巡礼36日目:スビリ〜パンプローナ(22.0km)






 朝食を取ろうとキッチンに入ると、今日もまた先客としてシンさん姉妹の二人がいた。そしてこれもまた昨日と同様、「食べて」と妹さんが私に鍋を渡す。蓋を開けるとおかゆがおいしそうに湯気を立てていた。私はお礼を言って頂戴する。しかし、こんな朝っぱらからご飯を炊くとは、いやはや、食事に対する気合の入り方が違うものである。


朝8時、ほとんどの巡礼者は既に出発済みだ

 私は今日も8時ちょうどにアルベルゲを出発した。「狂犬病橋」まで戻り、巡礼路に入る。相変わらず天気は良く、素晴らしく気分が良い。この調子でずっと晴れの日が続いてくれますようにと空に祈る。

 スビリを経ってすぐに、巡礼路は巨大なマグネシウム工場の敷地を横切った。山間に突如として現れるそのインダストリアルな光景は、中世の頃より続く巡礼路の景観とは対称を成している。周囲の牧歌的な風景と比べると、明らかに異形の存在であった。


突如目の前に現れるマグネシウム工場


巡礼路はその敷地を横切って進む


その先には石畳の道が続いていた

 なお、スビリから本日の目的地であるパンプローナ(Pamplona)までは、南北に流れるアルガ川沿いの道を行く。多少のアップダウンはあるものの基本的には平坦で、難易度的には昨日より下だ。途中に立ち寄る村の数も多く、休憩場所の確保も容易である。


川沿いに点在する集落を縫うように歩く


この辺りは集落、牧場、森の繰り返しだ

 スビリを出てから一時間半程でララソアーニャ(Larrasoana)という村に到着した。この村にもまた古い橋が現存し、その名も「山賊橋」と呼ばれている。かつてはこの橋で山賊が待ち伏せしており、巡礼者を襲っていたというのだ。

 昔のサンティアゴ巡礼は常に危険と隣り合わせであった。特にこのバスク地方は山賊が多く、山間部では数多くの巡礼者が山賊に襲われて亡くなったという。今でこそ、サンティアゴ巡礼路はこの「フランス人の道」がメインだが、かつては海岸沿いで山賊や野盗の危険が少ない「北の道」が主だったという。


14世に架けられたゴシック様式の「山賊橋」


村の中心には立派な教会が建つ(が、やはり内部は見れない)

 この村で休憩を取る人が多いようだが、特に疲れを感じていなかった私はスルーして先を行く事にした。ララソアーニャを出てからも、巡礼路は変わらず谷沿いを行く。しかし周囲の景観は微妙に変化があり、飽きずに歩く事ができた。


集落の景観も雰囲気がある


巡礼路沿いに転がる牧草ロール


犬を連れて歩くおじいさん巡礼者がいた

 ララソアーニャで休憩を取らなかった事で先行者に追いついたのだろうか。いつの間にか、私の周囲を歩いている巡礼者の数が増えていた。学生らしい若者のグループ、おじさんばかりのグループ、家族連れと、道行く人は様々である。その中でも特に、かわいい犬を連れて歩くおじいさん巡礼者が印象的だった。

 その途中ではカナリヤ諸島の男性やノルウェーの男性とも会った。二人とも、相変わらず愛想良く挨拶してくれる。また、知らない男性から「あなたがキムさん?」と声を掛けられたりもした。いや、まぁ、私の苗字は木村なのでキムと呼ばれる事もあるが、恐らくこの人が言っているのは別人だろう。「違います」と答えたら、キムいう名前の韓国人男性が歩いているらしいと教えてくれた。へぇ、欧米人の中で噂になるとは。キムさんとは、一体どのような人なのだろうか。


さらに行くと、巡礼者の数はますます増えた


途中の国道では一列になって進む


巡礼路は狭い場所もあり、巡礼者の数が多いと大変だ

 人が多いと賑やかで楽しいという利点はあるものの、やはりどうしてもペースを乱されがちである。特に狭い道では追い越しのスペースが無く、のろのろ歩いていると後ろがつかえて渋滞になってしまう。常に背後の人に気を配る必要があるのだ。

 私はこれが嫌なので、ちょっと巡礼者の数が多いなと感じたら、その都度休憩を取って人を流す事にしていた。


途中の集落には自販機が設置されていた

 ここに来て、私は初めて巡礼路上に置かれた自販機を目にした。これは「ル・ピュイの道」では一切見なかったものである。そもそもフランスには、防犯の問題の為か自販機を屋外に設置するという概念が無いのだろう。しかしスペインでは屋外に設置された自販機もそこそこあり、特に店の無い集落では重宝した。


