宇和海狩浜の段畑と農漁村景観

―宇和海狩浜の段畑と農漁村景観―
うわかいかりはまのだんばたとのうぎょそんけいかん

愛媛県西予市
重要文化的景観 2019年選定


 愛媛県の南部中央に位置する西予市。その南西部の宇和海に面したリアス式海岸に沿って、東西約14キロメートルに渡り明浜町(あけはまちょう)が続いている。海岸から急峻な山々が聳える険しい地形ながら、比較的波風が穏やかな入江に計6地区の集落が築かれており、豊かな宇和海による漁業と、傾斜地を利用した農業を生業とする半農半漁の生活が営まれてきた。そのような明浜町の中でも特に狩浜地区には石垣で何段にも築かれた壮大な段畑を目にすることができ、宇和海のリアス式海岸における斜面地農業の展開を伝える事例として貴重な存在であることから、集落とその周囲に広がる段畑や里山を含む狩浜地区の全域と周辺海域の804.2ヘクタールが国の重要文化的景観に選定されている。




波の穏やかな入江に位置する狩浜地区

 狩浜地区からは縄文時代の石斧が出土しており、先史時代からの人の営みが確認できる。文献上では室町時代の文明11年(1479年)に書写された『八幡愚童記』に「狩濱浦」とあるのが初出だ。江戸時代の狩浜は吉田藩領となり、捕った鰯を干鰯や塩鰯にして売る漁村であった。農業は川沿いに棚田を拓いて米や麦、豆類や雑穀等を作る程度であったが、18世紀前期に痩せた土地でも育つ甘藷(サツマイモ)が導入され、また藩により木蝋の原料となる櫨(ハゼ)の栽培が推奨されると山の中腹にまで畑地が広がり、山林との境に櫨が植えられるようになる。明治中期に鰯が不漁となったことで梨や柑橘類の栽培が増え、また養蚕の隆盛により畑地を拡張して蚕の餌となる桑が植えられるようになった。




集落背後の斜面一帯に石垣で築かれた段畑がそそり立つ

 昭和に入ると養蚕が衰退し、第二次世界大戦で食糧増産の必要性に迫られたことから再び甘藷や麦が栽培されるようになった。戦後は柑橘類の栽培が増え、昭和40年代以降はその専業化が進んでいく。漁業は昭和30年代の鰯の不漁を機に魚や真珠の養殖、しらす漁へと転向し、そうして今に見られる柑橘樹の段畑と入江に養殖筏が浮かぶ集落景観が形作られていった。狩浜地区は標高400メートル程の山地から続く3本の枝尾根が作る谷間の扇状地に位置しており、中央の尾根の先端に鎮座する春日神社を境に南の本浦と北の枝浦の2集落から構成される。東端の尾根から続くかつら島は藩政期より魚付林として保護がなされ、また西端の岬に位置するお伊勢山は魚見の場として利用されていた。




春日神社へ上がる参道から北側の枝浦集落を見る

 各集落は地形に合わせて道が敷かれており、屋敷地は不正型な方形となっている。敷地の北寄りに主屋を南面して建て、その前面に広がる前庭を作業場とし、周囲に附属屋を配すのが一般的だ。主屋は平屋もしくは二階建てが大半であり、特に二階を蚕室としたものは「オリヤヨウザン(養蚕)」と呼ばれ、通気のための気抜き屋根を残す家もある。附属屋は隠居屋や蔵、納屋などの暮らしを伝えるものの他、櫨蔵や機(はた)屋、養蚕小屋、蜜柑倉庫など、生業の変遷を伝えるものも多く現存しており、個性豊かな家並みを見せている。また戦後に水道が敷かれるまでは井戸水を飲用水に、川や海の水を生活用水として使用していたため、今でも各所に井戸や洗い場に下りる石段が残っている。




石垣は露頭する石灰岩をはじめチャートや砂岩など身近な石材で築かれている

 狩浜地区の段畑は標高200メートル前後まで約130ヘクタールに渡って築かれており、100段を超す斜面も存在する。明治9年(1876年)の『段別畝順牒(だんべつせじゅんちょう)伊予国宇和郡狩濱浦』などの史料から、明治前期までは川沿いに石垣の棚田が築かれていたものの、畑地は簡易的な石積みや甘藷の蔓で土羽を留める程度であったことが分かっている。現在の段畑は桑畑を増やすために造成されたもので、奥行き3メートル前後、高さは1メートル前後でそれより高いものは反りを持たせている。石材は所々に露頭する石灰岩を切り出したものや、開拓時に掘りだしたものなど身近で採れる石材を用い、石積みの名人を雇ったり、家族で積むなどして農閑期に築いたとされる。




段畑の中を通る石段の通路

 水路の脇や段畑内には移動のための通路や階段が設けられている。集落から畑へと向かう共通路は「カッテミチ」、個人の畑にあるものは「コミチ」と呼ばれ、カッテミチの中には山を越えて他の集落へと続く道も存在する。現在は農業用モノレールが敷設されているが、かつてはこの急傾斜の階段を歩いて作物の運搬を行なっていた。また段畑より上部の里山にはかつてアカマツ林が広がっており、山頂部は草山が、川沿いに棚田が存在していたという。松材は漁火の松明や煮炊きの燃料として、萱や竹は芋や魚を干す簾台や笊の材料として使われていた。戦後のエネルギー革命により里山の利用が減ったことで現在は雑木林となっているが、水源涵養林として機能しており段畑を守る役目を担っている。

2020年10月訪問




【アクセス】

宇和島駅から宇和島バス吉田支線「田之浜」行きで約60分、「狩浜」バス停下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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【参考文献】

・月刊文化財 平成31年2月(665号)
西予市明浜町狩浜地区景観計画|西予市