巡礼18日目:ロゼルト〜モアサック(24.0km)






 明日から向こう三日分のジットを決めた私は、その旨をジョンさんに報告した。ジョンさんは分かったと言ってガイドブックを受け取る。実は昨夜のうちに決める事ができず、今朝になってかなりテキトーな感じで決めたのだが、まぁ、仕方あるまい。それがどんな宿であれ、ジットが確保できているという安心感が得られるのはありがたい事だ。

 今朝の朝食は、昨日の夜に茹でたスパゲティの残りである。その私の朝食を見て、マイティさんはまるでディナーのようだと言っていた。スパゲティは確かにその通りの分量があり、全部完食した私は朝から腹がはち切れそうである。


パン屋が開いていたのでバゲットを買った

 ロゼルトの町を出ようと坂を下っていると、その途中にパン屋があるのを見付けた。既に開いているようで、フランスパンを求めて入ってみる。……が、店内に人はおらず、僅かに気配がした奥の工房に何度も声を掛け、ようやくバケットを売ってもらう事ができた。朝の忙しい時間に申し訳無いが、焼き立てパンの魅力には叶わない。


ロゼルトの丘を後にする

 丘を下りた後は、緩やかに上る畑の道となった。途中にはこれまでの道では見る事がなかった溜池が存在しており、やはり地域の移り変わりと共に、農業の形態も変化しているのだなと実感する。

 坂を上り切った所には、高床式のかわいらしい建物が鎮座していた。これもまた、これまでには見た事のない形態の建築である。元は高床式倉庫だったものを礼拝堂に再利用したのか、それとも元から高床式に作られた礼拝堂なのか。それは分からないが、いずれにせよそのプリミティブな形状より、かなり古い時代のものなのではないかと思う。

 なお、これは巡礼を終えてからかなり経った後に知ったことであるが、この建物は礼拝堂でも高床式倉庫でもなく、この地方における伝統的な鳩小屋であった。


小ぢんまりと建つ高床式の鳩小屋


ネズミ返しもバッチリ装備


屋根の装飾もかわいらしい


この床穴に梯子をかけて登るのだろう

 伝統的な鳩小屋からポプラの綿毛が舞う山道を下りていくと、今度は石造の小さな教会が姿を表した。こちらはサン=セルナン教会だ。

 その内部に掲げられている展示情報によると、この教会はかつて屋根が抜け落ちるくらいに荒れ果てていたが、近年、地元有志の協力を得て修復したのだそうだ。古くから巡礼者を見守ってきたのであろうこの教会、朽ちるがままに放置せず、見事復活させた地域の人々に多大なる賛辞を送りたいものである。


修復されたサン=セルナン教会


内部にはわずかではあるが壁画も見られた

 サン=セルナン教会を出た後は林の道を抜け、麦畑の丘を越え、さらには菜の花畑やリンゴ畑といった多様な作物の畑を横切った。

 ここ数日続いている晴天は今日も相変わらずであるが、昨日帽子を買っておいたお陰で暑さに関しては幾分楽だ。こまめに休憩を入れて水を取りつつ、景色を楽しみながらのんびり歩いて行く。


麦畑の中を行く巡礼路


奥には菜の花畑も見える


いくつかの溜池を横切ってその先へ


サン=マルタンという集落に到着した

 12時半に私はサン=マルタン(St-Martin)の教会前で昼食を食べた。その少し前に立ち寄ったデュルフォール=ラカプレット(Durfort-Lacapelette)のスーパーでカマンベールチーズとオレンジ、それと500mlの缶ビールを買っておいたので、それらを頂く。

 最初は草むらに座ろうとしたのだが、なんだか嫌な臭いがしたので教会を取り囲む壁の陰に腰を下ろした。壁の裏は墓地であり、それはそれで何となく落ち着かない感じではあるが、まぁ、致し方ない。もっとも、ビールを飲み終えた頃にはそんな事はどうでもよくなっていたのだが。随分よく回るビールだなと思ってラベルを見ると、それは普通のビールではなくアルコール度数7%のストロングビールであった。


酔っ払ったままサン=マルタンを出る


車道沿いの道をふらふら歩いた


しんどい中での山登りである


丘の上の道は遮蔽物が無くて汗だくだ

 サン=マルタンからは坂を下りてしばらく平地を歩き、そして再び丘を登ってその尾根沿いの車道を歩く。ここまで来るとすっかり酔いは覚め、代わりに疲れがどっと噴き出した。焼け付くような暑さの太陽光に体力を奪われながら、ただひたすらに歩いて行く。

 丘の道を歩いた後は、下り坂である。この坂を下り切ってしばらく進めば、本日の目的地であるモアサック(Moissac)に到着する。モアサックはフィジャックやカオールなどと同じくらいの規模がある町で、この「ル・ピュイの道」で立ち寄る中ではかなり大きな都市である。今宵の宿はジョンさんが昨日のうちに予約してくれたのでベッド確保の心配無いものの、大規模な町だけに宿を見つけ出せるかが少々心配であった。

 そのような中、坂を下りきった所にある広場の木の下で、ジョンさんとマイティさんが休憩を取っているのが見えた。おぉ、これは渡りに船である。当然ながら彼らもまた同じ宿に泊まるはずなので、一緒に行けば宿が見つからないという心配はない。……というか、どうもその様子から察するに、お二人は私を待っていたようである。ジョンさんは私の姿を見るや否やこっちへ来なさいと促し、例のガイドブックと携帯電話を取り出して「これから君のジットを予約するから」と言った。そして今朝私が列挙したジットに一軒ずつ電話を掛け、そのすべての予約をあっという間に取ってくれた。


