善光寺本堂

―善光寺本堂―
ぜんこうじほんどう

長野県長野市
国宝 1953年指定


 長野県の県庁所在地である長野市は、善光寺の門前町として発展してきた歴史を持つ。日本における仏教黎明期、すなわち仏教が各宗派に分かれる以前の時代に創建された善光寺は、特定の宗派に属しておらず、また多くの仏教寺院が女人禁制であったのに対し、善光寺は女性にも門戸を開く稀な寺院であった。宗派を問わず、性別を問わず、いつでも誰でも参拝が可能な善光寺は、庶民信仰の寺として広く人々に親しまれ、江戸時代には伊勢参りとセットで数多くの参拝客が訪れていたという。現在の善光寺本堂は江戸時代中期に再建されたものであるが、それは非常に独特かつ広大な建物であり、江戸時代の寺院建築における傑作の一つとして国宝に指定されている。




善光寺本堂を正面より見る

 「善光寺縁起」によると、善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来(一つの光背に阿弥陀如来立像と脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像が彫られている仏像)は、552年の仏教伝来と共に日本へ渡ってきた日本最古の仏像であるという。しかしその阿弥陀如来像は、仏教を認めなかった物部氏により難波の堀江へと捨てられてしまう。それを信濃国の本田善光(ほんだよしみつ)が引き上げ、現在の長野県飯田市に寺院を建てて祀ったのが善光寺の始まりだ。善光寺という名も、寺を開いた本田善光の名から付けられたものである。その後、642年には飯田から現在の長野に移され、以降は民衆や時の権力者によって支えられ、善光寺は発展して行った。




右斜め前からの善光寺本堂
裳階(もこし)が付く為、屋根が二重に見える

 ところが戦国時代、武田信玄と上杉謙信が善光寺平(善光寺のある盆地)で衝突。後世に「川中島の戦い」と伝わる激しい合戦が幾度と無く行われた。善光寺の消失を恐れた信玄は、弘治元年(1555年)に善光寺を甲斐の甲府へと移転。その移転先の甲府市内には、今もなお甲斐善光寺として寺院が現存している。武田氏が滅ぼされると、善光寺の本尊は織田信長の手に渡り、その後も豊臣秀吉、徳川家康と天下人の元を点々と回り続けて行く。最終的には死の間際にあった秀吉が、本尊を信濃に戻して一件落着。その後善光寺は家康の援助を受けて見事に復興を遂げ、江戸時代を通じて大いに繁栄した。現在の本堂が建てられたのは寛永19年(1642年)の火災の後、宝永4年(1707年)の事である。




正面だけでなく、後部左右にも妻面が見られる

 善光寺本堂は、撞木造(しゅもくづくり)と呼ばれる様式で建てられている。これは母屋造建築が垂直に二棟接続された、まるでハンマーのようなT字型の平面を持つ極めて特異な建築だ。その規模は梁間五間で桁行十四間。横幅が約24メートル、奥行きが約54メートル、そして高さは約26メートルであり、東日本で最も巨大な伝統建築となっている。屋根は檜皮葺。一重だが軒下には裳階と呼ばれる庇が巡らされており、まるで二重のように見える。正面および後部左右の妻面には三間の向拝が付き、その上部の千鳥破風には飾り金具が打たれている。妻入の正面には軒唐破風が設けられているが、その破風板もまた金具により飾られている。




栩葺(とちぶき)屋根の善光寺三門
栩葺とは、こけら葺より厚い木板で葺かれた屋根のことだ

 一般的な寺院では、本尊は本堂の正面に安置されているものであるが、善光寺では本堂左奥に置かれた瑠璃壇の中に本尊が祀られている。本堂正面にあるのは、善光寺を開いた本田善光とその妻の弥生御前、および善光の息子である善佐の御三卿像だ。本尊の一光三尊阿弥陀如来は秘仏であるが、その扉の前には本尊をコピーしたとされる鎌倉時代の前立本尊(重要文化財)が安置されている。この前立本尊も普段は戸張に覆われ目にすることはできないものの、7年に一度の開帳でのみその拝観が可能だ。また御三卿像の右側には、地下の回廊へと続く階段がある。その完全なる闇に覆われた回廊の先、瑠璃壇の真下にある錠前に触れると、本尊と結縁を果たすことができるという。




石畳の参道と、善光寺門前町の町並み

 本堂の西側には宝暦9年(1759年)に建てられた宝形造の経蔵(重要文化財)があり、その内部には、一回転すると納められている経典を読んだのと同じご利益が得られるという八角輪蔵が置かれている。また、本堂の前には寛延3年(1750年)に建てられた三門(重要文化財)が堂々たる構えを見せている。門前には1714年に整備された石畳の参道が伸び、その途中には大正7年に再建された仁王門が建ち、また参道の両脇には数多くの宿坊や仏具の商店が並び、善光寺の門前町としての町並み景観を作り出している。また、善光寺界隈は江戸から北陸へと抜ける、北国街道の宿場町でもあり、街道沿いには旅籠も建てられ、江戸時代を通じて賑わっていた。

2008年08月訪問
2015年05月再訪問




【アクセス】

JR信越本線「長野駅」からバス(1番乗り場)で約15分、「善光寺大門バス停」下車、徒歩約5分。

長野電鉄長野線「善光寺下駅」から徒歩約20分。

【拝観情報】

境内自由。

本堂内部拝観(戒壇巡り)は拝観料が500円。
拝観時間は1月〜2月が6時〜16時、3月は5時30分〜16時15分、4月〜10月は5時前後〜16時30分、11月は5時30分〜16時15分、12月は6時〜16時。

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