これまた古そうな橋を渡り――


フランス人親子の二人と麦畑を行く

 ここでは、長い杖を携えたフランス人女性とその母親の二人組に出会った。母親の方は随分なお年のようであるが、私よりも早くスタスタ歩いて行く。帽子をかぶり長い杖を携えたお姉さんの格好と相まって、彼女たちもまた強く印象に残った巡礼者である。

 12時少し前、麦畑を越えた所にあった休憩所で昼食にした。青空の下でフランスパンを食べていたのだが、次第にジリジリとした熱さを感じたので木陰に退散した。空を見上げると、天高く上った太陽が強烈な輝きを放っている。昨日はそれほど暑くは感じなかったが、標高が下がった為か今日の日差しは結構キツイ。むぅ、これがスペインか。


途中から巡礼路は山道となった

 休憩所を後にすると、その直後から巡礼路は山道に入った。とは言え、道路に並行する道なのでそれほど苦労するワケではないが、最初の上り道だけは結構急で息が切れた。木陰が無いので容赦なく太陽に照らされ、登り詰めた時には汗だくである。

 そんな私の様子を知ってか知らずか、山道の途中で一人の男性が声を掛けてきた。缶ジュースが詰まったバッグを私に見せ、2ユーロで買わないかという。私は少し表情を曇らせ、いらないと断って先を急いだ。

 サンティアゴ巡礼路の中でも歩く人が飛びぬけて多い「フランス人の道」は、巡礼者相手に儲けてやろうと考えている人の数も多い。良く言えば便利なのかもしれないが、悪く言えば商売っ気が強いのだ。途中の村でならともかくこのような山の道で、しかも値段をふっかけた商売とは。……う〜ん、いかがなものか。


続いて大きな道路沿いの道となった

 山道を抜けると、幹線道路らしい幅の広い道路に出た。その下のトンネルをくぐって反対側へ行き、そこからその道路沿いに坂を下る。この道路といい、密集した建物の多い周囲の風景といい、大きな町に近付いている事を予感させる。

 事実、本日の目的地であるパンプローナは、地図上では大きな町として記されている。どのくらいの町なのかは知らないが、まぁ、それなりに大きな町なのだろう。スペインに入って初めての町という事もあり、少しだけわくわくする。


坂を下り切った所にも中世の橋があった

 この古橋は三位一体橋(Puente de Trinidad)という名が付けられており、袂の教会と共に12世紀に築かれたものであるという。拡張など後世に何度か手が加えられ、また1873年から1876年の間にカルリスタ戦争で中央部を破壊されたりもしたそうだが、しかし、うん、これは良い橋だ。今日は中世から残る橋をいくつか見てきたが、その中でもこの橋はその姿といい周囲の雰囲気といい、頭一つ抜け出た印象である。

 しばらく三位一体橋を眺めた後、さて行こうかと橋を渡る。するとその先の町並みは、これまで通過してきたスペインの村々からは想像できない程に規模が大きかった。あれ、もうパンプローナに入っちゃってたの?とも思った。


立派な建物が建ち並んでいた

 進んでも進んでも町並みが途切れず、むしろ道幅が広くなり道行く人々の数も増えていく。建ち並ぶ建物は非常にカラフルで、フランスの町並みとはまた違った愉快な趣きである。おぉ、これがスペインか!と、私は目を輝かせながら歩いていった。


……しかし、これはもう“大きな町”というレベルではない

 進むにつれ町の規模はどんどん大きくなり、私はようやくパンプローナという町について、認識が誤っていた事に気が付いた。パンプローナは“大きな町”などというレベルではなく、都会だったのである。しかも「ル・ピュイ・アン・ヴレ」や「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」などより遥かに大きい、大都会である。

 地図を見ると、パンプローナの中心部まではまだ4kmくらいの距離があった。えぇ、中心部の4kmも手前から既にコレって事?!私はひゃーと驚きの声を上げた。近くにあったスーパーでビールを購入し、これまた規模の大きな公園のベンチに座って飲む。巡礼を開始して以来こんな都会に来たのは初めての事で、ついつい取り乱してしまった。


大通りから脇道に入り、中心部を目指す

 なんとか落ち着きを取り戻し、パンプローナの中心部に向け歩みを再開したものの、すぐに矢印を見失ってしまい立ち往生した。付近を右往左往しているうちになんとか道標を発見し、ロータリー交差点を横断して横道に入る。いやはや、都会は道が分かり辛い。

 さらに住宅街の中を行くと、目の前に巨大な城壁が現れた。ようやく着いた、パンプローナの中核を成す旧市街である。道標が示す通りに橋を渡り、城壁をぐるりと迂回しながら進むと、そこには城門があった。


堅固そうな石造の城壁である


城門の前には跳ね橋もあり、気分が盛り上がる


旧市街の町並みも素晴らしい

 パンプローナの旧市街は、複雑に入り組んだ路地にカラフルな色彩の建物が連なり、長い歴史を感じさせるたたずまいである。それもそのはず、このパンプローナはかつてのナバーラ王国の首都であり、また現在もナバーラ州の州都である。そこらの町に毛が生えた程度の規模だろうと思っていた私を恥じたいくらいだ。

