巡礼20日目:オヴィラール〜レクトゥール(32.5km)






 ここに来て、切実な問題が一つ発生していた。お金が無いのである。気が付いたら、財布の中にはもはや10ユーロ札が一枚しか残っていない。そしてこの町にはATMが存在しないのだ。モアサックで下ろしておくべきだったなと後悔するも時既に遅し。本日訪れる町にATMが無ければ完全に詰みな状況である。10ユーロでは宿に泊まる事もできない。

 今日の目的地はレクトゥール(Lectoure)という町である。地図で見る限り、このオヴィラールよりも大きな町だろうとは思う。銀行の一つや二つある事だろう。そう信じたい。ちなみに、オヴィラールからレクトゥールまでは30km以上の距離がある。今日は少し気張って歩かなければならないようだ。


円形の建物では市場の準備が行われていた

 距離が距離なので、今日はいつもよりだいぶ早目の7時に私は宿を出た。町の広場まで来ると、円形の建物を囲うようにトラックが集まっており、野菜などの荷物を下ろしていた。別の人は、パイプを組み立てて机のようなものを設営している。あぁ、なるほど、この建物は市場だったのか。そういえば、今日は日曜日であった。……ん、日曜日?少し嫌な予感がする。まさか日曜日はATMが使えないなんて事は……いや、そんな。

 一抹の不安を抱えたまま、私はオヴィラールの町を後にした。坂を上がり、見通しの良い視界の開けた畑に出ると、前方にKさんの姿が見えた。しかし、Kさんは私よりも歩く速度が早く、追い付く事はできない。自分に最適なペースは自分が一番良く知っているものなので、あえて歩行速度を上げるような事もしない。


オヴィラールを出てからは畑の道だ


サイロだろうか、塔のような石造の建物が見える

 今日は空に薄曇がかかっている為、日が昇ってもさほど暑くならず快適である。まだ作物が植えられていない畑の中の道を行くと、その途中の路上にシロツメクサの花で「20」と書かれているのを発見した。


シロツメクサの「20」

 巡礼路では、小石や松ぼっくりなどで矢印や文字を書いているのを時々見かける。後からやってくる巡礼者に正しい道を知らせたり、メッセージを伝える為のものだ。これもまた、その一つなのであろう。

 くしくも、今日は私が巡礼を始めてから20日目である。その事を祝われているようで、ちょっと嬉しかった。


サン・タントワーヌという村に来た

 程無くして、サン・タントワーヌ(St-Antoine)という村に到着した。ここはそれほど大きな村ではないものの、立派な塔門が構えられていたりとなかなか良いたたずまいである。

 教会前のベンチに座って休憩を取っていると、ピエールさん夫妻が追い付いてきた。彼らとカタコトの英語で会話をしながら村の通りを歩いて行くと、ふと一人の男性が近付いてきてピエールさんに何やら話しかけた。何だろうと思いながらそのやり取りを見ていると、ピエールさんは私にジェスチャーで「こっちに行こう」と伝えてくる。私は不思議に思いながらも、先を行く男性とピエールさん夫妻の後に続いた。

 我々が連れて行かれたのは、一軒の民家であった。その中は薄暗く、様々な工具が並んでいる。奥の机には、一人の男性がペンチを使って鎖を編む作業をしていた。なんとここは、チェーンメイル(鎖帷子)職人の工房だったのだ。


鎖を編む職人さん


ノリノリでコイフを身に着けるピエールさん

 ピエールさんに続いて私も装着してみたのだが、これがまぁ、なんともサマにならない。こういうものは、やはり欧米人の方が似合うようである。しかし、チェーンメイルなどというゲームでしか耳にした事が無いようなものを実際に被る事ができたのは、なかなか貴重な体験であろう。いまだその技術が受け継がれているという点も興味深い。この工房では、チェーンメイルの技術を用いて装飾品をメインに作っているようである。

 工房を出た後、ピエールさんご夫妻はカフェで休憩すると言う。私もどうかと誘われたが、財布の事情もあるので遠慮させていただき、私は先を急ぐ事とした。


麦畑を吹き抜ける風が気持ち良い


道中には休憩所が用意されていた

 麦畑に囲まれた緩やかな坂を上って行くと、フラマラン(Flamarens)に到着した。ここはサン・タントワーヌ以上に小さな村……というか集落なのだが、その中心には立派な城と教会の廃墟が隣接して建っていた。かつての有力者が建てたものだろうか。

 その広場でKさんが休憩していたので挨拶を交わす。私はとりあえず教会跡と城が気になったので、それらを見学する事にした。


屋根が抜け落ち、壁だけが残っている教会だ


かつては彩色が施されていたのだろう


なんとも諸行無常な感じである

 私が教会の廃墟から外に出ると、そこには身なりの整ったスーツ姿の老人が立っていた。その老人は流暢な英語で「中国人ですか」と聞いてくる。「日本人です」と答えると、おもむろに握手を求められた。

