巡礼63日目:ポンフェラーダ〜ビジャフランカ・デル・ビエルゾ(31.0km)






 私は朝6時に目を覚ました。せっかくオスタルに泊まっているので今日はゆっくり起きようと思っていたのだが、なんだかんだでいつも通りの起床時間である。巡礼で身に染みついてしまった規則正しい生活習慣はそう簡単に乱せるものではないらしく、意識せずとも勝手に目覚めてしまうのだ。

 とりあえずのんびり朝食を食べ、テレビで天気予報をチェックしてから朝8時少し前にオスタルを出た。部屋のキーをどこに返せば良いのかと少し悩んだが、オスタルの受付窓口であるバルはこの時間から既に開いており、昨日受付をしてくれたおじさんマスターに手渡しでキーを返却する事ができた。


ポンフェラーダの旧市街を行く


今日もまた、なかなか気持ちの良い天気である

 ポンフェラーダの大通りを行き、町を抜けると郊外の住宅地といった雰囲気の道になった。基本的には車道沿いを行くのだが、途中には散水を行っている公園があったり、道沿いに並木が連なっていたりと、建物は多いものの景観の印象は悪くない。中には病院の建物を突っ切る場面なんかもあり、楽しみながら歩く事ができた。


病院の敷地を突っ切って行く巡礼路

 病院を抜けてからも、雰囲気は変わる事無くそのまま郊外の道である。周囲には少しだけ畑が見えてきたものの、それでも道沿いにはまだまだ建物の数が多い。国道の高架橋の下を潜り、しばらく歩くとコルンブリアノス(Columbrianos)という集落に到着した。

 集落の中心には小さな礼拝堂が建っているのだが、その横にはコウノトリの人工巣塔が設置されており、天辺に木の枝で作られた大きな巣を見る事ができた。スペインの巡礼路沿いでは教会の塔などにコウノトリが巣を作っている事が多いのだが、この礼拝堂のような小さな鐘楼だと足場が不安定で巣が転落したりするのだろう。わざわざ人工巣塔を用意してあげるあたり、コウノトリに対する人々の思いやりが感じられる。


コウノトリは幸運を運ぶ鳥として大切にされているようだ

 コルンブリアノスを抜けると建物の数が少なくなり、いつも通りの巡礼路といった雰囲気が徐々に出てきた。とは言え、道はアスファルトの車道だし、集落と集落の間隔も狭く、まだまだポンフェラーダの郊外を抜け切れてはいない感じではある。


巡礼路の前方にそびえ立つアンカーレス山地の山々が見えた

 ポンフェラーダは四方を山々に囲まれた盆地に位置している。ポンフェラーダに入る際にレオン山地のイラゴ峠を越えたのと同様、ポンフェラーダから出るのにもアンカーレス山地のセブレイロ峠を越える必要がある。奥に見えるこの山々の向こうは、いよいよサンティアゴ・デ・コンポステーラのあるスペイン北西端のガリシア州だ。

 このセブレイロ峠は「フランス人の道」における最後の難所と言われており、それなりに気合を入れて登る必要がありそうだ。今日はまず麓の村まで歩き、明日セブレイロ峠を目指す事になるのだろう。


フエンテス・ヌエバス(Fuentes Nuevas)の集落を抜ける

 さらに畑の中の車道を歩き、9時半にカンポナラジャ(Camponaraya)という町に着いた。ここは幅の広い目抜き通りを中心に比較的新しい建物が並ぶ、郊外の新興住宅地といった感じの町である。

 町自体はそれほど面白いというワケではないのだが、町の出口にはそこそこ規模の大きなワイナリーがあった。表に出ていた看板を見ると、1.5ユーロでグラスワインとタパス(おつまみ)を頂く事ができるようだ。

 ポンフェラーダを中心とするビエルゾ地方は、ワインの生産地として近年著しい成長を見せる地域である。新鋭のワイナリーも多く、赤丸急上昇のワイン産地として注目を受けているようだ。そのような場所に来てワインを頂かないのは失礼というものだろう。私は「オラー」と挨拶しながら、ワイナリーの建物へと足を踏み入れた。


