歓喜院聖天堂

―歓喜院聖天堂―
かんぎいんしょうてんどう

埼玉県熊谷市
国宝 2012年指定


 埼玉県北端、利根川沿いに位置する熊谷市妻沼(めぬま)には、地元の人々より「聖天様」と称され崇敬を集める真言宗の仏教寺院「聖天山歓喜院」が存在する。その本殿にあたる聖天堂は、江戸時代中期に庶民の寄進によって建てられたもので、極彩色の彫刻を始めとする装飾が特徴だ。このような装飾建築は安土桃山時代に端を発し、東照宮をはじめとする権力者の霊廟建築で完成した。江戸時代中期になると、幕府や大名など有力者の建築は色彩の少ない復古的なものが主流となるが、一方で庶民信仰の寺院では彫刻などを多用した建築が建てられるようになる。歓喜院の聖天堂は装飾建築の成熟を示す傑作であり、また装飾建築の庶民信仰への普及を示す証左でもある。




歓喜院聖天堂は権現造で建てられている
右から拝殿、中殿、奥殿と続き、奥殿が最も豪華である

 寺伝によると、歓喜院の起こりは平安時代末期の治承3年(1179年)、長井庄(妻沼)を本拠としていた有力武士の斎藤実盛(さいとうさねもり)が、守り本尊である大聖歓喜天を祀った聖天宮を建立したことに始まるという。建久8年(1197年)には次男の実長(さねなが)が別当坊として歓喜院を開き、中世には忍城主成田氏の庇護を受けた。慶長9年(1604年)には徳川家康によって再興がなされたものの、寛文10年(1670年)の妻沼大火により焼失してしまう。その後は長らく化堂のままであったが、享保5年(1720年)に地元大工の林正清(はやしまさきよ)が聖天堂の再建を志す。歓喜院主の海算(かいさん)と共に庶民から広く寄進を募り、享保20年(1735年)に着工した。




奥殿はおびただしい数の彫刻によって覆われている

 聖天堂の造営はまず奥殿から行われ、寛保元年(1741年)にこれが完成する。続いて中殿の建設が始まり、延享元年(1744年)には中殿の奥側二間まで完成したものの、利根川の氾濫による洪水が度々発生したことから工事が中断してしまう。さらには正清の死去と不幸が続いたが、その後の宝暦5年(1755年)、正清の子である正信(まさのぶ)を中心にして造営が再開され、着工から25年後の宝暦10年(1760年)にようやく全体の完成を見た。なお、当時は杮(こけら)葺だったものの、安永8年(1779年)に現在の瓦棒銅板葺きに改められている。近年は経年劣化により色彩や漆塗が失われていたが、平成15年から平成23年にかけて大修理が行われ、往時の色彩が今に蘇った。




奥殿よりは落ち着いた感のある拝殿の軒周り
手前一間は建具のない吹き放しだが、現在はガラス戸がはめられている

 聖天堂の建築様式は、奥殿と拝殿を中殿によって接続し一体化した、日光東照宮などと同様の「権現造」である。その規模は東照宮よりも一回り小さく、拝殿は桁行五間、梁間三間の入母屋造。正面には三間の向拝を備え、軒唐破風と千鳥破風によって飾られている。拝殿の内部は奥二間が畳敷きの内拝、手前一間は吹き放ちの外拝だ。中殿は桁行三間、梁間一間の両下(りょうさげ)造。奥殿は桁行三間、梁間三間で入母屋造で、正面に向拝を備え、正面以外の三方には軒唐破風を作り、背面には千鳥破風を置いている。いずれも建物の内外は彫刻や漆塗、彩色、絵画、金具によって飾られており、拝殿から中殿、奥殿へといくにつれ装飾の密度が高まり、荘厳性を高めている。




花頭窓の枠を龍の形にあしらうなど、前例にない点も多い

 奥殿の彫刻は、上州の彫工である石原吟八と関口文治郎を棟梁として築かれた。柱や長押、頭貫などに地紋彫を施し、木鼻は獅子や龍、象などの霊獣を、蟇股には花鳥や風神雷神などを彫る。大羽目の彫刻は七福神、腰羽目は唐子遊びをモチーフとしている。彫りの技法は多種多様であり、立体感のある仕上がりとなっているのが特徴だ。漆塗も黒、赤、黄、緑、こげ茶の色漆、透明な透漆(すきうるし)、木目の見える木地溜(きじだめ)塗を使い分けている。彩色は膠による極彩色、それと漆地に金箔を押した上で彩色を行う生彩色を基本としながら、雨に濡れやすい部分には油を使う密陀(みつだ)彩色が用いられ、また工費節減のために色ガラスの粉末など人工顔料も使われている。




囲碁を打つ恵比寿と布袋
かつては彩色が失われていたが、元禄10年(1679年)の棋譜を再現したという

 奥殿の内部は金箔を多用した絢爛豪華な空間となっており、その壁は唐獅子や鶴、天井の格間は「宝尽くし」が描かれている。また拝殿の天井に描かれている龍の絵は、幕府の奥絵師、狩野英信(かのうひでのぶ)によるものだ。日光東照宮における彫刻の主題は、龍や唐獅子、鳳凰といった聖獣、あるいは中国の聖人や仙人であるのに対し、歓喜院は福神や唐子の遊楽など、やや即物的なモチーフが多い。これは、東照宮の造営目的が東照大権現(徳川家康)の神聖化、幕府の統治における政治的な理想を体現したものであったのに対し、庶民からの寄進により建てられた歓喜院の聖天堂は、より人々の心を掴む、江戸からの遊山の対象となる装飾といった建設理念の違いにある。

2014年05月訪問




【アクセス】

JR高崎線「熊谷駅」よりあさひバス「太田駅行き」「西小泉駅行き」「妻沼聖天前行き」で約25分、「妻沼聖天前バス停」下車すぐ。


【拝観情報】

拝観料700円、拝観時間は10時〜16時。

【関連記事】

・東照宮本殿、石の間及び拝殿(国宝建造物)
久能山東照宮本殿、石の間、拝殿(国宝建造物)