紀伊山地の霊場と参詣道

紀伊山地の霊場と参詣道

概要
保有国 日本国
記載年 2004年
該当登録基準 (2)(3)(4)(6)−文化遺産(文化的景観
構成資産 ■霊場「吉野・大峯」
吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺

●霊場「熊野三山」
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、捕陀洛山寺

★霊場「高野山」
金剛峯寺金剛三昧院、丹生都比売神社、慈尊院、丹生官省符神社

▲参詣道
「大峯奥駈道」(置玉神社を含む)、「熊野参詣」中辺路(熊野川を含む)、小辺路、大辺路、伊勢路(七里御浜,花の窟を含む)、「高野山町石道」
 日本は紀伊山地、その緑深い山の中に存在する三霊場およびそれらを結ぶ巡礼路がこの物件である。紀伊山地は古来より神々が宿る特別な地域とされ、また仏教における修行の地でもあった。そのように、日本古来の信仰である神道と大陸から伝来した仏教が同時に発展し、そして融合。紀伊山地にはいわゆる神仏習合の思想を良く表した寺社が数多く残されている。

 登録対象の三霊場「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」は、それぞれ起源は別であるものの、相互に関係し合って発展してきた。それら三霊場をつなぐ参詣道は、全国各地から多大なる信仰者を集め、それにより日本の宗教文化の発展と交流に大きな影響を与えてきた。これらの霊場および参詣道がもたらした信仰は、日本人の精神文化をも作り上げてきたといえる。

 また下界と切り離された修行場を作るべく、各霊場および参詣道を取り巻く山岳、森林などの自然環境は人々の信仰心により篤く保護され残されてきた。それら自然環境内に位置する信仰の場が織り成す風景は極めて優れた日本の信仰の原風景、文化的景観であるといえる。

■霊場「吉野・大峯」

 「吉野・大峯」は修験道の聖地である。修験道は神道、密教、陰陽道などが融合してできた宗教であり、修験者たちは霊力の宿る山中深くに入り、自らの限界まで修行を行うことで神仏に近い能力を得ることを目指す。奈良県南部の大峯山地は修験道における最も重要な修行の場であり、吉野はその北の起点として発展した霊場である。

 吉野は大きく、山上ヶ岳付近の「山上」と吉野山付近の「山下」のエリアに分けることができる。山下には数多くの寺社が今も残されており、その中でも特に金峯山寺(きんぷせんじ)がその中心である。山上には大峰山寺(かつてはこちらも金峯山寺の管轄であった)が鎮座している。なお、山上ガ岳付近一帯は今でも女人禁制である。

 厳密には「大峯奥駈道」は参詣道ではない。あくまで修験者たちが修行の道として通った修験道である。その山道は起伏に富み極めて険しい。「大峯奥駈道」とは山上ヶ岳より南の修験道のことを指し、その道は最終的に「熊野三山」へと繋がる。「大峯奥駈道」の周囲の自然環境は、修験道の不抜の教えのもと代々保護されてきた。よって今でも修験道の周りは豊かな自然環境が残り、優れた自然景観を目にすることができる。

●霊場「熊野三山」

 「熊野三山」は主に熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社から成っている。これら三社は、もとは別々の自然崇拝により発展した神社であるが、それぞれが互いの主神を勧請し合うことで一体のものであるとされ、熊野三所権現として三社ともども信仰されてきた。自然崇拝に始まる熊野三山では、日本における原始宗教のありようを今に見ることができる。それは熊野那智大社の那智大滝や、熊野速玉大社の摂社である神倉神社、伊勢路の七里御浜北端に位置する花の窟で見られる巨岩などで表されている。

 平安時代、浄土思想が広まると熊野は浄土の地と見なされ、多くの人々が参詣するようになり熊野街道が整備された。神は仏の化身という本地垂迹説に基づき、本宮大社の家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来、速玉大社の那智大社の牟須美神(むずびのかみ)は千手観音、速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来とされ、那智勝浦の捕陀洛山寺では、東方にあるという観音の住まう補陀落(ふだらく)を目指して一人小船で旅立つ、補陀落渡海という殉教儀式も行われていた。

