巡礼5日目:オモン・オーブラック〜ナスビナル(26.5km)






 朝6時半、食堂のテーブルには私とオーノ、クリスティーナがいた。フランスパンをもしゃもしゃ食べている私に、お茶を飲まないかとクリスティーナが勧めてくる。ありがたく頂戴し、カフェオレ・ボウル(フランスではコーヒーや紅茶などは小さいボウルに入れて飲む。固いパンを液体に浸して食べる文化があるからだ)に注がれたお茶をガブガブと飲んだ。ほのかにレモンの風味がしてとてもおいしかった。

 朝食を食べ終えた私は、二人にお礼を言って食器を片付けると出発の準備に取り掛かった。宿を出たのは7時半。今日もまた少し早目の出発だ。


オモン・オーブラックの町を出る

 鉄道の線路をくぐってオモン・オーブラックの町を出ると、巡礼路は早くも未舗装の道に差し掛かる。今日は珍しく朝から太陽が顔を出しており、道が白く輝いていて美しい。自分の影と共に歩くのは、随分久方ぶりな気がした。


今日は影くっきりで気分が良い


この辺りは平坦な牧場の道だ

 町から出る時にはやや急な坂道があったものの、それを登り切ってからはほぼ平坦な歩きやすい道となった。気分良く鼻歌なんぞを口ずさみながら道を行く。四日目という事もあってか、すっかり体が巡礼のペースに慣れたようで足取りも軽い。

 一時間程歩いた所でラ・シャーズ=ド=ベール(La Chaze-de-Peyre)という集落に到着した。小さな村だが、そのずっと手前から目視できる教会の尖塔が印象的だ。


教会の尖塔がそびえるラ・シャーズ・ド・ベール


この辺りではキノコの彫像をよく見かける

 朝という事もあり、村は静まり返っていた。聞こえる音も、玄関の前を掃除していたおばさんのホウキくらいなものである。そのおばさんの家の門には、キノコを象った彫像が飾られていた。巡礼路序盤、このオーブラック周辺では同じようなキノコの像を何度か見かけたので、おそらくキノコがこの地方の特産品なのだと思う。

 舗装道路をてくてく歩いて行くと、道の向こうに礼拝堂が見えた。車道と車道が合流するT字路の真ん中にポツンと建っている。小ぢんまりとした礼拝堂ではあるが、なかなかかわいらしい。


交差点の中に建つ小さな礼拝堂


その先にあるラスブロ集落

 礼拝堂からさらに車道を行くとラスブロ(Lasbros)という集落に出たので、そこでしばしの休憩を取った。ラスブロからは車道を外れ、再び未舗装の農道となる。木々に囲まれた道を進んで行くと、前方に昨日オモン・オーブラックの町に入る直前に見かけたご夫婦がいた。

 奥さんは今日もまた二本の杖を突きつつ歩いている。平地ではまったくもって普通に歩けているが、上りに差し掛かるとやはり頻繁に足を止め、深呼吸を繰り返していた。心臓があまり良くないのだろうか、または呼吸系だろうか。いずれにせよ、少し無理をしているように見えた。


奥さんが少し辛そうな、昨日のご夫婦

 私は「ボンジュー」と挨拶してそのご夫婦を追い抜く。返してくれた言葉は今日も「ハロー」だった。

 高原のオーブラックは牧畜が盛んな土地で、牛乳やチーズが有名だ(加えて前述のキノコもか)。これまでにも牧場はたくさん見てきたものの、山が比較的険しい地域だった故か、それらは山の傾斜が緩やかな箇所を選んで切り拓かれており、どちらかというと森林の中に牧場が散在している感じであった。しかしここから先は険しい山がなくなり、その為どこでまでも続く壮大な牧場景観を見る事ができる。


突然木々が少なくなり、視界が開けた


ここから先はどこまでも続く牧場の道を行く


低地には川や湿地も多い

 石垣が丘を越えて続くこの地域の風景は、何か心を打つものがある。まさにこの牧場こそ、「ル・ピュイの道」序盤を代表する景観だと言えるだろう。ただ木々が少ない為か風が物凄く強く、寒いは体が飛ばされそうになるはで大変な道のりでもあった。

 吹きすさぶその風は低く立ち込める雲を続々とこちらに運び、太陽もまたその中へと隠れてしまった。太陽光を失ったオーブラックの牧場は、フリースとレインウェアを着込んでも相当な寒さを感じる程である。


フィネロルという集落で昼食を取る

 途中にあったフィネロル(Finieyrols)という集落にはトイレがあり、その近くにテーブルが設置されていたのでそこで昼食にした。メニューはフランスパンとバナナ、それと今朝出発する際にジョンさんから頂いたブロック状のシリアル的なものを食べた。集落内でも相変わらず風は強く、食料袋のビニールが飛ばされてそれを追いかけるという、間抜けな姿を晒してしまった。

