瀬戸内海姫島の海村景観

―瀬戸内海姫島の海村景観―
せとないかいひめしまのかいそんけいかん

大分県東国東郡姫島村
重要文化的景観 2021年選定


 大分県の北東部、国東半島の北側に浮かぶ姫島は、東西約7キロメートル、南北約3キロメートル規模の細長い島である。瀬戸内海には珍しい火山群体から成るその姿は海上の目標物とされ、また周防灘と伊予灘の境に位置することから複雑な海流によりプランクトンが多く、周辺海域は豊かな漁場となっている。故に姫島の人々は古くより近海漁業を生業の中心とし、また近世から近代にかけては製塩業が発達した。現在も島内の各所には時代に応じた産業や生活習慣、伝承に関する建造物や自然物が残されており、島と海の資源を最大限に活用しつつ、一島一村として自立的に生活を営んできた海村の歴史を今に伝えることから、姫島の全域およびその周辺海域が重要文化的景観に選定された。




姫島産の特徴である白みがかった黒曜石が露出する観音崎
「姫島の黒曜石産地」として国の天然記念物に指定されている

 姫島は約30万年前以降の火山活動によって形成された4つの小島が、砂州によって接続された島である。島内には産地が極めて限定される黒曜石の露頭が存在しており、縄文時代を中心に姫島産の黒曜石は西日本の各地に流通していた。日本最古の歴史書『古事記』によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)による国生みの際に、大島(周防大島、屋代島)の次に女嶋(ひめしま)を生んだとあり、姫島はこの女嶋に比定されている。また『日本書紀』によると垂仁天皇の代に、朝鮮半島南部の意富加羅国(おほからのくに)から逃れてきた姫が姫島にたどり着いて「比売語曽神(ひめこそのかみ)」になったとあり、島内にはこの女神を祀る比売語曽社が鎮座する。




こんこんと炭酸水素塩泉が湧き出る「拍子水」

 また島内には「比売語曽神」にまつわる様々な伝説が残されている。比売語曽社の側には「拍子水」が湧いているが、これはおはぐろを付けた姫が口をすすごうとした際に水がなく、手拍子を打ったところ湧き出したという。他にも姫がおはぐろを付ける際に猪口と筆を置いたという「かねつけ石」、おはぐろに使った柳の楊枝を逆さまに挿したところ芽を出したという「逆柳(さかさやなぎ)」、姫が島民のため大蛇が棲む池を埋めて水田にしたところ、誤って大蛇ごと埋めてしまい、その怒りで田が揺れる「浮田」、海蝕洞の中に阿弥陀三尊に似た形の牡蠣があるという「阿弥陀牡蠣」、大時化の時でも海中に沈まない「浮洲」、観音崎にある「千人堂」と共に『姫島七不思議』として語り継がれている。




島南岸に伸びる砂州の中央部に鎮座する「大帯(おおたらし)八幡社」

 中世の姫島は宇佐八幡宮の神宮寺である弥勒寺の所領であった。島内に鎮座する「大帯八幡社」は、他社の棟札から正和元年(1312年)以前の創建と判明しており、弥勒寺領となった後に勧請されたものと考えられている。16世紀に入る頃には豊後国に勢力を誇った大友氏の配下となり、その水軍拠点のひとつとして姫島寄合中と呼ばれる在地の武士団が存在した。江戸時代には杵築藩に属しており、元和8年(1612年)から明治維新までは古庄家が代々の庄屋を務めていた。古庄家は大友氏の初代当主である大友能直(おおともよしなお)の宰臣であった古庄四郎重吉(こしょうしろうしげよし)を祖とし、当家の伝承によると慶長年間(1596〜1615年)末までに姫島へ移り住んだという。




かつての塩田跡に広がる車エビの養殖場
その傍らには製塩業の歴史を伝えるコンクリート製の煙突が残る

 昔から現在に至るまで、姫島の主要産業は漁業である。いつの頃からかは不明だが、「漁業期節」と呼ばれる漁業規定を島全体で申し合わせ、季節や潮汐によって捕獲する魚種や漁法、禁漁区を定めるなど、乱獲を避けた漁が続けられてきた。慶長15年(1610年)には砂州を利用した製塩業が始まっており、その後は古庄家の主導により度々の海面埋め立てが行なわれ、新たな塩田が拓かれていった。明治時代に入るとさらに塩田の面積が増えて製塩業の近代化がなされたものの、技術の進歩が全国的な塩の過剰生産を招き、昭和34年(1959年)に姫島の塩田は廃止となった。現在、塩田の跡地は車エビの養殖場として利用されており、埋め立て前の湾の形状やかつての塩田の区画を今に留めている。




天保13年(1842年)に築かれた古庄家住宅
明治期には長屋門の左右に郵便局と銀行代理店が入っていた

 姫島の集落は、西部の平地に位置する「西浦」「北浦」「南浦」「松原」、東部の山地や裾野に位置する「大海(おおみ)」「金(かね)」「稲積」の計7地区で構成されている。その中でも「北浦」は姫島の中心地を担っていた集落であり、古庄家の屋敷をはじめ、旧専売公社の煉瓦造倉庫や塩の運搬に使用した水路、波止場など製塩業の隆盛を伝える文化財が現存している。各集落にはそれぞれ小規模な漁港が設けられており、一年を通じて様々な漁具を使用することから海岸に面して漁具倉庫を建て、また港の近くには漁業の神である恵比寿社を祀り、姫島のすべての集落を踊り廻る「姫島の盆踊り」(国選択無形民俗文化財)の舞台となる「ボンツボ」を設けているのが特徴だ。

2021年10月訪問




【アクセス】

「伊美港」から姫島村営フェリーで約20分、「姫島港」下船すぐ。
港周辺にレンタサイクル、レンタカー(小型電気自動車)あり。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・月刊文化財 令和3年2月(689号)
・瀬戸内海国立公園 大分県姫島 パンフレット
姫島の黒曜石産地|国指定文化財等データベース
姫島の盆踊|国指定文化財等データベース