―原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)―
広島県広島市 特別史跡 2025年指定 ![]() 広島市の中心部、太田川と元安川が分岐する相生橋のたもとに位置する原爆ドームは、第二次世界大戦の末期である昭和20年(1945年)8月6日に、アメリカ軍が投下した原子爆弾によって破壊された広島県産業奨励館の遺跡である。爆心地から北西約160メートルと至近距離で被爆し、爆風の圧力がほぼ垂直に働いたため建物の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、内部にいた約30名は全員即死した。人類史上初めて投下された原爆の惨禍を伝える被爆遺構の代表例であることから平成7年(1995年)に国の史跡に指定され、翌平成8年(1996年)にはユネスコの世界遺産リストに記載された。そして戦後80年にあたる令和7年(2025年)、近代の遺跡としては初となる国の特別史跡に指定された。 ![]() 被爆前の広島県物産陳列館(現地解説板より)
ほとんどの建物が木造二階建てであった当時の広島において目立つ存在であったという 広島県産業奨励館の前身である広島県物産陳列館の建設は大正四年(1915年)、チェコの建築家ヤン・レツルの設計により元安川の東岸に建てられた。一部鉄骨を用いた煉瓦造および鉄筋コンクリート造の三階建てであり、中央階段室が五階建て、一部に地下一階があり、建設面積1023平方メートル、高さ25メートルの規模である。石材とモルタルで外装が施され、階段室の天井は銅板楕円形の円蓋であった。建物の南側には噴水を備えた洋風庭園、北側には四阿を持つ和風庭園が設えられていた。大正10年(1921年)に広島県立商品陳列所、昭和八年(1933年)には広島県産業奨励館に改称され、その後の戦争の激化に伴い館業務は廃止。内務省中国四国土木出張所などの事務所として使用されていた。 ![]() 建物の中心部は倒壊を免れたが、それ以外は一階部分の外壁のみが残る
アメリカ軍による本土爆撃の激化や沖縄上陸により日本の敗色が濃厚になっていた昭和20年の8月6日、北マリアナ諸島のテニアン島を発進したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」は午前8時15分に広島市上空にて原爆を投下、目標としていた相生橋から約240メートル東に位置する島病院の上空約600メートルで炸裂した。原爆から発せられた爆風、熱線、放射線は爆心地から1.4キロメートル以内で人体に致命的な熱傷を与え、2キロメートル以内では大半の建物が全壊全焼。広島市の調査では同年中に約14万人が死亡したと推定されている。広島県産業奨励館も天井から火を噴いて全焼し、建物の屋根と床はすべて破壊された。壁は建物の中心部がかろうじて残ったものの、大部分は一階部分をのぞき倒壊した。 ![]() 第一回保存工事の完了に伴い設置された記念碑
旧広島県産業奨励館は戦後にその存廃が議論される中、いつしか市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、昭和25年(1950年)の中国新聞社説にも「原爆ドーム」の名が用いられている。撤去は取りやめられ、昭和30年(1955年)には原爆ドームを基軸として設計された広島平和記念公園が完成した。その後、老朽化により小規模ながら壁の崩落が続いたことで再び存廃の議論があったものの、昭和41年(1966年)に広島市議会が原爆ドームの保存を決議。保存のための募金運動も行われ、翌昭和42年(1967年)に第一回の保存工事、平成元年(1989年)には第二回の保存工事が実施され、壁体の立て起こしや亀裂の接着、補強鉄骨の追加、コンクリートや煉瓦などの劣化防止剤の塗布が行われた。 ![]() 原爆ドームの由来となった円蓋の鋼材
被爆直後にアメリカ軍が撮影した写真をもとに塗装の色合いが復元された 第二回の保存工事以降は経年劣化等の状況を把握すべく、原則三年ごとに健全度調査が行われ、その結果をもとに保存工事が進められている。平成14年(2002年)から実施された第三回の保存工事では、雨水による劣化を軽減するため壁の天端などにモルタルの塗布が行われた。平成27年(2015年)からの第四回保存工事では地震対策として補強鋼材が新設されている。令和二年(2020年)からの第五回保存工事では鋼材の塗装、煉瓦目地の補修、補強金物の補修、方立(窓などの開口部を垂直に支える柱状の部材)のひび割れ補修が行われた。この様に、第一回の保存工事から50年以上に渡り、原爆ドームの永久保存を究極の目標として掲げ、確実に継承していくための保全・整備が実施されてきた。 ![]() 旧広島県産業奨励館の正面から中央階段室を見る
建物の内外は現在も瓦礫に覆われており、被爆当時の姿を留めている 広島市内には原爆ドーム以外にも複数の被爆遺構が現存する。そのうち広島市による調査の成果を踏まえ、令和六年(2024年)に「旧燃料会館(現・平和記念公園レストハウス)」「旧日本銀行広島支店」「旧本川国民学校校舎(現・本川小学校平和資料館)」「旧袋町国民学校校舎(現・袋町小学校平和資料館)」「旧中国軍管区司令部防空作戦室」「多聞院鐘楼」の六箇所が『広島原爆遺跡』として国の史跡に指定され、また「旧広島陸軍被服支廠」四棟が国の重要文化財に指定された。以上のように被爆遺構の調査研究が進展し、また保存整備の総括報告書が近年まとめられたことで、原爆ドームが現在もなお被爆当時の姿をよく保ち、被爆遺構の中でも特に象徴的な存在であることがより明確になった。 2009年02月訪問
2025年10月再訪問
【アクセス】
・「広島駅」から広島電鉄「2号線」または「6号線」で約20分、「原爆ドーム前停留所」下車すぐ。 【拝観情報】
・拝観自由。 【参考文献】
・月刊文化財 令和7年10月(745号) ・原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)|国指定文化財等データベース ・原爆ドーム|広島市 Tweet |