通潤橋

―通潤橋―
つうじゅんきょう

熊本県上益城郡山都町
国宝 2023年指定


 九州の中央部、阿蘇南外輪山の南側に広がる白糸(しらいと)台地は、四方を峡谷および低地によって囲まれているため河川から水を引くことができず、農業用水はおろか飲料水にも不自由するほど水に乏しい土地であった。通潤橋はそのような白糸台地を潤すべく、嘉永七年(1854年)に架けられた近世最大級の石造単アーチ橋である。緻密な高石垣の石橋と逆サイホン(高所から低所を経由して再び高所へと水を送る水路の仕組み)を一体化した極めて技術的完成度の高い水路橋であり、他に類を見ない近世水利施設の到達点を示す傑作として評価され、また江戸時代末期に九州で盛んに建造された石橋文化を象徴する存在でもあることから、土木構造物として初めての国宝に指定された。




五老ヶ滝川の下流側から見る通潤橋

 江戸時代、熊本藩は手永(てなが)と呼ばれる行政単位で地域を収めていた。江戸時代後期になると手永の主導による新規開発事業が活発となり、矢部手永(現在の山都町の西半分)でも惣庄屋(手永の責任者)の布田保之助(ふたやすのすけ)を中心に、白糸台地に農業用水を引いて新田を拓くべく「通潤用水」が計画された。保之助は天保四年(1833年)に32歳で惣庄屋(手永の責任者)に就いて以降、文久元年(1861年)までの間に道路や水路など200以上の土木工事を手掛けた人物である。通潤用水は「上井手(うわいで)」「下井手(したいで)」の二本の幹線水路から成り、そのうち上井手が五老ヶ滝(ごろうがたき)川を越えるために架けられたのが通潤橋だ。




通潤橋を建設する際に手永役人の詰め所であった「御小屋(おこや)」
中央下部には吹上樋(ふきあげどい)の石管が展示されている

 五老ヶ滝川の谷は30メートルの深さがあるが、当時の架橋技術では20メートルの高さが限度であった。そこで橋を水路の高さまで上げる開水路ではなく、できるだけ橋の高さを上げつつも「吹上樋」と呼ばれる逆サイホンを利用する工法が採用された。前例のない構造物であるため、ほぼ実物大の吹上樋の模型を用いて実験を繰り返し、落差による高水圧に耐えられる通水管を石管と漆喰によって開発した。また熊本城の石垣を参考にして橋脚を補強する鞘石垣の勾配を決めるなど綿密な設計が行われた。架橋工事は種山村(現在の八代市東陽町)の石工である宇一、丈八(後の橋本勘五郎)、甚平らが担当し、嘉永五年(1852年)12月に起工、嘉永七年(1854年)8月30日に竣工した。




熊本城の石垣のような反りが付いた鞘石垣で橋脚を補強する

 通潤橋は適度な硬さと加工しやすさを併せ持つ阿蘇溶結凝灰岩を用いて築かれており、橋長は約78.0メートル、幅は約6.6メートル、橋高は約21.3メートルの規模である。半円形のアーチを構成する輪石は0.9メートルの厚さがあり、アーチの両側に切込接(きりこみはぎ)で扇状に積んだ壁石を築いている。橋の幅と比べて高さがあるので、反りが付いた鞘石垣で輪石の根元を覆って補強し、橋脚部を広げて安定させている。この鞘石垣によってアーチの基部が隠れているが、通潤橋の設計図である『通潤橋仕法書』によると五老滝川の水面より二間高い両岸の岩盤から輪石を積み上げており、アーチの径間は15間3尺(約28.1メートル)であり、これは露出部から推測される寸法とも一致する。




通潤橋の上部には三列の通水管が通る
通水管が複数あるのは破損や修復時にも送水機能を維持するためだ

 通潤橋の躯体内部は城郭の石垣内部に詰められる栗石(小石)ではなく、比較的大きな割石を積み上げた「裏築(うらつき)」と呼ばれる石積になっている。この内部構造は平成三十年(2018年)の大雨により壁石の上部が崩落する被害によって判明したもので、通水管の重さによって橋が沈み込まない強度を実現するための構造と考えられている。各通水管は約三尺角の石材に一尺角の穴を穿ち、その周囲に二重の溝を廻らしており、水漏れ防止のためこの溝に特殊配合の漆喰を詰めて接合し、裏築の上に円礫(丸い小石)で水平を調整して板石を敷き並べ、その上に通水管を乗せている。また中央部には土砂を吐き出す放水口が設けられており、そこからの豪快な放水は通潤橋の名物となっている。




吹上樋の入口にあたる取水口
水は約7.6メートル下って通潤橋を渡り、約6.5メートル上って吹上口に出る

 通水管の両端に接続する取水口と吹上口は吹上樋の入口と出口であり、いずれも石積で築かれ底面は石敷とする。取水口には通水管の各列に対応した「本井出通り砂蓋(さぶた)」と呼ばれる制水門を三基、「水落シ砂蓋」と呼ばれる余水排出の吐水門を二基設け、また吹上口には一基の吐水門を設けている。吹上口の南側に建つ「御小屋」は通潤橋の建築時に現場監督を担った手永役人の詰め所であり、竣工後は施設の維持管理に関する集会所として利用されてきた。その周囲には通潤橋に関する石碑も現存し、これら御小屋一棟、石碑二基、御試吹上樋(おためしふきあげどい)一所、関係文書二冊(『通潤橋仕法書』および『南手新井手記録』)も通潤橋の附けたりとして国宝に指定されている。

2014年09月訪問




【アクセス】

・熊本市中心部「桜町バスターミナル」から熊本バス「通潤山荘行き」で約1時間40分、「通潤橋前バス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

・拝観料:橋の下は無料。橋の上は高校生以上500円、小中学生200円。
・拝観時間:橋の下は散策自由。橋の上は放水日のみ10時〜15時。

【参考文献】

・「月刊文化財」令和5年10月(721号)
通潤橋|国指定文化財等データベース
【通潤橋の『国宝』指定答申のお知らせ】/山都町
重要文化財「通潤橋」保存修理工事(7)裏築の内部と今後の修理/山都町
通潤橋 - 心も潤す虹の架け橋

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