大報恩寺本堂(千本釈迦堂)

―大報恩寺本堂(千本釈迦堂)―
だいほうおんじほんどう(せんぼんしゃかどう)

京都府京都市
国宝 1952年指定


 延暦13年(794年)に遷都されて以降、明治2年(1869年)に至るまで、千年以上もの間日本の首都であり続けた平安京。そこには、長きに渡り築かれてきた歴史の遺構が堆積し、そこここに各時代の忘れ形見を散見する事ができる。しかしながら、都として長く続いた宿命か、京都は戦乱の舞台になった事も少なくなく、特に室町時代の応仁元年(1467年)より起きた応仁の乱においては、町のほとんどが灰燼に帰すという憂き目に会った。その為、洛中にはそれ以前にまで遡る建造物は極めて少なく、現存する建造物は桃山時代以降のものがほとんどである。そのような中、鎌倉時代に建造された千本釈迦堂は洛中に残る最古級の和様建造物として貴重であり、国宝に指定されている。




うっすら雪化粧の千本釈迦堂

 京都市上京区、北野の千本通り寄りに位置する大報恩寺は、鎌倉時代初期の安貞元年(1227年)、第3代奥州藤原氏、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の孫と伝わる求法上人(ぐほうしょうにん)義空(ぎくう)によって開かれた仏教寺院である。比叡山での修行を終えた義空は、大報恩寺を建てて釈迦如来坐像を祀り、釈迦念仏を唱える為の道場とした。以降、鎌倉時代における釈迦念仏の流行にも支えられ、大報恩寺は千本釈迦堂として庶民の信仰を大いに集め、嵯峨の清涼寺(嵯峨釈迦堂)と共に京都における釈迦信仰の中心地として賑わったという。その周囲は応仁の乱の主戦場であったにも関わらず、奇跡的にも被害を免れ、千本釈迦堂は今もなお当時のまま建ち続けている。




蔀戸など、寝殿造りをルーツにした純和様の意匠である

 義空の墨書銘が記された棟札と旧棟木が屋根裏から発見された事により、千本釈迦堂は安貞元年(1227年)に上棟された事が判明した(なお、建物の年代特定に至ったこれらの棟札と旧棟木もまた、本堂の附けたりとして国宝に指定されている)。千本釈迦堂の規模は桁行五間に梁間六間で、屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面に一間の向拝が付属している。建築様式は平安時代からの寝殿造りを踏襲する純和様で、正面の建具もまた寝殿造りに用いられる蔀戸(しとみど)の一種、半蔀(はじとみ、戸が上下に分離し、そのうち上部のみを外側に吊り上げて開く)だ。側面は手前端が両開きの妻戸(つまど)で、その奥隣が半蔀、それら以外は引違戸(ひきちがいど)が立てられている。




妻戸が開かれた、千本釈迦堂の側面

 千本釈迦堂の内部は、手前二間が礼拝の為の外陣であり、背後の一間が後戸、それらの間の三間が本尊を安置する為の内陣で、内陣の両脇一間ずつが脇間という構成である。外陣と内陣の境には、引違い戸が立てられており、それぞれの領域を明確に区分けしている。そのうち外陣では虹梁を梁間方向に渡して中央の二本の柱を省略し、礼拝の為のスペースを広く取っている。内陣の中央には四天柱が立てられ、その内側に須弥壇を置いて本尊を納める厨子を安置している。なお、その厨子もまた、棟札や棟木と同じく本堂の附けたり扱いで国宝指定を受けている。須弥壇上の天井は、より格の高い折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)で仕上げられている。




軒裏の垂木と蟇股(かえるまた)、および出組(でぐみ)の組物

 本尊の釈迦如来坐像もまた、千本釈迦堂と同じく大報恩寺創建当時のものである。その作者は、運慶(うんけい)と共に鎌倉時代を代表する仏師である快慶(かいけい)の弟子、行快(ぎょうかい)であり、厨子の上に下げられている天蓋と共に、重要文化財に指定されている。秘仏本尊である為、普段は厨子の戸が閉ざされているが、年に数回、大きな行事の際に開帳が行われている。本尊と共に千本釈迦堂に祀られている十大弟子立像は、快慶の作。同じく六観音像は、快慶の弟子とされる定慶(じょうけい)の作で、これらもまた本尊と同様重要文化財に指定されている。この千本釈迦堂は、洛中に現存する最古級の建造物であると共に、慶派仏像の宝庫でもあるのである。




大報恩寺の境内にたたずむおかめ像

 大報恩寺には、創建当時よりおかめの悲話が伝えられている。千本釈迦堂を建てる際、大工の棟梁であった高次は、採寸を誤り柱の一本を短く切りすぎてしまう。それを知った妻のおかめは、他の柱も短く切り揃え、その上に枡形を載せて高さを調節するように助言した。高次はその通りにして事無きを得たのだが、おかめはこの事が他人にばれたら高次の名誉に関わると考え、自らの口をふさぐ為に自害してしまったのだ。高次は境内に塚を建て、その魂を弔った。この悲話より、大報恩寺は大工の信仰を得、また応仁の乱においても本堂が罹災しなかった事から、おかめは幸福を招くシンボルとして信仰の対象にもなった。今でも本堂内には、おかめの面や人形が多数奉じられている。

2008年02月訪問




【アクセス】

「京都駅」より京都市営バス50号統で約30分「上七軒バス停」下車、徒歩約3分。

【拝観情報】

境内自由。
本堂内部は拝観料500円、拝観時間9時〜17時。