ジョンさんたちは対日光の秘密兵器を投入した

 私はジョンさんに謝辞を述べて握手を交わすと、一緒にモアサックへ向けて歩きだした。ジョンさんとマイティさんは共に傘を差して日除けとしている。それはただの傘ではなく、腰のベルトに装着する事ができるフリーハンドの傘である。

 この傘は、お二人が今回の巡礼に出るにあたり、娘さんがドイツから取り寄せてプレゼントしてくれたものなのだそうだ。手ぶらで傘を差しながら歩く二人はなかなか快適そうである。世の中には便利なものがあるものだ。


合流後、30分程歩いてモアサックに到着


予約のジットは修道院を改装した所だった


丘の上なのでモアサックの町が一望できる

 ジョンさんもまたジットの場所を正確には把握していなかったようであるが、道行く人にその場所を尋ねつつ、何とか無事たどりつく事ができた。それは結構入り組んだ丘の上にあり、たぶん私一人では見つける事ができなかっただろう。本当、お二人には感謝しっぱなしである。

 ジットに荷物を置いてからは、いつものごとく町へ出た。目指すはモアサックの中心、サン=ピエール修道院である。この修道院の付属教会とその回廊は、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成要素である。


堂々たるサン=ピエール修道院付属教会


その南側入口のタンパン彫刻

 このサン=ピエール修道院付属教会は、12世紀に建立され15世紀に拡張された、ロマネスク様式の教会である。キリスト再臨の様子が描かれたタンパン(入口上部)の彫刻と教会の北側に隣接する回廊は、ロマネスク芸術の完成型と称され、著名である。


下部と上部の材質の違いに増築の変遷がうかがえる


回廊は精巧な彫刻で飾られている


繊細かつ優美な回廊から教会を眺める

 付属教会の回廊をうろうろしていると、突如後ろから声が掛けられた。昨日もこんな事があったなぁと思いながら振り返ると、やはりそこにはKさんが立っていた。……と、その横にはもう一人、日本人女性の姿が。あ、ひょっとして……。

 そう、その方こそ昨日Kさんが言っていた三人目の日本人、Rさんであった。まさかこの「ル・ピュイの道」で、日本人が三人、一堂に会する時が来るとは。いやはや、驚きである。我々はしばらく会話をした後、近くにいた人に写真を撮ってもらった。めったに無いであろう出来事なだけに、これは記念になる。

 私は二人と別れた後も回廊に残り、見学を続けていた。彫刻や展示品などをなめ回すように見ていると、あっという間に時間は過ぎ、程なくして閉館時間の6時になってしまった。しょうがないので回廊を後にし、今度は教会の内部に入る。


内部は思ったより明るく、華やかだった

 教会ではちょうどミサが始まったところであり、シスターさんと数人の参加者が前列の椅子に座っていた。天井の高い堂内に響く荘厳な歌声を聞きながら、私はミサの邪魔にならないように見学する。とは言え、やはり神聖なるミサの最中に観光客がうろうろしているのはいかがなものかと思ったので、早々に切り上げる事にした。

 このモアサックには、修道院以外にも個人的に興味を引くモノがもう一つあった。それは、フランス南部を横断するミディ運河である。17世紀に舟運の道として開削されたミディ運河は、地中海に面したトー湖からカルカッソンヌ、トゥールーズを経由し、トゥールーズからはガロンヌ運河と名を変えてこのモアサックを横切り、大西洋沿岸のボルドーに至るのだ。そのうちトー湖からトゥールーズまでの区間は世界遺産でもある。

 このモアサックを含め、トゥールーズから先の区間は後世に拡張された為か世界遺産ではないものの、やはり一度は見ておくべきだと思っていた。


様々な国の船が繋留されているモアサック港


並木に縁取られた美しい運河だ


各所に閘門を設けて水位の調整を行っている


運河では釣りを楽しむ人も

 運輸が舟運から陸運に変わった現在もなおこの運河は現役で、モアサックの港にはクルーズを楽しむ人々の船が数多く繋留されていた。その船籍は様々で、ヨーロッパ中から来ているようだ。自転車を積んでいる船も多く、各地で船を泊めてはサイクリングや観光を楽しむといった旅行をしているのだろう。

 私はその運河に沿って、1kmばかり歩いてみた。途中には閘門が数多く設けられており、そこに水を注ぎ入れる事でいわば水のエレベータとし、高低差のある運河の下流から上流へ舟を行き来させるという、運河の仕組みを学ぶ事ができた。


色々見ていたお陰ですっかり夕食が遅くなってしまった

 日本より緯度の高いフランスは日が沈むのがかなり遅い。だいぶ影が長くなってきたので何時だろうと思い時計を見るてみると、なんと既に20時近くになっていた。私は慌てて宿へと戻り、さっとシャワーを浴びてから食堂に向かう。ジョンさん夫妻を始め、自炊組のメンバーは既に食事を終えていた。

 スパゲティを茹でていると、マイティさんが残ったお惣菜を分けてくれた。鴨肉とジャガイモの炒め物的な料理である。いつものスパゲティに加え、なかなか華やかな晩餐となった感じだ。ちなみにワインは、カオールのものである。「カオール・ブラック」の赤ワインはガッツリくる渋み強めな味わいで、とてもうまかった。

 食事を終えた私は皿を片づけ、ほろ酔い気分で食堂から出た。回廊向かいのテーブルには、非自炊組の面々が談笑しつつ宿の夕食を取っているところであった。その中には、あのKさんの姿も見える。どうやらKさんもまた、この宿に泊まっていたらしい。臆することなく、アグレッシブにフランス人とコミュニケーションを取っているKさんを少し羨ましく思いながら、私は部屋へと戻った。