巡礼67日目:トリアカステーラ〜サリア(25.5km)






 私は朝6時に目を覚まし、7時過ぎにアルベルゲを出発した。空は曇り。晴れでないのは残念だが、まぁ、気温が高くならず歩きやすい天気ではあるだろう。今日はサリア(Saria)という、そこそこ大きな町まで歩く予定である。

 トリアカステーラからサリアまでは、二通りの巡礼路が存在する。一つはリオカボ峠(Alto de Riocabo)を越えて行く山コース、もう一つはオリビオ川沿いを行き、歴史あるサモス(Samos)修道院を経由する谷コースである。前者は距離が短いもののアップダウンが激しく、後者は比較的平坦ではあるものの距離が長いのが特徴だ。

 町の出口にはその分岐を示す標識が出ていたのだが、谷コースへの案内は黒スプレーで塗り潰され、意図的に山コースへ誘導しているように見て取れた。どうやら、巡礼者に谷コースへ行ってほしくない何者かがいるようである。やり方が汚いというか、少々えげつないのではないだろうか。


谷コースへの案内は何者かによって塗りつぶされいた

 どちらのコースへ行くべきか少しだけ迷ったが、結局、標識を塗りつぶすという手段が癪に感じたので、私は左の谷コースを選択した。古いモノが好きな身としては、谷コースの途中にあるサモスの修道院が気になったという理由もある。

 トリアカステーラを出ると、しばらく車道沿いの道が続いた。道としてはあまり面白いものでは無いが、足にとっては負担が軽くて有難い。今日の左足の状態は昨日ほど悪くはなく、痛みは幾分和らいでいる。むくみも少しだけ引き、内出血で赤紫色になっていた足の色もマシになっていた。ようやく足の怪我に回復の兆しが見え、ほっと一安心である。これ以上悪くなって欲しくはないので、できるだけ労わってやるべきだろう。


車道沿いだが平坦なので歩きやすい道だ


一時間程でサン・クリストボ・ド・レアル(San Cristobo do Real)に着いた


そこからは車道を離れ未舗装路を行く

 ひっそりとしたたたずまいのサン・クリストボを抜けると、巡礼路は未舗装路となった。あくまでも川沿いなのでアップダウンは少なく、車道沿いと同様足に優しい道である。苔むした石垣や葉の生い茂る木々が連なり、雰囲気も良い。

 セブレイロ峠を越えてガリシア州に入ってからと言うものの、やけに森が多くなったように思う。山々に見る緑の密度が極めて濃く、巡礼路もまた木々によって取り囲まれている。ガリシア州は年間を通して降雨量が多く、自然が豊かだとは聞いていたが、山を一つ越えただけでこうもはっきり巡礼路の景観が変わるとは。おもしろいものである。


これまた古そうな教会を横目に歩く

 巡礼者はその多くが山コースを選ぶようで、この道を歩く人は少ないようだ。途中で会った徒歩巡礼者の数はわずか一人だけであった。ここまで人が少ない巡礼路は久しぶりで、フランスの「ル・ピュイの道」を歩いていた頃を思い出した。

 途中の集落で休憩を挟みつつのんびり歩いて行くと、ふと見晴らしの良い峠に差し掛かった。眼下には、巨大な修道院の姿が見える。おぉ、あれがサモス修道院か。その建物は想像以上に立派かつ大規模で、こんな山の中によくぞ建てたものだと感心する。


山間にたたずむロケーションが素晴らしいサモス修道院


修道院へ下りる道の石垣は、まるで城壁のようであった

 6世紀、ゲルマン系のスエビ族によって創建されたと伝わるサモス修道院は、ガリシア州最古の修道院である。スエビ族は程無くして同じくゲルマン系の西ゴート王国によって滅ぼされ、その後イベリア半島が北アフリカのムスリムに統治された事で修道院は衰退した。10世紀にベネディクト会の修道院として復興し、サンティアゴ巡礼路の経由地として名を知られるようになったという。

 坂道を下り切ると目の前に広大な草地が広がり(薬草を栽培する畑だったようだ)、その先に巨大なサモス修道院の建物が見えた。川を天然の濠として利用しており、城郭を思わせる堅固な作りである。


現在の建物は、16世紀から18世紀にかけて建てられたものだという

 私はとりあえず修道院の周囲をぐるっと回って外観を見学する。この修道院はアルベルゲも運営しているようで、裏手の道路に面した位置にアルベルゲの看板が出ていた。中世より巡礼者を受け入れてきた歴史を、今もなお受け継いでいるのである。


修道院付属教会の横から修道院の拝観受付へと入る

 ファサードが印象的な修道院付属教会は、18世紀建造のバロック建築である。正面上部の左右には鐘が吊り下げられているが、おそらく当初はその位置に鐘楼を立てる予定だったのだろう。やや未完成な印象ながら、それでもその構えは山間の修道院とは思えない程に立派なものだ。

