圓成寺春日堂、白山堂

―圓成寺春日堂、白山堂―
えんじょうじかすがどう、はくさんどう

奈良県奈良市
国宝 1953年指定


 奈良市内より山間部に入り、柳生十兵衛こと柳生三厳(やぎゅうみつよし)を輩出した剣豪の里、柳生へと至る柳生街道。その道中に座する、真言宗御室派の仏教寺院が圓成寺である。古来より隆盛を極めた圓成寺は、明治維新後の廃仏毀釈により寺域を大幅に失ったものの、それでも天下の名仏師、運慶(うんけい)が若かりし頃に彫った大日如来坐像(国宝)や、室町時代に建てられた本堂や楼門など(いずれも重要文化財)、数多くの文化財を抱える古刹として名を馳せる。その圓成寺境内の傍らにこぢんまりと鎮座する二棟の一間社、春日堂と白山堂は、現存する最古の春日造社殿として貴重であり、極めて小規模な建造物でありながら、国宝に指定されている。




応仁の乱で伽藍が焼けた直後に建てられた、圓成寺本堂(重要文化財)

 圓成寺は天平勝宝8年(756年)、聖武天皇、孝謙天皇の勅願を受け、鑑真(がんじん)の弟子とされる虚瀧(ころう)が開いたと伝わる。しかしながら、この虚瀧なる僧侶の記録は一切認められず、実在したかどうか定かではない。故に実質は、万寿3年(1026年)に十一面観音像を祀り、圓成寺を中興した命禅(みょうぜん)がその開基とされる。天永3年(1153年)には仁和寺の寛遍(かんぺん)が真言密教の流派の一つである広沢流を元に忍辱山(にんにくせん)流を開き、寺は大いに賑わった。しかし文正元年(1466年)より始まった応仁の乱の兵火にて多くの堂宇を焼失。しかしすぐに栄弘(えいこう)が復興し、再び寺勢は盛んとなったが、前述の通り明治時代に境内が縮小し、今に至る。




国の名勝に指定されている、圓成寺庭園

 圓成寺の本堂は、伽藍焼失後の文明4年(1472年)に建てられたもので、平安時代からの住居建築である寝殿造を踏襲した作りとなっている。規模は五間四方。屋根は入母屋だが、仏堂建築には珍しく妻入(妻面に入口が開く形式)である。内部は本尊の阿弥陀如来坐像と四天王立像が安置され、内陣柱には二十五菩薩の彩色絵画が描かれている。本堂の前には同じく焼失後の応仁2年(1468年)に再建された楼門が建つ。組物は上下層とも三手先で、水平材が柱を貫いた部分の木鼻(きばな)が象の形を模していたり、中央間の中備(なかぞえ)として花肘木(はなひじき)を入れているのが特徴的だ。また、楼門の眼下には浄土式庭園が広がっている。これは前述の寛遍により築かれた庭園と言われている。




春日堂と白山堂
向かって左が春日堂で、右が白山堂である

 国宝の春日堂と白山堂は、本堂の右手に二棟そろって鎮座する、圓成寺の鎮守社である。それぞれ春日大明神と白山大権現を祀っており、様式はどちらも一間社の春日造(かすがづくり)である。一間社は一面の柱が二本で構成される社殿の事。春日造とは、その名の通り春日大社で使用され始めた春日大社本殿に代表される神社建築の事で、切妻屋根の妻入で屋根が若干反り、正面に向拝(こうはい)と呼ばれる庇を付け、正面からでは入母屋屋根のように見えるのがその特徴である。この春日堂および白山堂は、鎌倉時代前期の安貞2年(1228年)に行われた春日大社大造営の際に、当時春日大社の神主であった藤原時定が、それまでの旧社殿を圓成寺に寄進したものと考えられている。




向拝柱に見られる平三斗(ひらみつど)の斗栱(ときょう)と蟇股(かえるまた)

 まるで双子のようにそっくりな姿形をしている春日堂と白山堂は、袖板壁によって仲良く繋がれている。いずれも身舎(もや、建築本体の事)の一辺が1.1メートル、高さは2メートル足らずと非常に小さく、これは国宝建造物の中で最小である。柱は木材を井桁に組んだ土台の上に立ち、向拝を支える柱の斗栱は、大斗(だいと)の上に肘木(ひじき)を乗せ、その上に三つの小斗を乗せる平三斗となっている。身舎柱には平三斗ではなく舟肘木が乗るが、この舟肘木の部材は桁材と一体のものであり、小規模建築ならではの特徴が出ている。向拝の中備に入れられている蟇股(かえるまた)は、簡素ながら優れた意匠を見せる、鎌倉時代初期特有のスタイルだ。




一間社春日造の宇賀神(うがじん)本殿(重要文化財)
春日堂、白山堂と異なり向拝が唐破風になっている

 桧皮葺の屋根には神社建築の証である千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が置かれている。これらの千木は、いずれも先端が垂直に切られた外削(そとそぎ)であり、鰹木は三本で奇数である。これは祭神が男神である事を示しており、祭神が女神の場合には、千木は先端を水平に切った内削(うちそぎ)、鰹木の本数は偶数となる。神社建築であるのに「堂」という名なのは、明治維新後に神仏分離令が発せられた際、これらの鎮守社が境内から取り除かれるのを防ぐ為、改名した際の名残であるとされている。また、春日堂、白山堂の右手には鎌倉時代後期の宇賀神本殿が鎮座している。同じく一間社春日造だが、こちらは向拝が唐破風となっており、少々印象が異なる作りだ。

2010年03月訪問




【アクセス】

JR奈良線「奈良駅」または近鉄「奈良駅」より奈良交通バス「柳生方面」行きで約30分「忍辱山バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観料400円、拝観時間9時〜17時。

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