石上神宮拝殿、石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿

―石上神宮拝殿―
いそのかみじんぐうはいでん
国宝 1954年指定

―石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿―
いそのかみじんぐうせっしゃいずもたけおじんじゃはいでん
国宝 1954年指定

奈良県天理市


 奈良盆地東部の山裾に沿って、飛鳥の三輪山から奈良の春日山へと至る、山の辺の道。その中間地点に鎮座する石上神宮は、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)に宿る神、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を祭神とする、日本最古級の神社である。その起源は古墳時代にまで遡り、武具の製造や管理を担っていた物部(もののべ)氏により祭祀され、朝廷の武器庫としても機能していたという。日本書紀において、神宮と称される神社は伊勢神宮と石上神宮のみであり、更に同書によると、石上神宮は最初に成立した神宮であるという。その境内にある建造物のうち、鎌倉時代に建てられた拝殿と、摂社である出雲建雄神社の拝殿二棟が、国宝に指定されている。




仏堂建築の様相を見せる、石上神宮拝殿

 同じく日本最古級の神社である大神神社が本殿を設けないのと同様、本来、石上神宮にも本殿は存在していなかった。神社の奥に禁足地を設け、そこに霊剣である布都御魂剣を埋め、その土地を信仰の対象としていたのだ。現在は拝殿の背後に本殿が存在しているものの、これは明治7年(1874年)に行われた禁足地の発掘調査により出土した布都御魂剣などの神宝を祀る為、大正2年(1913年)に建てられたものである。また、石上神宮に伝わる神宝としては、他に七支刀が有名である。左右に三本ずつ、互い違いに枝刀を備えた特異な形状を持つ七支刀は、4世紀に朝鮮半島の百済から倭国に贈られたものであるとされ、当時の海外交流を示す貴重な史料として、国宝に指定されている。




拝殿の背後に見える屋根は、禁足地に建てられた本殿である

 伝承によると、石上神宮の拝殿は平安時代末期の永保元年(1081年)、白河天皇が新嘗祭(にいなめさい、五穀豊穣を祝う儀式)を行う為の建物である神嘉殿(しんかでん)を移築したものであるとされるが、建築様式的には貫や木鼻などといった、鎌倉時代に宋より伝わった大仏様の特徴が認められることから、鎌倉時代初期に建てられたと考えられている。しかしそれでも神社の拝殿としては相当に古く、現存最古級の拝殿建築である事に変わりはない。その規模は桁行七間に梁間四間。屋根は一重の入母屋造で、檜皮葺。母屋(もや)の周囲に庇を巡らし、さらに前面一間には江戸時代に増設された向拝が付くなど、神社建築というよりは仏堂に近い外観となっている。




突き出る貫の木鼻は、初期大仏様の意匠である

 拝殿の外側にあたる庇部分は、柱が角柱で、天井は張らずに垂木を見せる化粧垂木だ。一方、内側の母屋は柱が丸柱で、天井も格子の組入天井が張られている。棟札が計6枚発見されており、それにより、それぞれ文明2年(1470年)、貞享元年(1684年)、享保18年(1733年)、元文5年(1740年)、寛政10年(1798年)、そして安政6年(1859年)に修理が行われた事が判明している。なお、この棟札も附けたりとして国宝だ。拝殿の前には、鎌倉時代末期の文保2年(1318年)に建てられた楼門が壮麗なたたずまいを見せる。楼門の左右からは回廊が伸び、拝殿前庭を取り囲んでいる。この楼門は、上層の組物が三手先、下層は二手先。蟇股や木鼻の造型が美しく、重要文化財に指定されている。




割拝殿のスタイルを取る、摂社出雲建雄神社拝殿

 拝殿より楼門を挟んだその向かい、石上神宮の本社よりも高い石段の上に鎮座するのは、摂社の出雲建雄神社である。この神社は摂社でありながら、石上神宮同様、延喜式にも記載のある式内社であり、極めて古い歴史を有している。その祭神は天叢雲剣(あまノむらくもノつるぎ)に宿る、出雲建雄神(いずものたけおのかみ)。出雲建雄神社の本殿は一間社春日造と小規模なものであるが、その前には桁行五間、梁間一間の立派な割拝殿(わりはいでん)が建っている。割拝殿とは、中央一間に馬道(めどう)と呼ばれる土間を設け、通り抜けられるように作られた拝殿の事であり、これは鎌倉後期の正安2年(1300年)の建造と、割拝殿の中では現存最古である。




馬道上部の梁には、蟇股(かえるまた)が乗る

 この割拝殿は、元は石上神宮の南に存在していた内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守社、住吉神社の拝殿であったものを、大正3年(1914年)に現在地へと移築したものだ。内山永久寺は平安時代末期に創建された寺院であり、石上神宮の神宮寺的な存在でもあったが、明治期における廃仏毀釈の被害を受けて廃寺となってしまった。現在の出雲建雄神社拝殿は、唯一現存する内山永久寺の遺構となっている。その屋根は桧皮葺の切妻造。正面、背後、および馬道の左右には引き違いの格子戸が入り、側面には両開きの板扉が設けられるなど、全体的に住居風の意匠となっている。また馬道上部には唐破風が備えられ、梁の上には鎌倉時代特有の素朴ながら美しい蟇股が乗る。

2007年01月訪問
2010年05月再訪問




【アクセス】

JR桜井線「天理駅」もしくは近鉄天理線「天理駅」より徒歩約30分。

【拝観情報】

境内自由、楼門の開門時間は6時〜17時30分。

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