 またパンプローナは、ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」の舞台であり、中心広場にはヘミングウェイが常連だったというカフェも現存する。この作品の中で取り上げられた「牛追い祭り」は世界的に知られるようになり、テレビなどで牛に吹っ飛ばされて怪我する人々の様子を目にする事も多い。まぁ、とにかく有名な町なのだ、ここは。


「牛追われ祭り」もとい「牛追い祭り」の像もある


バロック様式の市庁舎。「牛追い祭り」の開会宣言はここで行われる


闘牛場ではなぜかオクトバーフェストが行われていた(5月なのに)

 さて、目的地に着いた後はとりあえず宿探しである。私は街角に立っていた標識を頼りに観光案内所(Oficina de Turismo)へ向かった。大きな町なので探し出すのに結構苦労したが、いざ入ろうとするとなぜかドアが開かない。時間を見ると15時ちょうど。あちゃー、シエスタの時間だったか。

 シエスタはスペイン特有の風習である。13時くらいから16時くらいまで、ほとんどお店が午睡の為に閉まってしまうのだ。フランスでも田舎ならランチタイムとして14時から16時くらいまで店が閉まる事があったが、スペインではパンプローナのような都会であっても、当然のごとくシエスタを取っていた。

 幸いにも観光案内所の窓に地図が貼られており、それで公営アルベルゲの場所を確認する事ができた。どうやら、カテドラルの近くにあるようである。


パンプローナのカテドラル
ファサードは18世紀の新古典様式だが――


本体は14〜15世紀のゴシック様式である

 カテドラルから一本入った路地にあった公営アルベルゲへ入り、「オラ」と挨拶して受付を済ます。ふとカウンターの上を見ると「Wi-fi」の文字が書かれていたので、「使えるの?」と尋ねると、受付のお兄さんは「はい」と言って紙にログインパスワードを書いてくれた。おぉ、これはありがたい。

 このアルベルゲは1782年に建てられたセミナリオ(学校)を改装したもののようで、なかなか趣のある建物である。しかしベッドルームは吹き抜けの二階建てで、おまけに学校だった為か音が良く響き、一階の人の話し声が筒抜けであった。まぁ、消灯後にうるさい人がいなければそれで良いのだが。


色んな意味でなんか凄い、パンプローナの公営アルベルゲ

 シャワーを浴び、シャツを洗濯し終えた私は、iPhoneを片手にWi-fiの電波が入りやすい場所を探しながら宿内をうろついていた。すると聞き覚えのある声で呼び止められたので、私はiPhoneから目を放し顔を上げる。そこには、もはやすっかり顔馴染みとなったあのノルウェー人男性がいた。

 そういえば、ノルウェーはカトリックではなくプロテスタントの国である。プロテスタントは聖人崇拝をしないので、サンティアゴ巡礼をする人はそう多くないはずだ。その事について尋ねてみたら、「僕もプロテスタントだけど、サンティアゴが重要な聖地なのは間違いないし、だから巡礼をするんだよ」と答えてくれた。まぁ、私のようなキリスト教徒ですらない日本人も歩いているワケだし、そりゃそうだと納得。

 この男性は日本の宗教についても詳しく、森羅万象に神が宿ると考える「神道」の考え方は素晴らしい、自分の中に仏があると考える「仏教」も凄い、などと言ってくれた。私は驚き、どうしてそんなに詳しいのかと聞いたら、「色々な宗教を勉強して良い所を取り入れたいんだ」との事である。うん、私もまたそれに賛成だ。

話題は日本の映画にもおよび、彼は黒沢明や小津安二郎の名前を挙げ「凄い映画だった」と褒めてくれた。日本の事についてここまで詳しく知ってくれているというのは、なんとも嬉しい事である。


スペインらしく、スーパーには生ハムの原木が山積みである

 市内観光をざっくり終えた私は、宿のお兄さんにスーパーマーケットの場所を聞き(スペイン語ではシュペルマルカードと言うのだとも教えてくれた)、買い出しに向かう。教えられた場所にあったスーパーの建物は、1876年の年号が掲げられていた。さすがは古都だ。

 夕食はいつも通り、宿のキッチンでスパゲティを茹でて食べた。ワインを開ける際にコルクを崩してしまい、しょうがないので鉄串でコルクを突っついたらワインが勢いよく吹き出し大変な事になった。まぁ、なかなかおいしかったので良しとする。

 ワインの酔いが回ったせいか、あるいは結構疲れていたせいか、食後にベッドで横になっていたらいつの間にか寝てしまっていた。寝る前には心配していた音のうるささも気にならず、朝までぐっすり熟睡である。