醍醐寺清滝宮拝殿、醍醐寺薬師堂

―醍醐寺清滝宮拝殿―
だいごじせいりゅうぐうはいでん
国宝 1954年指定

―醍醐寺薬師堂―
だいごじやくしどう
国宝 1959年指定

京都府京都市


 京都は山科から伏見、宇治へと至る中間地点に位置する真言宗醍醐派の総本山、醍醐寺。その寺域は、醍醐山(笠取山)の山頂から山麓にかけてと極めて広大な領域に及び、平安時代に弘法大師空海が唐より日本にもたらした、真言密教の一大拠点として古来より人々の信仰を集め、繁栄してきた。そのような醍醐寺の伽藍は、醍醐山の山頂に堂宇が連なる上醍醐と、山麓に主要建造物や小院が広がる下醍醐の二ヶ所に分ける事ができる。そのうち上醍醐は、平安時代に山岳道場として開かれた醍醐寺発祥の地であり、そこに建つ上醍醐の建造物の中では、室町中期に再建された清滝宮の拝殿と、平安時代末期に建てられた薬師堂の二棟が国宝に指定されている。




南側の懸造側から見た清滝宮拝殿

 醍醐寺の創建は平安時代の貞観16年(874年)、弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝(しょうぼう)が、笠取山の山上に観音像を祀ったのがその起源とされる。伝説によると、笠取山に登った聖宝が、老人に姿を変えた笠取山の地主神、横尾明神(よこおみょうじん)と出会い、笠取山を譲り受けた。その際、老人は湧水を飲み「あぁ、醍醐味なるかな」と言い残して姿を消した事から、以来笠取山は醍醐山と呼ばれる事になった。その水は現在も上醍醐の谷間から湧き出しており、参拝者の喉を潤している。創建以降、醍醐寺は醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇らの帰依を受けて伽藍が整えられ、また応仁の乱では戦火を被り廃れてしまったものの、豊臣秀吉により復興され、今に至る。




引違格子戸が多く用いられた、住宅風の建築だ

 醍醐水が湧き出す谷には、清滝宮が祀られている。清滝宮とは、空海が唐の青龍寺より勧請した密教の守護神を祀る神社で、上醍醐、下醍醐それぞれに一社ずつ鎮座する醍醐寺の鎮守社である。上醍醐のものは寛治3年(1089年)の創建であり、下醍醐のものは承徳元年(1097年)に上醍醐の清滝宮から分社して祀られたものだ。どちらの清滝宮も後の時代に焼失してしまっており、現存する上醍醐の清滝宮拝殿は室町中期の永享6年(1434年)より5年かけて再建されたもので国宝(本殿は近代まで現存していたが、昭和14年(1939年)の火災によって焼失してしまった)。下醍醐の清滝宮本殿は室町時代後期の永正14年(1517年)に再建されたもので、重要文化財の指定である。




二つの蟇股が印象的な清滝宮拝殿の入口向拝

 上醍醐の清滝宮拝殿は、神社の拝殿にしては珍しく、半蔀(はじとみ)や引違格子戸を備えた住宅風の作りとなっている。その規模は桁行七間、梁間三間で、屋根は檜皮葺きの入母屋造だ。斜面に築かれている為、南側は束柱を建てて空中にせり出した懸造(かけづくり)となっている。本殿が拝殿の北側に位置する為、本来拝殿の入口は南にあるべきであるが、南面が懸造なので入口は東側の妻面に設けられている。また、入口には三間の向拝が備えられ、軒唐破風や蟇股(かえるまた)で装飾されている。垂木は二段の二軒(ふたのき)で、地垂木(ぢたるき)は密に配した繁垂木(しげだるき)だが、飛檐垂木(ひえんだるき)は隙間の多い疎垂木(まばらだるき)であるという点が珍しい。




平安時代後期に再建された薬師堂

 清滝宮から山を少し登った所には、平安後期の保安2年(1121年)に建てられた薬師堂が存在する。醍醐寺の創建時、醍醐天皇の勅願で上醍醐に五大堂と薬師堂が建てられた。この薬師堂は、その創建時の薬師堂が古くなった事で建て替えられた二代目にあたり、上醍醐に現存する建造物としては最古の建造物となっている。その規模は桁行五間に梁間四間、屋根は檜皮葺の入母屋造。正面の両脇間には連子窓が入れられ、同じく正面の中央三間、および左右側面の手前一間、背後の中央間には板扉がはめられている。組物は平三斗(ひらみつど)、中備は間斗束(けんとづか)と簡素な意匠ではあるが、数少ない平安時代の遺構として極めて貴重な建築である。




外観が簡素なのは、厳しい修行の場であった為であろう

 薬師堂の内部は、桁行三間、梁間二間の内陣を中央に設けてその周囲を外陣とし、内陣と外陣の間には格子戸を入れて仕切っている。床はいずれも土間であり、天井は内陣が格の高い組入天井なのに対し、外陣は天井を張らない化粧屋根裏だ。内陣に見られる蟇股は、蟇股がより装飾的な本蟇股へと進化するその黎明期の一例として貴重である。内陣の須弥壇には、かつて聖宝が弟子の会理(えり)に彫らせたという薬師如来像とその脇侍である日光菩薩、月光菩薩の三尊像(国宝)、並びに帝釈天像、閻魔天像、千手観音像(いずれも重要文化財)などの諸仏が安置されていたが、これらは現在、防火上の理由から下醍醐の霊宝館に移され、そこで保存されている。

2007年11月訪問
2010年11月再訪問




【アクセス】

醍醐寺(下醍醐)より上醍醐まで、登山道で徒歩約40分

【拝観情報】

入山料600円(准胝堂が再建されるまで)。
入山受付時間は3月〜11月が9時〜16時、12月〜2月が9時〜15時。

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