を入れると約55時間、昼夜休まず三日かけて焚き続ける過酷な作業である。




池ノ鶴地区の棚田
美しく処理された天端石に、石工の技術を見ることができる

 一方、上流に位置する池ノ鶴地区は、3戸の家が農業を営む小集落だ。狭隘な谷間に広がる大小約40枚の棚田は、明治時代中期に「中国土持(ちゅうごくどもち)」と呼ばれる石工集団によって築かれたと伝わっている。利水は沢水を引いているが、冷たすぎるため稲に直接水が当たらないよう「テヨケ」と呼ばれる緩衝が設けられている。また石垣の下部から流出する冷たい湧水が水田に入らないよう、石垣に沿って「ヨケ」と呼ばれる排水溝を設けているのも特徴的だ。土地が狭いため、主屋は「直屋(すごや)」と呼ばれる横長の平面とし、前面に作業スペースとして「ツボ」を確保している。また各家には炭焼き窯が備わっており、冬季の暖房燃料として木炭を生産し、自家消費している。

2014年09月訪問




【アクセス】

JR久大本線「日田駅」より日田バス小鹿田線「皿山行き」で約50分、終点「皿山バス停」下車すぐ(一日三本、要時刻表確認)。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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