 熊野へは数多くの参詣道が各地より伸びており、今ではそれらをまとめて熊野古道と称されている。熊野古道は、高野山から本宮大社へ向かう道を小辺路(こへち)、和歌山の田辺から本宮大社を経由して那智大社、速玉大社に至る道を中辺路(なかへち)、田辺から海沿いを通って那智大社へ向かう道を大辺路(おおへち)、そして伊勢神宮から熊野に通じる道を伊勢路とし、それぞれ保存状態の良い部分のみが世界遺産に登録されている。

★霊場「高野山」

 「高野山」は真言宗の開祖、弘法大師空海が平安時代に開いた霊場である。標高1000m前後の盆地に位置する高野山には、中心となる金剛峯寺をはじめ100以上もの寺院がひしめき合い、一大霊場景観を作り出している。空海の霊廟がある奥の院へと通じる参道には20万基以上もの苔生した墓が立ち並び、その中には著名な大名や武将のものも数多く含まれている。

 高野山の中心は金剛峯寺の壇上伽藍である。真言密教の曼荼羅思想に基づき、多宝塔と金堂を配置したその伽藍配置は、真言宗寺院のモデルともなっている。また、高野山は明治時代に入るまで女人禁制の地であり、女性は高野山入口の女人堂までしか立ち入ることは許されていなかった。

 高野山へ通じるメインルートとして町石道と呼ばれる参詣道がある。空海が開いたというこの道は、紀ノ川のたもとに位置する慈尊院、丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)から始まり、高野山の大門へと通じる。この町石道は、一町(約109m)ごとに町石(ちょういし)と呼ばれる石製の卒塔婆が立てられ、人々は町石を拝みながら高野山を目指したという。

旅行情報
所在地 ■霊場「吉野・大峯」
日本国 奈良県 吉野市

●霊場「熊野三山」
日本国 和歌山県 新宮市,那智勝浦町,田辺市

★霊場「高野山」
アクセス ■霊場「吉野・大峯」
奈良市より電車で1時間30分
大阪市より電車で1時間30分

●霊場「熊野三山」
名古屋市より電車で3時間(特急)〜5時間30分
東京より高速バスで12時間

★霊場「高野山」
大阪市より電車およびケーブルカーで1時間30分
必要見学時間 ■霊場「吉野・大峯」
1日(下千本〜奥千本)

●霊場「熊野三山」
2日〜

★霊場「高野山」
1日〜2日
 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、コアゾーンで495.3ヘクタール、 バッファゾーンで11370ヘクタールという超広大なエリアを誇る物件である。 これらに訪れるにはそれぞれの霊場の拠点よりアクセスする必要がある。

■霊場「吉野・大峯」

 吉野は紀伊山地の北端に位置しており、 奈良及び大阪から電車で気軽に訪れることができる。 春になると、吉野山では宗教献木により植えられた桜が咲き乱れ、 非常に美しい光景を見ることができる。 桜が咲く時期には場所により時差があり、 北から順番に下千本、中千本、上千本および奥千本と名がつけられている。 見ごろは4月上旬から中旬。奥千本では4月下旬まで見ることができる。

 吉野の見所は下千本から奥千本までまんべんなく散らばっている。 最大の見所は、東大寺の大仏殿に次ぐ大きさの木造建築である金峰山寺蔵王堂。 金峰山寺は吉野の入口に位置しているため、まず最初に訪れる場所でもある。 その巨大な姿は見るものを圧倒する迫力がある。 蔵王堂の柱は加工されていない自然木が使われており、 一本一本ごとに個性がありそれらを見比べるのも楽しい。

 奥千本へは中千本の竹林院前からバスが出ている。 奥千本は金峰神社と西行庵、および鳳閣寺があるが、 鳳閣寺は山道を片道4km歩かなければならないため気軽に訪れるのは難しい。 下千本や中千本とは違い奥千本は山道が中心であり、 ハイキング気分で豊かな杉の森林風景を満喫することができる。

