高山寺石水院(五所堂)

―高山寺石水院(五所堂)―
こうざんじせきすいいん(ごしょどう)

京都府京都市
国宝 1953年指定


 高山寺は京都の市街地より北西の山中、栂尾にある。山深い栂尾の周辺は古くより修行の場とされ、高山寺の起源もまた奈良時代の宝亀5年(774年)にまで遡るとされる。しかし実質の創建は、鎌倉時代の建永元年(1206年)、明恵(みょうえ)上人が後鳥羽上皇より「日出先照高山之寺」と書かれた勅額を賜り、その古寺を再興したその時であるという見方が強い。下賜された額に刻まれたその一文は「日出て先ず照らす高山の寺」という意味であり、高山寺という名の由来となった。




石水院内部
後鳥羽上皇より下賜された「日出先照高山之寺」の額がある

 高山寺は創建以降たびたびの戦火や火災によって建造物を失っており、現在残る創建当時の建造物は国宝に指定されている石水院だけである。境内奥に見られる石水院は五所堂とも呼ばれ、貞応3年(1224年)に後鳥羽上皇の賀茂別院を移築したものと伝えられている。元は金堂の右後ろに建っていたが、明治22年(1889年)に現在の場所に移され、今に至る。境内には他にも、鎌倉時代後期となるが宝篋印塔や如法経塔(共に重要文化財)、寛永11年(1634年)に仁和寺から移築されたとされる金堂などがある。




石水院の内部から庭を見渡すことができる

 石水院は時代によりその用途を変えてきた建物だ。その度に幾度となく改造が繰り返され、今に見られる形となった。高山寺の創建間もない寛喜2年(1230年)に作成された高山寺境内図によると、当時の石水院は経蔵と呼ばれていた。石水院は本来経蔵として建てられた後、寝殿造の住居建築に改造されたのだ。さらに建物正面に向拝を付け、社殿としても使われていた。ここまで改造著しくもなお国宝に指定されているのは、明恵上人の時代唯一の遺構であることと、鎌倉時代の初期における寝殿造の特徴を残していることによる。




透し彫りの蟇股や二段になっている垂木などに特徴が見られる

 石水院の建物は、正面を五間、側面は四間、前述の通り正面に一間の向拝が付けられ拝殿風となっている。屋根は入母屋で妻入りでこけら葺き。蟇股(かえるまた)や舟肘木(ふなひじき)、庇の縋破風(すがるはふ)などに鎌倉時代の様式を見ることができる。また、寝殿造建築の特徴として建物の外周に壁は少なく、蔀戸(しとみど。水平に跳ね上げる戸)を引き上げることで室内から庭全体を見渡すことができ開放的である。




石水院内部に展示されている鳥獣戯画の複製

 高山寺は数多くの文化財を所有する寺である。特に書物や絵画に関しては優れたものが多く、国宝や重要文化財に指定されているものも数多い。それらの中でも特に有名なのはやはり鳥獣戯画(国宝)であろう。甲乙丙丁の全四巻からなるその絵巻物は、平安時代後期から鎌倉時代初期に複数の人物によって描かれたものであるとされ、特に擬人化されたカエルやウサギなどの動物が活き活きと描写される甲巻が知られている。動物を介して時代の世相を風刺したこれら鳥獣戯画は、日本最古の漫画とも呼ばれている。




高山寺の境内にある日本最古の茶園

 また、高山寺は日本最古の茶園がある寺としても知られている。臨済宗の開祖として知られる栄西は、留学していた中国の南宋より茶の種と茶を抹茶にして飲む喫茶手法を日本へ持ち帰った。明恵上人はその栄西より茶の種を分けてもらい、それを高山寺の境内に植えて茶園を開いたのだ。その後栂尾茶は宇治へ伝わり、そして日本各地へと広まっていった。今でも宇治の茶農家は、毎年11月8日に高山寺にある明恵上人の廟に新茶を献上しているという。

2008年02月訪問




【アクセス】

「京都駅」からJRバス高雄京北線(周山方面行き)「栂ノ尾バス停」よりすぐ。

【拝観情報】

境内自由(紅葉時期は境内400円)、石水院の拝観は600円。
境内の開門は8時30分〜17時、石水院の拝観は9時〜17時。

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