石清水八幡宮本社

―石清水八幡宮本社―
いわしみずはちまんぐうほんしゃ

京都府八幡市
国宝 2016年指定


 京都盆地の南西端、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる山崎の地は、本能寺にて織田信長を討った明智光秀が、遠征先の中国から引き返してきた羽柴秀吉に敗れた「山崎の戦い」の舞台としてつとに有名だ。一説にはその戦況を左右したとも伝わる「天王山」の対岸には「男山」と称される山塊が聳えており、古くより「やわたのはちまんさん」と称され人々に親しまれてきた石清水八幡宮が鎮座している。山頂には江戸時代初期に江戸幕府第三代将軍徳川家光によって造営された社殿が群として今も残されており、その中核を担う「本殿」「摂社武内社本殿」「瑞垣」「幣殿及び舞殿」「楼門」「東門」「西門」「廻廊(三棟)」の計10棟が2016年国宝に指定された。




奉納された灯篭が建ち並ぶ、三の鳥居からの表参道

 石清水八幡宮の起こりは平安時代初期の貞観元年(859年)、南都大安寺の僧侶「行教(ぎょうきょう)」が豊前国の宇佐八幡宮(宇佐神宮)に参籠した際に八幡大菩薩の示現を受け、翌年の貞観2年(860年)に清和天皇が六宇の宝殿を造営したことに端を発する。なお石清水という社名は、男山の中腹より清水が湧き出ていたことに由来するという。以降は平安京の鬼門(北東)を守護する延暦寺と共に、裏鬼門(南西)を封じる首都鎮護の霊場として皇室を始めとする京の人々の崇敬を集めてきた。歴代天皇による行幸は240回にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されていた。また清和天皇の嫡流である源氏が八幡神を氏神にしていたことから、中世以降は武家からも篤く信仰されてきた。




本社社殿群の正面に鎮座する楼門の上層

 保延6年(1140年)に起きた大火を始め、石清水八幡宮は度々災禍に遭ったものの、その度に再興がなされてきた。天正8年(1580年)には織田信長によって社殿の修復が実施されており、その際に寄進されたという「黄金の樋」や信長好みとされる築地塀「信長塀」も現在に残されている。また慶長3年(1598年)からは豊臣秀頼によって子院など境内の再興が行われた。江戸時代の寛永11年(1634年)には徳川家光により大規模な社殿の造替がなされ、今にまで残る社殿群が建立されている。創建以来、石清水八幡宮は神仏習合の霊場として発展してきたものの、明治時代に入ると神仏分離令によって護国寺や大塔といった仏教的要素が取り壊され、山内に存在する建物は神社に関するもののみとなった。




本社社殿の背後に鎮座する「若宮殿社本殿」及び「若宮社本殿」
他の摂社や総門などと共に国の重要文化財に指定されている

 石清水八幡宮の本社社殿群は、石積みの基壇上に南面して築かれている。「本殿」および「摂社武内社本殿」を「瑞垣」によって囲繞し、その正面には「幣殿及び舞殿」と「楼門」を一直線上に配して中軸とする。楼門の左右からは「廻廊」を巡らして本殿域を取り囲み、その東側と西側にはそれぞれ「東門」と「西門」を開いている。また本社社殿群の裏手には各種摂社を配し、その全体を築地塀で囲んで四方に総門を設ける。これらの社殿構造は11世紀前半には既に成立していたと考えられており、鎌倉時代の「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」や南北朝時代の「石清水八幡宮曼荼羅」に描かれているものとほとんど変わっていない。平安時代の神社建築を今に伝える例として、非常に貴重な存在である。




楼門の拝所から幣殿及び舞殿越しに望む本殿
本殿の蟇股や瑞垣の欄間には極彩色の彫刻が施されている

 本社社殿群のうち、「本殿」は切妻造の内殿と流造の外殿を相の間で前後に接続した八幡造であり、いずれも檜皮で葺かれている。両殿共に桁行十一間、梁間二間と規模が大きく、現存する八幡造の中では最古かつ最大のものだ。両殿共に内部平面は桁行三間の内室を三室ずつ並べており、そのうち中御前には誉田別尊(ほんだわけのみこと)こと応神天皇、西御前には比淘蜷_(ひめおおかみ)こと宗像三神、東御前には息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)こと神功皇后を祭神として祀っている。本殿の周囲には刎高欄付きの縁が巡らされており、左背後には応神天皇と神功皇后に仕えた武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る「武内社本殿」が寄りそうように付属している。




参詣時の着座所として利用されていた廻廊の南側

 「幣殿及び舞殿」は、東西棟の幣殿と南北棟の舞殿を接続し、内部を一体の四半石敷きとして周囲を吹き放す特殊な様式だ。「楼門」は一間一戸の楼門で、向唐破風付きの拝所を設けている。中軸を担う建物が檜皮葺である一方、「東門」と「西門」は本瓦葺であり、四脚門に庇を葺き下ろした形式を採る。「廻廊」もまた本瓦葺で、楼門から東西門に至るまで桁行十三間を折れ曲がりに接続し、両門からは桁行二十八間をコの字状に巡らせている。梁間二間の二棟廊の外側に一間通りの庇を設けて刎高欄付きの切目縁を巡らせるという、これまた特殊な様式だ。廻廊の南半分は貴人の参詣時に着座所とするなど礼拝施設としての性格を合わせ持っており、また北半分は祭典時に楽人の控所として用いられていた。

2017年05月訪問




【アクセス】

京阪電鉄京阪本線「八幡市駅」から徒歩約20分。
京阪電鉄京阪本線「八幡市駅」から京阪鋼索線(男山ケーブル)で約3分「男山山上駅」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

拝観時間、1月1日〜1月19日は不定期(1月1日は0時から)、1月20日〜3月31日は6時30分〜18時、4月1日〜9月30日は5時30分〜18時30分、10月1日〜10月31日は6時〜18時、11月1日〜12月30日は6時30分〜18時、12月31日は6時30分〜23時。

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