 なんとこのご老人は、かつて日本のフランス大使館に勤めていたのだという。日本に滞在していた時には京都など様々な場所へ行ったらしい。現在はこの村の代表的な事をしているようである。このような小さな村にそのような大層な人物がいるとは、いやはや、凄いものだ。


教会の隣に建つフラマランの城

 ご老人との会話は弾み、途中からはKさんも加わって様々な話を聞く事ができた。通常は閉ざされている城の門も開けてくれ、庭先にまで立ち入らせてくれた。ご老人の話では、この城を修復していた人がいたのだが、最近になって亡くなってしまったのだそうだ。

 その老人と別れた後、私はそのままの成り行きでKさんと巡礼路を歩く事となった。Kさんはイギリスにホームステイしているとの事で、イギリスを始めヨーロッパ各地について色々な情報を聞く事ができた。ヨーロッパについてはさほど知識の無い私にとって、なかなか興味深い話が多く楽しかった。


平坦な車道脇の農道を歩く


本日の中間地点、ミラドゥーに着いた

 私たちがミラドゥー(Miradoux)に到着したのは、11時を過ぎた頃であった。そこそこ大きな町だったので、もしやと思い周囲を見渡したら、やはりあった。スーパーの横に、ATMがちょこんと据えられている。しかも、私の国際キャッシュカードが使えるタイプのものだ。よし、これは素晴らしい。

 私は早速カードを挿入してお金を引き出した。パスコードと金額を打ち、現金が出てきた時には心底ほっとした。財布の厚さが増して少々気が大きくなった私は、隣のスーパーに飛び込み昼食とビールを二本を購入した。この町を出てしまうと休憩できるポイントがあるかどうか分からないので、少し時間は早いがここで昼食を取るとしよう。

 教会ではちょうど日曜ミサが行われていた所で、Kさんはそれを見に行っていた。私は教会前のベンチでビールをあおり、楽しい気分になる。いやぁ、至福のひと時だ。レクトゥールまではまだ15km程あるが、まぁ、そんなものは何とかなってしまうものである。


金融会社勤めの青年と歩く

 ミラドゥーを出ようとしたその際、フランス人の青年に声を掛けられ、Kさんと合わせて三人でしばらく歩く事となった。この青年はジョンさん夫妻と同じブルターニュから来たそうだ。金融会社で働いているとの事で、英語も達者である。


この地域には教会や城の廃墟が多いようだ


途中の村の町並みも美しい


相変わらず麦畑が多いが、違う作物も結構見られる


麦畑の向こうにレクトゥールが見えた

 16時少し前、私たちはレクトゥールの町に着いた。思っていたより少し早目の到着である。レクトゥールはロゼルトやオヴィラールと同様、丘の上に作られた歴史のある町だが、規模はそれらと比べて二回りくらい大きい。大勢の人々で賑わう、活気のある町である。


日曜日という事もあり、特別な催しが行われていたようだ


町の中心に建つ教会も非常に立派である


ミサが行われている最中だった

 私はジョンさんが予約してくれたジットの場所を聞くべく教会前のオフィス・ド・ツーリズモを訪ねたが、残念ながらその扉は閉ざされていた。まぁ、日曜日だし当然か。しょうがないので、自力でジットを見つけるべく通りを進む。


なかなか整った美しい町並みである


いずれも昔からある建物なのだろう


キュートな意匠の建物が多い町だ

 丘の尾根沿いを緩やかにカーブしながら続く目抜き通りには、歴史ある石造の建物がどこまでも連なっていた。個々の建物の意匠も面白く、「フランスで最も美しい村」に認定されているロゼルトやオヴィラールと比べても全く引けを取らない、むしろそれを上回る町並みである。

 しかし、レクトゥールは「フランスで最も美しい村」の認定は受けていない。それは人口が2000人を越えている為であろう(人口が2000人以下が「美しい村」に認定される条件の一つなのだ)。だがまぁ、レクトゥールの知名度は結構高いようで、町には巡礼者以外の観光客も多々見られた。まぁ、これだけの町並みならそりゃそうなるよな。


丘の斜面は石壁に覆われ、まるで城塞のようである


その一角には、古い貯水施設も現存していた

 無事宿を見つけベッドを確保した後は、いつものごとく町の散策である。規模が大きいだけあって見学のしごたえがあり、長距離歩いた今日の行程と相まって、少々疲れた感じである。

 夕食は一組のご夫婦と同席してスパゲティを食べた。このお二人もまた、ブルターニュから来ているらしい。ジョンさん夫妻といい、金融青年といい、ブルターニュから来ている巡礼者はかなり多いようである。いや、たまたまそうだっただけかもしれないが。