 昼食を食べている最中に二本杖のご夫婦に抜かされていたらしく、フィネロルを出た直後に再度その姿を前方に見た。私は歩くのが特別早いというワケではないが、それでも、まぁ、平均ぐらいな速度だとは思っている。上り坂で立ち止まりがちなこのご夫婦にして、はかなり早いペースで進んでいるんだなと思った。


眺めの良い下り坂で二本杖ご夫婦と再会

それにしても、素晴らしい景色である

 石がゴロゴロしていて足場の悪い牧場の道をひたすら歩く。途中で車道と合流したが、その際に地図の道とは違う方へ誘導する矢印があって迷った。結局は地図を信じて車道を南に進んで行くと、リュトール(Rieutort)という集落に到着する事ができた。おそらく先ほどの矢印は別の派生ルートか、または巡礼路から少し離れた所にあるジットへの案内だったのだろう。巡礼路にはこのような紛らわしい矢印も少なくない。

 このリュトールの集落では、路肩の芝生に腰を下ろして昼食を取るジョンさん夫妻と再会した。私が見ていなくても、みんなそれぞれちゃんと自分の道を進んでいるのだ。その事実を改めて確認すると共に、同じ道を共有している人がいる事を心強く思う。


なんとも味のあるリュトールの水場


広い車道の路肩を歩いて行く

 リュトールからはアスファルト敷きの舗装道路となるが、その道路の路肩は砂敷きであり、そこを歩けるようになっている。ここ以外でも、車道を行く場合は道路の脇が歩けるようになっている場合が多い。場所によっては、できるだけアスファルトでなく土を踏もうと巡礼者たちが路肩を歩いた結果、道路横の草むらが踏み締められ道になっている時もある。皆、アスファルトは嫌いなのだ。


川に架かるアーチ橋がカッコ良い


牧場には黄色い花が咲き乱れていた

 橋を渡ったら、巡礼路は再度石垣に囲まれた未舗装の道となる。左右に広がる牧場には黄色い花が咲き乱れ、寒いながらもちゃんと春らしい風景を作り出していた。

さらにいくつかの集落を過ぎ、15時にナスビナルという町に到着。今日はこの町に泊まろうと、オフィス・ド・ツーリズモでジットの位置を聞く。裏路地の分かり辛い所にあったので少々迷ったが、なんとかジット・コミュナルにたどり着く事ができた。


牧場の先に見えたナスビナルの町


なかなか良い雰囲気の町である

 ジットの入口に掲げられていたベッド使用状況のボードを見ると、一階の二部屋は既に予約の客で埋まっていた為、私は空きのある二階の大部屋へ行く。……が、その部屋の扉を開けてみると、そこには見事女の子しかおらずびっくりした。

 ひょっとしてここは女性専用の部屋かとも思い慌てて出たが、いやいや、ジットは男女相部屋なはずだと思い直し、意を決してえいやと再突入。「ベッド使って良い?」と聞くと「もちろん」との事だったので、一番奥のベッドを取った(女の子たちは入口付近にたまっていたので、少し遠慮したのだ)。

 夕食を調達しようと、町の目抜き通りにあったスーパー(と言っても、雑貨屋に毛が生えた程度のものだが)に入った所、入口の正面にオーブラックの地ビールや地ワインが陳列されていた。うん、これは良いぞと、黒と白の地ビールを一本ずつ買って宿で飲む。黒は苦みと少々の酸味があり、白はパンのような香ばしい香りがした。どちらもうまい。


オーブラックの地ビール

 夕方、ジットのマダムがやってきたので宿泊料14ユーロを払ってスタンプを貰う。その後は夕食だ。キッチンのコンロが四口とも使用中だった為、とりあえず加熱のいらない野菜を食べる。良く分からない野菜をテキトウに買ったのだが(おそらくルッコラだったようだ)、これが苦くて辛くてしかも量が多くて完食するのが大変だった。塩だけで食べたのが間違いだったのかもしれない。

 この宿には昨日の宿でも一緒だったジョンさん夫妻やオーノ&クリスティーナ、そして道中で度々見かけた二本杖奥さんのご夫婦もおり、夕食は会話が弾んで大変賑やかなものとなった。5月1日はメーデーなので、お店は全部閉まってしまう。フランスではメーデーには小さな白い花を飾るなど、大変興味深い、有益な情報をたくさんいただいた。さらにジョンさん夫妻からは、余ったからとライスやツナなどをわんさかいただいた。さっきのルッコラも合わせ、これで満腹である。

 顔見知りのメンバーが集まり、いつも通りに食事を取って、いつも通りに談笑して、いつも通りに床に就く。巡礼の生活サイクルにようやく慣れ、ますます楽しくなってきた。それだけに、まさか翌日の朝にあんな悲劇が待っているとは、全く思いもよらなかった。