カラフルな色彩が楽しいワイナリーだ


朝早い時間という事もあり、工場内は掃除中だった

 ワイナリーでは一人のおじいさんが番をしていた。おじいさんは私を見て「飲むのか?」というジェスチャーをして見せたので、私は「シー(はい)、ヴィーノ(ワイン)」と言って、同じように飲むというジェスチャーをした。するとおじいさんは私に「待ってろ」というような事を言って、事務所らしき部屋に入り人を呼びに行った。

 しばらくして出てきた女性にワインを注文する。最初に頼んだ赤ワインは、甘い香りで酸味が少々、うん、フルーティでおいしいワインである。続いて頼んだ白ワインは、ビックリする程に酸味が強かった。喉に刺さるような強い酸味、これはこれで新鮮である。


おつまみのタパスもおいしかった

 満足した私は、ほろ酔い気分でカンポナラジャの町を出た。高速道路の上に架かる高架橋を渡り、周囲が開けたブドウ畑の巡礼路を進んで行く。日射しは強いがそれ程暑いとは感じず、気分良く歩く事ができた。


ブドウ畑に囲まれた巡礼路はなかなかゴキゲンである


伝統的な高床式倉庫を見る事ができた

 緩やかな丘陵を上ったり下りたりしながら、11時少し過ぎに次の町カカベロスに到着した。町の入口にはちょっとした公園があり、多くの巡礼者がそこで休憩を取っていた。水道が設置されていたのでペットボトルに水を補充しようとしたのだが(昨日のラス・メドゥラスで干上がりかけただけに、手持ちの水の残量に敏感になっていたのだ)、残念ながらその水道は壊れているらしく水が出なかった。しょうがないのでここでの休憩は諦め、町の中へと進む。


巡礼路沿いに古い建物が並んでいて良い感じだ


中庭が花で覆われている可愛らしい建物もあった

 先程のカンポナラジャは新しい建物が目立っていたが、こちらは古い建物も多く雰囲気が良い。町の中心に位置する聖マリア教会ではスタンプを貰う事もできた。雑貨屋が目に留まったので立ち寄り、オレオと缶ビールを購入しておく。

 町の出口には大きな橋があり、その袂には公園が広がっていた。こちらにはちゃんと水が出る水道があったので、この公園で休憩を取る事にした。先程買ったビールを飲もうかとも思ったが、今日は月曜日なのにも関わらず公園内には子どもたちの姿も多く、そのような中でビールを飲むのはさすがに気が引ける。水道の水を飲む事で我慢した。


橋を渡ってカカベロスの町を出る


その先の家では、自動芝刈りロボットが活動中だった

 この自動芝刈り機には驚かされた。庭を勝手に歩き回り、芝を刈ってくれるロボットである。壁などの障害物にぶつかると、向きを反転させて再び進んで行く。日本でも同じような原理の自動掃除ロボット「ルンバ」が人気だが、こちらはその芝刈り機バージョンといった所か。庭が広い欧州ならではのロボットだろう。

 さて、カカベロスから巡礼路は車道沿いを行く。その途中には分岐点があり、右へ進めばバルトゥイジェ・デ・アリーバ(Valtuille de Arriba)という村を経由するようであるが、私の地図には直進のルートが記されていた。またその右への矢印も何となく誘導っぽいような印象を受けたので、私は地図の通りそのまま車道沿いのルートを進む事にした。


だいぶ山が近付いてきた感じである


ブドウ畑の景観は絵になるものばかりだ

 車道沿いの道はしばらく続いたが、程無くして巡礼路は未舗装の道に入り、再びブドウ畑の中の道となった。そのまま道なりに進んで行くと、今度は突如として山間の谷へと景色が変わり、その谷下には川沿いに広がる町が見えた。アンカーレス山地の入口に位置する、ビジャフランカ・デル・ビエルゾ(Villafranca del Bierzo)である。