 雨がパラパラと降ってきたので、雨宿りがてら修道院の内部を拝観する事にした。玄関から建物内に入ると、黒いローブを纏った年配の修道士さんが対応してくれた。どうやらサモス修道院の内部拝観は勝手に歩き回れるのではなく、ガイドツアーに参加する必要があるようだ(サン・ミジャンの修道院と同じ仕組みだ)。今しがた前のツアーが出発したばかりらしく、私は修道士さんに言われるがまま前方のガイドさんを追いかけた。

 サモス修道院には二つの回廊が存在する。一つは16世紀に築かれたゴシック様式の「ネレイダスの回廊」。もう一つは17世紀に築かれたエレーラ様式(スペイン・ルネサンスの一種)の「大回廊」だ。そのうち「大回廊」はスペイン最大の回廊として知られており、その中庭は非常に広大で庭園のようだ。


ゴシック様式の「ネレイダスの回廊」


「大回廊」はもはや宮殿レベルの広さである

 いずれの回廊も、内部の壁は白い漆喰で仕上げられていた。そういえば、セブレイロ峠の辺りの教会もまた白い石灰岩や漆喰で築かれているものが多かった。調べてみると、やはりこの辺りは石灰岩が良く採れるようである。中世の頃にはトリアカステーラの近くに石灰岩の採石所があり、サンティアゴの教会建設の為、巡礼者は一人一個ずつ石を持ち、カスタニエダ(Castaneda)という村まで運んでいたらしい。

 「大回廊」の一階を見学した後は、続いて二階へと案内された。この「大回廊」の二階部分は、1951年にワインの醸造所から出火した火災によって全焼してしまい、その後に再建されたものだという。壁にはサモス修道院の創建伝説を表した壁画が描かれ、市松模様の床と相まってなんともモダンな印象である。


1951年の火災後に再建された「大回廊」の二階部分


修道院付属教会の内部は明るくも厳かな雰囲気だ

 回廊の見学を終えた後は、八角形の平面を持つ聖具室と、修道院付属教会を周って終了である。私はガイドさんにお礼を言った後、受付で巡礼手帳にスタンプを貰い、修道院を後にする。サモス修道院に到着したのは10時半であったが、修道院の拝観を終えた頃には11時半を回っていた。降っていた雨は既に上がっている。


昼食はビールと菓子パンである

 まだお昼には少し早い時間であったものの、修道院の近くに雑貨屋があったのでビールと1ユーロの菓子パンを買ってベンチで食べた。まだトリアカステーラから10km足らずとあまり進んでおらず、もうちょっと頑張って歩く必要があるかもしれない。私は気持ちをリフレッシュし、気合を入れて巡礼路を進んだ。

 サモスからは再び車道の脇を歩いていたが、途中で巡礼路は山へと入り、やや険しい丘陵の道に変化した。私の手持ちの地図には車道を真っ直ぐ行くルートが描かれいたので少し「あれ?」と思ったが、まぁ、とりあえずは現地の標識に従った方が良いだろう。


車道から山へと入る分岐点


小さな集落を縫うように走る巡礼路を行く

 しかし、本当にひと気の無い道である。所々に巡礼路を示す黄色い矢印が記されてはいるものの、肝心の巡礼者の姿が全く見えないので不安になってしまう。木々が多い為に周囲を見渡す事ができず、自分が今どこにいるのかも把握できない。


しばらくすると小さな教会に辿り着いた


そこに置かれていた標識は、またもや塗り潰されていた

 私はしばらく立ち尽くしていた。道は教会前で左右に分岐しており、巡礼路の標識は左の道を示しているようだが、その矢印はペンキで塗り潰されているのである。この標識は間違っているという事だろうか。いやしかし、誤った道を正すのだとしたら、こんな落書きのような方法は採らないだろう。右に行かせたい何者かがやったとしか思えない。

 私は標識を信じ、左の道へ進む事にした。岩が露出した険しい山道を下り、続いて巨木が林立する林の中を行く。その途中には、道の草刈りをしているおじさんの姿があった。整備の手が入っているという事は、これは正しい巡礼路に違いない。やはり左の道で正解だったのだ。


巡礼路の草刈りをするおじさん。お疲れ様です


林を抜けた後は牧草地をひたすら歩く

 iPhoneを取り出してGPSで位置を確認してみると、どうやら大きな車道からはかなり外れた場所にいるようだ。谷ルートと山ルートの中間といった感じの地点である。途中からは黄色い矢印も見当たらなくなり、本当にこの道で良いのか不安になってきた。

 スペインに入ってからは巡礼者の数が桁違いに多くなり、また巡礼路を示す黄色い矢印も丁寧すぎる程に描かれていた。それ故に、道が複雑に入り組んでいる大都市でもない限りは道を間違える事などあり得なかった。そんな環境に慣れ切っている現在、道が正しいのか間違っているのか探りつつ歩くこの感覚は、実に久しぶりでかえって新鮮だ。

