毛越寺境内 附 鎮守社跡

―毛越寺境内 附 鎮守社跡―
もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと

岩手県西磐井郡平泉町
特別史跡 1952年指定
特別名勝 1959年指定


 平安時代末期、東北地方に一大勢力を築いた奥州藤原氏。その拠点であった平泉には、往時の繁栄が偲ばれる寺院や遺跡が数多く残されている。平泉における都市計画の基準であった金鶏山の南側、塔山の麓に境内を構える毛越寺は、二代藤原基衡(ふじわらのもとひら)が築いた天台宗の仏教寺院だ。その境内は「大泉が池」と呼ばれる苑池の周囲に堂宇を配し、阿弥陀如来が治める西方浄土の世界を表現している。奥州藤原氏が平泉に築こうとした、浄土思想に基づく仏国土を示す浄土式庭園のひとつとして貴重であることから、その庭園が特別名勝に、また塔山を含む毛越寺境内、および基衡の妻が築いた観自在王院跡、毛越寺に関連する鎮守社跡が一括して特別史跡に指定されている。




毛越寺伽藍復元図(現地案内板より)
南大門から苑池越しに主要伽藍を望む、浄土式庭園である

 寺伝によると、毛越寺の創建は平安時代中期の嘉祥3年(850年)、比叡山延暦寺の慈覚大師円仁によって開かれたという。その後は火災によって荒廃していたとされ、実質的な創建は12世紀中旬、奥州藤原氏二代基衡によって堂宇が造成されたことによる。毛越寺の伽藍は天皇家の御願寺である京都白河(現在の岡崎付近)の法勝寺を模して築かれたと考えられており、境内の中央に広がる「大泉が池」には中島を設けて前後に橋を架け、その南側に南大門を、北側には金堂にあたる「円隆寺」を建て、南大門、中島、金堂を一直線上に置く構成となっている。伽藍の造営は代をまたいで続けられ、円隆寺の隣に建つ「嘉勝寺(かしょうじ)」は三代秀衡(ひでひら)が築いたものだ。




発掘調査によって発見され、復元された遣水(やりみず)

 鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』によると、12世紀末期の毛越寺には40以上の堂宇と500にも及ぶ僧坊が建ち並んでいたとされ、「吾朝無双(我が国で並ぶものはない)」と評されている。文治5年 (1189年)に奥州藤原氏が滅亡した後も、毛越寺は鎌倉幕府の庇護を受けて存続していった。しかし嘉禄2年(1226年)の火災によって円隆寺が失われ、また戦国時代の天正元年(1573年)には戦火によって南大門、および毛越寺に隣接する観自在王院が焼失、さらに慶長2年(1597年)には常行堂と法華堂を焼失している。江戸時代に入ると仙台藩の庇護を受け、享保17年(1732年)には常行堂が再建された。明治後期には南大門跡の南側に本堂や庫裏が築かれ、現在の本堂は平成元年(1989年)の建造だ。




基壇と礎石が残る、円隆寺(金堂)跡

 創建当初の建物はすべて失われたものの、その跡地には現在も礎石が残されている。伽藍の入口にあたる南大門の規模は、桁行三間に梁間二間。左右から土塁が伸び、毛越寺の敷地を囲っていた。金堂である円隆寺は、桁行七間、梁間六間と規模の大きな仏堂であり、運慶が刻んだとされる丈六(立つと1丈6尺になる大きさの像)の薬師如来像を安置していた。円隆寺の左右からは苑池に向かって折れ曲がる翼廊が伸び、それぞれの先端には鐘楼と経楼が設けられていた。毛越寺の境内はこの円隆寺を中心とし、その左背後には桁行五間、梁間四間の講堂が建てられ、また西側には円隆寺とほぼ同じ規模の嘉勝寺が、東側には常行堂、法華堂などの堂宇が建ち並び、毛越寺の主要伽藍を構成していた。




庭園の景観を引き締める、荒磯(ありそ)の石組と出島の立石

 庭園の中心である大泉が池は東西約180メートル、南北約90メートルの範囲に広がっており、中島を含む池全体が玉石によって覆われている。池の各所には自然の風景を映しており、南西部には約4メートルの築山が設けられ、荒々しい岸壁の岩山を表現している。一方で南東部には緩やかな曲線を描く砂州と入江の洲浜が築かれ、その袂からは石組を池に突出させて荒磯(ありそ)を表し、先端の出島には庭園のシンボルといえる約2メートルの巨石を立てている。また庭園の北東には、塔山から池に水を引くための遣水が設けられている。約80メートル、幅1.5メートルの緩やかに蛇行する水路の各所に石組が配されており、これは平安時代の遣水遺構として全国唯一のものだ。




平泉の東を守護する日吉(ひえ)白山社
その境内は2メートル以上の土塁と20メートルの堀によって囲まれていた

 毛越寺から南北大路を隔てた東隣には、秀衡の妻が建立した観自在王院が存在していた。東西約160メートル、南北260メートルの寺域には、毛越寺と同じく中島を伴う苑池が設けられ、その北側には二棟の阿弥陀堂が建てられていたという。観自在王院の庭園もまた平安時代末期の浄土式庭園として貴重な存在であり、特別史跡「毛越寺境内」の範囲に含まれると共に、個別に国の名勝に指定されている。また「毛越寺境内」の附けたりとして、八箇所の関連遺跡もまた特別史跡に含まれている。その一部、『吾妻鏡』には平泉の四方を守護する鎮守社の存在が記されており、東の白山社、南の八坂神社と王子社跡、西の北野天神社がそれぞれの鎮守社であったと推定されている。

2006年06月訪問
2015年10月再訪問




【アクセス】

「平泉駅」から徒歩約10分(駅にレンタサイクル有り)。

【拝観情報】

拝観料500円。
拝観時間は8時30分〜17時(11月5日〜4月4日は8時30分〜16時30分)。

【関連記事】

中尊寺境内(特別史跡)
無量光院跡(特別史跡)