東福寺三門

―東福寺三門―
とうふくじさんもん

京都府京都市
国宝 1952年指定


 京都は東山の南端付近、月輪山(つきのわやま)の西山麓には、二ヶ寺の大寺院が存在する。一つは、鎌倉時代の天皇陵墓があることで知られる真言宗泉涌寺派の総本山、東山(とうざん)泉涌寺(せんにゅうじ)。そしてもう一つが、今もなお25もの塔頭を有する臨済宗東福寺派の大本山、慧日山(えにちさん)東福寺(とうふくじ)だ。そのうち東福寺の境内中枢には、三門、仏殿、法堂(はっとう)といった主要建造物が南北一直線に配された、典型的な禅宗寺院の伽藍が広がっており、その中でも室町時代の建造である三門は、禅宗寺院の巨大三門として現存最古のものである。それは室町時代における禅宗寺院の様相を伝える建造物としても稀有の価値があり、国宝に指定されている。




昭和9年(1934年)に再建された東福寺仏殿(本堂)

 東福寺は、平安時代の延長2年(924年)に公卿の藤原忠平(ふじわらのただひら)が建立した、法性寺(ほっしょうじ)をルーツに持つ寺院である。その後、鎌倉時代の嘉禎2年(1236年)、四代将軍、藤原頼経(ふじわらのよりつね)の父である九条道家(くじょうみちいえ)が、法性寺の地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を祀る新寺院の建立を発願。宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)こと円爾(えんに)を開山として、東福寺を開いた。東福寺という名は、その伽藍を築くに模範とした、東大寺と興福寺から一字ずつ取ったという。伽藍が完成したのは、文永10年(1273年)の事であった。当時の東福寺は、天台仏教、真言仏教、そして禅を学ぶ兼学の道場であったという。




百間便所や百雪隠などと称されていた、東司(とうす、便所の事)
36個の壷が二列に並べられ、大勢の僧が一度に用を足す事ができた

 しかしながら、伽藍完成後まもなくの元応元年(1319年)、東福寺で大火が発生し、建造物がことごとく焼失してしまう。その伽藍が復興されたのは、室町時代の事であった。寺の再建に伴い、東福寺は禅宗寺院としての性格をさらに増し、以降は京都五山の第四位として大いに栄えたという。近代に入った明治14年(1881年)にも、東福寺は再び火災に見舞われ、数多くの建造物を焼失している。その為、現在の仏殿や法堂などは、それ以降の明治から昭和の時代に再建されたものだ。三門や禅堂、浴室、東司やいくつかの門などは焼けずにそのまま残っており、そのうち三門は国宝に、それ以外の焼失を免れた建造物は、それぞれ重要文化財に指定された。




三門正面、思遠池から望む

 現存する東福寺三門は、元応元年の大火によってそれまでのものが失われた後、応永年間(1394年〜1428年)に室町幕府四代将軍、足利義持(あしかが よしもち)によって再建されたものである。なお、三門とは三解脱門の略で、禅宗寺院の仏殿(本堂)前に建てられる中門の事だ。それは、仏殿という涅槃に入る前に解脱を得る(悟りを開く)目的で設けられている。三門は、無空、無相、無願という三つの解脱を表す為に三つの出入口を開けた三戸形式であるのが普通だが、東福寺の三門もまたその様式を守っており、五間三戸の二重門となっている。屋根は本瓦葺きの入母屋造で、その高さは22メートル。両脇には山廊が付属し、そこから上層内部へ上る事ができるようになっている。




数段構えの挿肘木や通肘木など、大仏様の特徴が強く見られる

 禅宗寺院における三門の建築様式は、当然ながら禅宗様であるのが一般的である。しかしながら、東福寺三門は大仏様を基調とし、それに禅宗様と和様を折衷した、極めて独特な様式を採っている。大仏様の特徴が特に強く見られるのが軒下で、柱に穴を開けて水平材を通した貫(ぬき)の構造が多用されており、組物は三手先の挿肘木(さしひじき)で前方に張り出し、通肘木(とおしひじき)で繋いでいる。柱は上下が細くなった粽柱(ちまきばしら)となっており、柱と礎石の間に礎盤(そばん)を入れる点などは、禅宗様の特徴である。中備は平三斗(ひらみつど)であるが、それが通肘木の上にも乗っているのが印象的だ。垂木は禅宗様の扇垂木ではなく、和様の平行垂木となっている。




三門の四方には屋根を支える補助の柱が備えられている
これは豊臣秀吉が修理を行った際に付けられた事から、太閤柱と呼ばれている

 東福寺三門の上層は仏堂となっており、中央には宝冠釈迦如来像が祀られ、その右手前には善財童子(ぜんざいどうじ)像が、左手前には月蓋長者(がっかいちょうじゃ)像が、そして左右八体ずつの十六羅漢像が安置されている。柱や梁などには、半人半鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)や、頭を二つ持つ共命鳥(ぐみょうちょう)などが色鮮やかに描かれており、極彩色の世界を作り出している。これらの壁画は、東福寺の画僧であった兆殿司(ちょうでんす)こと吉山明兆(きつさんみんちょう)、およびその弟子である寒殿司(かんでんす)こと赤脚子(せっきゃくし)が描いたものと伝わっている。また、上層正面中央に掲げられた「妙雲閣」の扁額は、足利義持の筆によるものだという。

2010年04月訪問




【アクセス】

JR奈良線「東福寺駅」より徒歩約10分。
「京都駅」より京都市営バス202、207、208系統で約15分「東福寺バス停」下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

境内自由。
開門時間は9時〜16時、紅葉の期間は8時30分〜16時30分。

【関連記事】

知恩院三門(国宝建造物)
竜吟庵方丈(国宝建造物)