 なお、奥千本からは山上ヶ岳への道が伸びており、 その道は本登録物件でもある修験道であるが、 山上ヶ岳への道は極めて険しい山道であり、 しっかりした登山の装備がなければ入ることはできない。 また、山上ヶ岳は女人禁制であるため、女性が入ることはできない。 ちなみに、山上ヶ岳へ往復で行くとしたら一泊二日かかる。 山上ヶ岳からさらに南へ下り、熊野本宮大社まで行くとなると (大峯奥駈道を全踏破するとなると)、5泊6日の日程が必要となる。

(2006年5月 訪問)

●霊場「熊野三山」

 紀伊山地の南東に位置する熊野は、三霊場のうちもっともアクセスが難しい場所にある。東京からなら高速バスが新宮、那智勝浦へ出ているので、これを使うのが最も安価で時間も早い。また、熊野三山自体も約20km間隔で離れているため、それぞれ電車やバスなどでの移動が必要になる。それらの本数も少ないため、しっかりした計画を立てて行くべきだろう。なお、すべての神社回ると二日、周辺の古道を歩くとなればそれ以上かかる。

 那智大社へは紀伊勝浦駅前から出ているバスで行く(那智駅も経由する)。まずは青岸渡寺と那智大社へ参り、それから那智大滝、大門坂(古道)を回ると良いだろう。青岸渡寺の裏手からは本宮へ続く中辺路も伸びているため、時間に都合が付けばこの風情ある古道を歩いてみるのも良い。また、那智駅前には捕陀洛山寺もあるのでこちらもぜひ訪れたい。

 速玉大社へは新宮駅から歩いていくことができる。速玉大社へ参拝した後は、ぜひとも速玉大社の摂社である神倉神社に寄ってもらいたい。ここは岩そのものが御神体となっており、神道のルーツである自然信仰の一端を垣間見ることができる。ただ、速玉大社から少し離れており、急な石階段を上らなければならないので時間や安全面での注意が必要だ。

 本宮大社へは新宮駅前からバスが出ている。現在の社殿は高台に位置しているが、かつては熊野川の中洲にあったと言われ、その旧社地は大斎原として巨大な鳥居が立っている。本宮大社は小辺路、中辺路、大峯奥駈道といった参詣路が合流する地点でもあり、古道トレッキングの拠点としても便利である。

(2007年9月 訪問)

★霊場「高野山」

 高野山へは南海鉄道が大阪の難波駅から橋本駅へ、橋本駅から高野山極楽橋駅への列車を走らせている(高野山極楽橋への直通特急もある)。高野山極楽橋駅からはケーブルカーで高野山駅まで行き、さらにそこからバスで高野山の中心部へと向かうことになる。大阪から日帰りもできるだろうが、できれば宿坊に一泊し、人の少ない早朝の神聖な雰囲気を味わいたい。

 世界遺産としての高野山は、伽藍地区(壇上伽藍)、奥院地区(奥の院)、大門地区、金剛三昧院地区、徳川家霊廟台地区、本山地区(金剛峯寺)の六ヶ所からなる。それぞれ徒歩で移動できる圏内にあるが、バスを利用することも可能である。奥の院だけはやや離れており、中心部から歩くと片道40分ぐらいかかるが、奥の院までの参道の光景は高野山を象徴するまさに霊場としての光景であり、この参道を通らずして高野山は語れない。奥の院へは、バスを使わず歩いていくことを強くお勧めする。

 高野山の西の端である大門から九度山町の紀ノ川まで、約20kmの高野山町石道が伸びている。この町石道はかつて人々が高野山へ行くのに使用した参詣路の一つであり、トレッキングに最適である。途中にある二つ鳥居から八町坂を降りたところにある天野地区には、高野山の地主神を祀った丹生都比売神社があり、また終点には空海が勧請した丹生官省符神社や慈尊院が存在する。これらもまた、高野山とともに世界遺産に登録されている。

(2008年6月 訪問)

写真
■霊場「吉野・大峯」





●霊場「熊野三山」






★霊場「高野山」