 ビジャフランカは11世紀にフランス人が開拓した事に始まる町である。その後にクリュニー会の修道士が修道院を開き、サンティアゴ巡礼路の拠点として発展した。今もなお修道院や教会の数が多く、町の入口には12世紀から13世紀にかけて建てられたロマネスク様式のサンティアゴ教会が建っている。

 このサンティアゴ教会にある「許しの門(Puerta del Perdon)」は、巡礼者にとって非常に重要な意味を持つ門である。中世の頃は巡礼路上に野盗や狼などが多く、サンティアゴに辿り着くのは非常に困難な事であった。その為12世紀の前半より、この「許しの門」まで辿り着く事が出来た者はサンティアゴに参詣したのと同様の「神の許し」が得られると定められた。巡礼者たちはこの門を潜る事で、例えサンティアゴに着けなくても天国に行けると信じ、巡礼路最後の難所であるセブレイロ峠に望んだのである。


ビジャフランカの入口に建つサンティアゴ教会


サンティアゴに詣でたのと同じ贖罪が得られるという「許しの門」

 現在は聖年(聖ヤコブの祭日である7月25日が日曜日にあたる年の事)直前の12月31日に30分程開かれるだけだそうだが、巡礼者が病気や怪我などでこれ以上進めなくなってしまった場合、医師の診断書があれば潜る事ができるそうだ。

 さて、この町のアルベルゲは公営と私営が一軒ずつ、いずれもサンティアゴ教会のすぐ側に位置している。そのうち私営アルベルゲ「レフヒオ・アベ・フェニックス」は、人の良いご夫婦が運営する宿という事で、巡礼者の間ではかなり評判の宿だという。


なかなか立派なたたずまいの「レフヒオ・アベ・フェニックス」

 ここに入ろうかとも思ったが、私がビジャフランカに到着したのは13時過ぎ。まだもう少し行けそうな時間である。この先の村にもアルベルゲが存在するようなので、その村まで歩くのも良いだろう。私はとりあえずこのアルベルゲをスルーして、まずはビジャフランカの町を歩いてみる事にした。


目の前に現れたビジャフランカ城

 谷下に広がるビジャフランカの町へと降りるその手前には、ビジャフランカの侯爵が15世紀から16世紀にかけて建てた城が堂々たる構えを見せていた。スペイン独立戦争でイギリス軍による破壊を受けたものの、その後の1850年に修復されたという事だ。正方形の平面を持つ城で、四隅に立つ円筒状の塔が非常に印象的だ。

 この城の横から坂道を下り、ビジャフランカの中心に出る。路地には古い建物が連なり、これまた見事な風情の町並みが広がっていた。おぉ、これは素晴らしい。


歴史を感じさせるビジャフランカの町並み


コレジアル(参事会教会)も非常に立派だ

 路地を抜けた町の北側には、12世紀にサンティアゴ巡礼の拠点として創建されたクリュニー会の聖マリア・コレジアルがそびえていた。現在の建物は16世紀から17世紀にかけて建てられたものだそうで、ゴシック様式を中心としながらルネサンス様式やバロック様式の要素を含む、見事な建築である。

 これは良い町だと確信した私は、これ以上先に進む気がすっかり失せていた。コレジアルの側に広がる公園のベンチに腰を掛け、のんびりと遅い昼食を取る。パンとチーズを食べ、カンポナラジャで買っておいたビールを飲み干した私は、先程通ってきた道とは違う路地を通って先程のアルベルゲへ引き返す事にした。


サン・ニコラス教会の壮大なファサードは17世紀のものである


こちらは高台の上に建つサン・フランシスコ教会


13世紀にロマネスク様式で建てられ、15世紀にゴシック様式で改築された


入口の門や、この礼拝堂の入口あたりにロマネスク様式が残る

 アルベルゲに戻るそのついでに、これらビジャフランカの町に建つ教会建築を梯子して回った。やはり町の規模にしては相当に立派な建物が多く、巡礼路の要所であったという歴史がひしひしと伝わってくる。じっくりと時間をかけて見学する価値のある町だろう。

