興福寺東金堂、興福寺五重塔

―興福寺東金堂―
こうふくじとうこんどう
国宝 1952年指定

―興福寺五重塔―
こうふくじごじゅうのとう
国宝 1952年指定

奈良県奈良市


 奈良は平城京の東に位置する興福寺。それは奈良時代、平城京を中心として発展した南都六宗の一つである法相宗の大本山として栄え、近隣の東大寺や元興寺などと共に南都七大寺と称された大寺院である。多大なる権威を振るった藤原氏の氏寺である興福寺は、同じく藤原氏の氏神である春日大社と共に国ぐるみの保護を受け、平安時代には比叡山の延暦寺と併せて南都北嶺と呼ばれる程の力を有していた。そのような興福寺には、かつて三つの金堂(仏像を安置する、寺院の中心的建造物)が存在しており、それぞれ中金堂、西金堂、東金堂と呼ばれていた。そのうち東金堂は、今もなお室町時代に再建された宇がそのまま残り、またその南隣には、東金堂と同時期に建てられた五重塔が威容を誇っている。




興福寺に建てられた三つの金堂のうち、唯一現存する東金堂

 大和の地に一大勢力を築いた興福寺は、飛鳥時代の669年、藤原氏の始祖である藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が大病を患った際に、夫人の鏡大王(かがみのおおきみ)が夫の平癒を願って京都の山科に創建した、山階寺(やましなでら)をその起源としている。672年に起きた壬申の乱の末に都が近江から飛鳥に戻ると、山階寺もまた藤原京へと移り、移転先の地名を取って厩坂寺(うまやさかでら)と改称する。さらにその後、和銅3年(710年)の平城京遷都に際し、鎌足の次男である藤原不比等(ふじわらのふひと)が、厩坂寺を平城京の現在地へと移し、興福寺とした。以降、朝廷や藤原氏による庇護の元、平安時代から安土桃山時代にかけて、興福寺は大和国の実質の国主として君臨する。




興福寺東金堂は室町時代の再建だが、奈良時代の天平様式を受け継いでいる

 興福寺の三つの金堂のうち、中金堂は興福寺の中心的建造物として、遷都後間もなく建造されたと考えられている。その後、焼失と再建を度々繰り返していたが、江戸時代の享保2年(1717年)に火事で失われて以来、正式な再建がなされることはなかった。しかし現在、中金堂再建の計画が立ち上がり、完成を目指して工事が進んでいる。中金堂の西に建っていた西金堂は、藤原不比等の娘である光明皇后(こうみょうこうごう)が、母の菩提を弔う為、天平6年(734年)に建てたもので、かつては阿修羅像で有名な八部衆立像や、十大弟子立像、天燈鬼、龍燈鬼像など、ユニークな仏像が数多く安置されていた。しかしその建物は、中金堂と同じく享保の火事で焼けて以降再建されず、現在は礎石だけが跡地に残されている。




太い斗栱(ときょう)が三段に組まれた三手先(みてさき)が印象的だ

 中金堂の東に建つ東金堂は、聖武天皇(しょうむてんのう)が神亀3年(726年)、叔母である元正天皇(げんしょうてんのう)の病気回復を願って建てたものだ。往時は南隣の五重塔と共に回廊によって囲まれ、東金堂院と呼ばれていた。他の金堂と同様、東金堂も火災によって度々失われており、現在に残る建物は、室町中期の応永22年(1425年)に再建された5代目のものだ。しかしながら、その規模は桁行七間、梁間四間と、創建当時から変わり無く、また建築様式も奈良時代の天平様式に基いて建てられており、創建当時の面影を色濃く残している。一重の本瓦葺き寄棟造の屋根や、前面一間を吹き放しとし、また外側よりも中央の方が柱間を広く取るなど、唐招提寺の金堂と良く似た作りである。




東金堂の南隣にそびえる興福寺五重塔

 東金堂の内部には、平安時代に鋳造された銅製の薬師三尊像を中心に、十二神将立像や四天王立像など、数多くの仏像が祀られている。昭和12年、それらを安置する須弥壇内部から、飛鳥時代の仏像頭部が発見された。これは飛鳥にあった山田寺の薬師如来像である。平安時代の治承4年(1180年)、平清盛(たいらのきよもり)の命を受た平重衡(たいらのしげひら)によって南都が焼き討ちされた後、興福寺の僧兵たちは山田寺に押し入って薬師如来像を強奪し、それを再建した東金堂の本尊に据えたのだ。しかしそれもまた火災によって焼けてしまい、焼け残った頭部のみが現在に伝わったのである。頭部のみとは言えその造形は素晴らしく、白鳳時代を代表する仏像として知られている。




天平の古式と中世の力強さが混じる、極めて貴重な建築だ

 東金堂の隣に屹立する五重塔もまた、東金堂と同じく室町中期の再建である。元は光明皇后が発願し、天平3年(731年)に建てられたもので、その後5回の焼失を経て、応永13年(1406年)に現在の五重塔が再建された。こちらも純和様の建築で、創建当時の特徴を良く残していると言う。その規模は非常に大きく、初層の幅は8.7メートル。高さは50.8メートルで、これは東大寺五重塔に次ぐ、二番目の高さである。軒が深く、逓減率(ていげんりつ、下層から上層にかけて幅が狭まる率)は低く、重厚感がある。初重内部の中央には四方に開かれた仏壇が置かれており、東側には薬師三尊像が、南側には釈迦三尊像が、西側には阿弥陀三尊像が、そして北側には弥勒三尊像が、それぞれ安置されている。

2006年12月訪問
2009年01月再訪問
2010年03月再訪問
2010年04月再訪問




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩約5分。
JR奈良線「奈良駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

境内自由。
東金堂内部拝観は拝観料300円、拝観時間9時〜17時(入場は16時45分まで)。

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