根来寺多宝塔(大塔)

―根来寺多宝塔(大塔)―
ねごろじたほうとう(だいとう)

和歌山県岩出市
国宝 1952年指定


 和歌山県、紀の川より和泉へ至る根来街道。その道沿いに広がる根来の里には、平安時代末期に高野真言宗より分派した新義真言宗の総本山、根来寺の伽藍が広がっている。安土桃山時代には寺領70万石、僧兵1万という強大な力を有していた根来寺は、豊臣秀吉に攻められ一山灰燼に帰したものの、幸いにして真言密教の象徴としてそびえる大塔には火の手が回らず、そのまま今に残る事となった。室町時代の後期、60年以上もの歳月をかけて建立されたというこの大塔は、高野山に存在していた根本大塔を元に建てられたものとされており、唯一現存する五間四方の大型多宝塔として、また宝塔より進化した古式の姿を留める多宝塔として非常に貴重であり、国宝に指定されている。




根来寺大塔の下層軒下部分

 日本有数の霊場である高野山は、弘法大師空海が平安時代の延暦23年(804年)に開いた真言密教の根本道場である。しかし空海が入定して久しい平安時代末期にもなると、高野山の僧侶達は本来の信仰を失い僧職を食べる為の手段と割り切り、上僧も権力に固執するだけの存在に成り果てるなど、宗派全体の腐敗が進んでいた。それを憂いた若き僧侶の覚鑁(かくばん)は、大伝法院を建てた後に金剛峯寺の座主に就任すると、高野山の建て直しに着手する。しかし現状維持を望む保守派勢力と激しく対立し、保延6年(1140年)には覚鑁の住居であった密厳院を始め、覚鑁一門の寺院が焼き払われてしまう。覚鑁は無言行を行った直後に密厳院発露懺悔文を著し、高野山を後にする。




複雑な組物を持つ大塔上層部分

 高野山を出た覚鑁は、大伝法院の荘園であった弘田荘の豊福寺に拠点を移し、道場として円明寺を、住居として密厳院を建てたという。それらを中心として各種堂宇や子院が整備され、現在に通じる根来寺の一山が形成された。その後根来寺は数多くの学僧を抱える学問寺として発達し、最盛期の安土桃山時代には300から400もの子院を抱える大寺院にまで成長していた。僧侶達は武装して僧兵となり、根来衆としてその名を轟かせていたという。しかし、その勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585年)に根来寺へと攻め込み、その堂宇は大塔と大師堂のみを残して全山焼き払われてしまう。その後の江戸時代にようやく根来寺の復興が許され、各種諸堂が再建されて今に至る。




秀吉の焼き討ちから免れた大師堂(左)と大塔

 現在に残る根来寺の大塔は、秀吉の兵火を逃れた貴重な建造物の一つであり、その身には焼き討ちの際に付けられた火縄銃の弾痕も残されている。大塔の建立は室町時代の後期、各部材に残されている墨書より、文明12年(1480年)頃より建設が始まり、天文16年(1547年)頃に竣工したものと考えられている。元は高野山の壇場伽藍にあった根本大塔をモデルにして建てられたとされ、その規模は高野山にあったものと同じく五間四方。大塔という名の通り、実に幅約15メートル、高さ約40メートルという、現存最大の多宝塔である。多宝塔とは高野山で初めて建造された日本独自の仏教建築で、後にそれを小型化した三間四方のものが、全国の密教系寺院にこぞって建てられた。




大塔の内陣は円筒状を示す、古式多宝塔のものだ

 根来寺大塔は、円筒状の塔身に方形の裳階を付けた構造を採っており、裳階内部の内陣もまた、円筒状の形状となっている。元々多宝塔は、円筒状の塔身に屋根を付けた宝塔(なお、宝塔はインドのストゥーパを原型に持つ)をベースとし、その下部に方形の裳階を付けたものであり、この大塔は宝塔から多宝塔に進化したその原型の姿を留める唯一の建築となっている。下層(裳階)の軒は、二手先の組物に軒支輪を巡らし、五間すべてに間斗束を置いている。上層(塔身)の軒は、より複雑な四手先の組物を持ち、こちらも軒支輪を巡らしている。いずれも垂木は二重繁垂木だ。内陣には大日如来を中心にした諸仏が安置され、曼荼羅の世界をこの世に具現化している。




奥書院の北に面する池泉式蓬莱庭園

 もう一つ、秀吉の焼き討ち以前から残る建造物として大師堂がある。大塔の左に建つ大師堂は、室町前期の明徳2年(1391年)の建造で、根来寺に残る建造物では最古のものだ。内部の厨子および須弥壇と共に、重要文化財に指定されている。また、大塔の右に建つ大伝法堂は江戸時代後期の文政10年(1827年)建造だが、その内部には大日如来坐像、金剛薩埵坐像、尊勝仏頂坐像の三尊像が祀られている(いずれも重要文化財)。これらもまた焼き討ちを免れたものであり、室町時代初期の嘉慶元年(1387年)から応永12年(1405年)に作られた事が墨書より判明している。他にも、江戸時代前期に作庭された庭園、および根来寺創建当初より残る聖天池が国の名勝に指定されている。

2010年08月訪問




【アクセス】

南海鉄道「南海樽井駅」もしくはJR阪和線「和泉砂川駅」より和歌山バス「岩出駅前行き」で約30分、「根来寺バス停」下車すぐ(もしくは「岩出図書館バス停」下車、徒歩約10分)。

JR阪和線「紀伊駅」より和歌山バス「粉河駅前行き」、もしくは「近畿大学行き」で約35分、「根来バス停」下車、徒歩約20分。

【拝観情報】

拝観料500円。
拝観時間は4月〜10月が9時10分〜16時30分、11月〜3月が9時10分〜16時。

【関連記事】

金剛峯寺不動堂(国宝建造物)