 アベ・フェニックスのアルベルゲにはボランティアが数多くいるようで、私の受付をしてくれた女性もまたロシア人の女性であった。アルベルゲは手作り感あふれる雰囲気で、どことなくアジアのゲストハウスのような印象である。ベッドルームは屋根裏の大部屋でやや薄暗く、一瞬だけ南京虫の事が頭をよぎったが、まぁ、それは要らぬ心配だろう。


水仕事を終えた後、庭でビールを飲む

 このアルベルゲには自動販売機が設置されていた。通常の自動販売機はビールやコーラが1ユーロ以上するが、ここはビールが0.8ユーロと良心的だ。まぁ、スーパーならば輸入ビールが0.35ユーロとかで買えたりするのだが、その場合は当然ながら冷えてはいない。そもそも、現在の時間はシエスタ中でスーパーは開いてはいないだろう。こりゃありがたいと、調子に乗って1本、2本とパカパカ開ける。

 すっかり気分良く酔っ払った所で、再び町の散策に出る。シエスタ終了後の町は大いに活気付き、人通りも増加していた。テキトウに路地をぶらぶらしながら歩いて行くと、大きな橋が架かる川に差し掛かったのだが、そこには5、6人程の若い青年の巡礼者たちがいた。どうやら今日は野宿をするらしく、橋の下に荷物をまとめて川で水浴びをしていた。

 そんな彼らをぼーっと眺めていると、ふと犬が走ってきて川に飛び込んだ。日差しが強い中、水に入るのは犬にとっても気持ちが良いらしく、まるで笑顔のような表情を浮かべながら青年たちと共にじゃばじゃば泳いでいた。


気持ちよさそうに川で遊ぶ犬

 「レフヒオ・アベ・フェニックス」では宿で夕食を出して貰う事もできるようだが、私はお金の節約の為にスーパーで買ってきたものを食べた。アルベルゲの外に出て町が見渡せる芝生の上に陣取り、パンとサラミをむしゃむしゃ食べる。ワインはもちろんビエルゾのものだ。朝に二杯のグラスワインワイン、昼に三本のビールを飲んでいた事もあって、ボトルを一本飲み終えた頃にはすっかりべろんべろんである。

 さぁ良い気持ちで寝ようかと思ったその時、しこたま飲んだ為かトイレを催した。私はベッドを出て屋根裏から一階のトイレに向かおうとしたのだが、千鳥足の私は階段の上で足をもつれさせ、そのまま階段を踏み外して倒れてしまった。酔った頭の中でなんとか体勢を立て直そうと試みたものの、そのまま左足を捻ったような状態で着地。次の瞬間、左足首に耐え難い激痛が走り、私は思わず悲鳴に近いうめき声を上げて屈み込んだ。


4、5段を一気に踏み外してしまったのだ

 痛みを堪えながらなんとか顔を上げると、白人女性が驚愕の表情を浮かべて私を見ていた。私は「大丈夫、心配しないで」とアピールすべく、壁に手を付いてよろよろと立ち上がると、そのまま逃げるようにシャワールームへ飛び込んだ。

 しばらくじっとしているうちに痛みに慣れ、アルコールの麻酔作用も相まって、足を引きずりながらも移動できるようになっていた。私は壁伝いに屋根裏部屋へと戻り、そのままベッドに倒れ込む。痛い。なんかもの凄く痛い。これは大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫じゃなければマズイ。歩けないのは非常に困るのだ。うん、大丈夫だ。大丈夫に違いない。きっと明日の朝になれば痛みも引いているさ。私は楽観的にもそう思う事にし、酔いに引きずられるまま眠りに入った。

 これが、後々大変な事になってしまうとも知らずに……。