帰国




 6時に目を覚ました私は、手早く支度をして宿を出た。マドリードのバラハス空港は地下鉄が乗り入れており、市内からの簡単にアクセスする事ができる。今日は日曜日で、しかも早朝という事もあってか、地下鉄の車内は比較的空いていた。


マドリードの地下鉄はなかなかしゃれた内装だ


空港に到着したが、いささか早すぎた

 地下鉄の駅が接続しているのは空港のターミナル2である。私が搭乗するアエロフロートの飛行機はターミナル1から出るとの事なので、巨大な空港内をえっちらほっちら移動する。カウンター近くのベンチに腰掛けてザックを下ろし、時計を見るとまだ8時過ぎだった。飛行機が出るのは11時過ぎ、カウンターがオープンするのは出発予定時刻の2時間前なので、まだ少々時間がある。私は朝食を取る事にした。

 ザックからいつもの食料袋を取り出し、半分残っていた最後のバケットを食べた。飲み物は、宿を出る前に買っておいた缶コーラである。空港の自動販売機は値段が高めに設定されると考え、温くなる覚悟であらかじめ購入しておいたのだが、これが大正解であった。空港の自販機を確認すると、500mlのペットボトルがなんと2.6ユーロである。人を馬鹿にするにも程があるだろうと言いたくなるくらいの値段設定だ。


しばらくしてカウンターがオープンした


特にやる事もないので、粛々と飛行機を待った

 カウンターでチェックインを済ませ、モスクワ行きとモスクワ発東京行きのチケットを2枚受け取る。そのままセキュリティチェックを受け、出国手続へと向かった。シェンゲン協定ギリギリ、丸3ヶ月の欧州滞在だったので、何か聞かれたりするんじゃないかとも思ったが、特に何事も無く出国のスタンプを押して貰う事ができた。

 これでいよいよフランス、スペインともお別れである。両国にはまだまだ見たい場所が多いし、サンティアゴ巡礼路もまだまだ歩き足りない。これっきりという事は無いだろうが、しかしいつ戻ってこれるか分からないので、ちょっと寂しい思いである。

 マドリードを発った飛行機が、モスクワに到着したのは16時ぐらいだ。すぐにトランジットの手続きを済ませ、東京行きの飛行機が出る時間までただひたすら待つ。暇なので空港内をぶらぶらしてみるが、それもすぐに飽きた。やる事と言えば、発着する飛行機を眺めているか、公衆Wi-Fiを捉まえてネットをするぐらいである。


ずっとユーロ表記に慣れていたので、ルーブル表記が新鮮だ


エプロンの飛行機を眺めるくらいしかやる事が無い

 東京行きの飛行機が離陸したのは20時ぐらい。印象的だったのは、日本に向かう乗客の中に、いわゆるゴスロリのようなアニメ風の服を来た女の子が何人かいた事である。ロシアでは日本のアニメが流行っているのだろうか。なかなかに興味深かった。


アエロフロートの機内食は非常にうまい


ロシア上空を飛ぶ飛行機は、太陽が沈まない白夜であった

 機内の電灯が消されたので私も窓を閉め、目を閉じて眠りに就く。私の初めてのヨーロッパ旅行もこれで終わり。この3ヶ月の間は本当に楽しい事ばかりであった。これ程までに濃厚で充実した日々は、人生の中においてもそうある事ではないだろう。サンティアゴ巡礼を始める前に周ったパリやその近郊の文化財、レオンの旧市街。そして今もなお中世の橋や石垣、教会など古いモノが数多く残るサンティアゴ巡礼路を巡り、これまでアジア一辺倒であった私の頭に新たな風が吹き込まれた感じがした。

 この類稀なる興奮を再び味わう為にも、私はまたフランス、スペインに来なくてはならない。おそらく私が次に歩くのは、フランス南東部のアルルから通じる「アルルの道」だろう。今回のピレネー越えで歩いたエポエデール峠よりもさらに険しいソンポルト峠を行き、「アラゴンの道」と呼ばれるルートを通ってプエンテ・ラ・レイナに合流する。それからはバスか何かで大西洋沿いのイルンへ赴き、「北の道」と「原始の道」を歩いてサンティアゴへ。うん、なかなか良い案だ。

 あるいはスペイン南西部のセビージャから始まる「銀の道」と「サナブレスの道」を歩いてサンティアゴまで行くルートも面白そうだ。いずれのルートであっても、今度こそはフィステーラまで歩き通す事を忘れてはならない。その新たな巡礼路上では、一体どのような景色が見れるのだろう。どのような古いモノがあるのだろう。どのような人々と会えるのだろう。いやはや、想像するだけでわくわくする。

 数ある旅行スタイルの中でも、徒歩旅行というのは最も贅沢な旅行である。時間こそ必要なものの、心行くまでその土地、その町を堪能できるし、普通の旅行では立ち寄る機会のない場所に行く事もできる。ローカルフードも食べられるし、地酒も飲める。そして何より、自分の足で土を踏み締め点と点を結ぶという感覚、そこには筆舌に尽くし難い無類の楽しさと喜びがあるのだ。サンティアゴ巡礼路は、そんな徒歩旅行を十分に満喫する事ができる、最高の舞台であると私は思う。

― 終 ―