 とは言うものの、やはり心配になってきたので途中で休憩を取る事にした。10分程待っていると、後方から一人の巡礼者が歩いてきた。私は「ブエン・カミーノ」と挨拶を交わし、その後ろ姿を見送る。……よし、巡礼者がいるという事は道を間違えてはいないようだ。私は自信を取り戻し、意気軒昂として巡礼路を進んで行った。するとしばらくして丘の上の集落に差し掛かり……と、何やらガヤガヤと賑やかである。細い路地からメインの通りに出てみると――おぉ、そこには大勢の巡礼者たちの歩く姿があった。


山ルートの巡礼路に合流したのだ

 そこはアギアダ(Aguiada)という集落であった。山ルートを選択した場合には、リオカボ峠を越えたのちに尾根の車道沿いを行き、このアギアダを経由してサリアへ向かう。谷ルートの場合には、サモスからずっと車道沿いを歩いてそのままサリアに達するルートと、丘陵地帯に入って山ルートと合流するルートの二通りがあったのだ。

 その計3ルートのうち、私が歩いたのはそのうち最も歩く距離の長い道であった。肉体的な疲労の上、路上で見かける巡礼者の数が少なく精神的にも疲弊したが、まぁ、サモス修道院を見る事ができたし、車道から外れた山道を歩く事もできたし、谷ルートと山ルートの良い所を掛け合わせた、良い所取りのルートだったのではないだろうか。


尾根の車道沿いを歩き一路サリアに向かう


そうして辿り着いたサリア、かなり大きな町である

 15時半にサリアに到着した私は、まずは公営アルベルゲへと向かった。町の入口に観光案内所があり、シエスタの時間で閉まってはいたものの、そのドアには町の地図が貼られ、アルベルゲの場所も一目瞭然であった。

 公営アルベルゲは坂の途中に建つ古い建物に入っていた。オスピタレラに宿泊費の5ユーロを支払い、手続きを済ませる。そこそこ大きな宿ではあるものの、着いた時間がやや遅かった為か、ベッドはほぼ満員であった。


古い建物が並ぶサリアの町並み


サンサルバドル教会の素朴なロマネスク彫刻

 シャワーと洗濯の後は、いつものごとく町に出る。このサリアは12世紀の終わりにレオン王アルフォンソ9世が開いた町である。アルフォンソ9世は1230年にサンティアゴ巡礼へと旅立ち、その途上このサリアの町で亡くなったそうだ。歴史がある町の常として古いモノも数多く、なかなか散策のし甲斐がある町である。

 旧市街のメインストリートであるマヨール通りを上り詰めた所には、12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・サルバドール教会が鎮座していた。西側の入口はゴシック様式だが、北側の入口はより古いロマネスク様式である。昔は鐘楼が付属していたようだが、それは1860年に撤去されたらしい。またサン・サルバドール教会のすぐ側には、12世紀に建造されたというサリア城(Castelo de Sarria)の塔も現存している。


町の高台にそびえるサリア城の塔

 その塔を横目に丘の路地を歩いて行くと、突然目の前に立派な建物が現れた。13世紀に創建されたかつての救護院、マグダレナ修道院である。

 玄関の扉が開け放たれていたので中を覗いてみると、数人の巡礼者がおじいさんの修道士さんからスタンプを押して貰っていた。私もまた携帯していた巡礼手帳を修道士さんに差し出し、スタンプを頂く。


丘の上に建つマグダレナ修道院


内部も拝観させて頂く事ができた


ロマネスク様式の部分も残る

 ファサードと塔は18世紀のものらしく、外観の印象では比較的新しい建物なのかなと思ったが、内部はしっかり古いままに残されていた。教会内は全体的にゴシック様式の様相を呈しているものの、部分的にロマネスクの要素も見る事ができる。

 規模こそさほどのものではないが、わざわざ内部を拝観して行く人は少ないのか建物内に人は少なく、まさに修道院らしい神聖な雰囲気を保っていた。回廊には植木鉢なども置かれ、修道士さんの生活を実感できる修道院である。

 さて、サリアの町をぐるっと一回りした私は、スーパーで夕食を買ってアルベルゲへと戻った。サリアの公営アルベルゲのキッチンは、コンロはあるものの調理器具や食器が一切無いという残念仕様である。しょうがないので缶詰を買ってきたのだが、そこで私は閃いた。缶詰を直接火にかけて温めれば良いのである。これが功を奏し、調理器具を使わずとも温かい食事にありつく事ができた。


缶詰を加熱した事で、温かい食事を取る事ができた

 このアルベルゲには、私の他に日本人の巡礼者が二人泊まっていた。そのうちの一人は、昨日オスピタル・デ・ラ・コンデサの教会前でお見かけした初老の男性である。もう一人は71歳のおじいさんであったが、その年とは思えない程に元気な方であった。どうやらお二人はこれまで何度か会っているらしく、すっかり顔馴染みの様子である。お二人とも非常に気さくな方で、しばらくの間雑談に花が咲いた。

 話の中に出てきた話題として特に印象に残ったのは、このサリアはサンティアゴまで残り100km強の地点にあるという事だ。フランスのル・ピュイから歩いてきて既に二ヶ月以上。およそ1500kmを歩き終え、残す所はおよそ100km。長らく続いてきた私のサンティアゴ巡礼も、いよいよ終わりが見えてきた感じである。