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―越前海岸の水仙畑 下岬の文化的景観―
福井県福井市 重要文化的景観 2021年選定
福井県の北部にあたる嶺北地方の日本海沿岸には、断層活動で隆起した丹生山地が急崖を成す越前海岸が続いている。この一帯は対馬海流の影響により冬は比較的温暖であり、強い西風が吹き付けるため雪が積もりにくい。また礫質の急勾配で水はけが良いことから水仙(ニホンズイセン)が広く自生しており、12月から2月にかけて開花する正月花として親しまれてきた。越前海岸のうち越前岬の北側に位置する下岬地区は越前水仙発祥の地と言われている。集落周囲の傾斜地や棚田跡、集落から離れた海成段丘や海岸沿いの斜面に水仙畑が広がっており、厳しい環境の越前海岸において自生していた水仙が地域を支える主産物となった過程を示す景観が残ることから国の重要文化的景観に選定された。 ![]() 海岸段丘上に位置する浜北山集落から海岸沿いの居倉集落を望む
下岬地区では北東から南西へ伸びる海岸線に沿って、「浜北山」「居倉」「赤坂」「城有」「八ツ俣」の五集落が開かれている。そのうち選定範囲に含まれているのは赤坂の集落域を除いた約353.7ヘクタールだ。これらの集落は中世には既に存在しており、城有には戦国時代の武将である本田広孝の居城と伝わる城有稲場城跡が存在する。慶長三年(1598年)及び慶長十年(1605年)の検地にも記録が見られ、元は居倉に含まれていた浜北山と赤坂が慶長期の村切りによって分立したこともうかがえる。浜北山と八ツ俣は稲作を中心とした農村、居倉は半農半漁の漁村、赤坂と城有は農林業を営む農山村であった。いずれも平地が少なく、傾斜が緩やかな山裾を中心に石積みの棚田を築いて耕地を確保している。 ![]() 越前水仙発祥の地とされる居倉集落の水仙畑
越前水仙について、下岬地区では次のような伝説が語られている。平安時代末期、居倉浦の山本五郎左衛門は長男の一朗太と源平合戦に参加した。留守を守っていた次男の二郎太は海岸で美しい娘を助けて親しくなるが、父の戦死の報と共に帰郷した一朗太もまた娘に心を奪われてしまう。争う兄弟に苦しんだ娘は、荒れ狂う海に身を投げた。翌年の春、海岸に美しい水仙が流れついたという。地中海原産の水仙が日本に伝わった時期は不明であるが、平安末期から鎌倉初期にかけての公卿である九条良経の色紙に見られることから、この頃には存在したと考えられる。また相国寺の『蔭凉軒日録』には文明十九年(1487年)二月十八日に越前国府の妙法寺から将軍家に水仙が献上されたと記述がある。 ![]() 海岸から標高約150メートルまでの斜面に広がる城有集落の水仙畑
越前海岸において水仙の栽培が始まった時期は定かではないが、江戸時代後期に福井藩によって編纂された『松平文庫』のうち享保五年(1720年)の「越前国之内御預知産物」及び享保九年(1724年)の「越前国福井領産物」に越前国の産物として水仙が記されている。明治時代前期には下岬地区に6件ほどの販売問屋があり、福井まで約30キロメートルの山道を歩いて売りに出ていたと伝わっている。明治29年(1896年)に敦賀・福井間の鉄道が開通したことで交通の便が改善され、明治時代後期には数戸の農家が京都の生花市場へ出荷し、その後に町内の仲買人を通じて大阪や名古屋へも出荷したという。大正時代には傾斜地への球根の移植が進められ、この頃に本格的な栽培が始まったと考えられる。 ![]() 水仙畑に転用された石積みの棚田跡
元々下岬地区では棚田での稲作を中心に農産物や林産物を生産しており、炭焼きや養蚕も盛んであった。しかしながら昭和初期の大恐慌によって米や繭の価格が暴落し、農業の多角化が図られるようになる。昭和八年(1933年)の「福井県丹生郡農林誌」によると、不況打開策として水仙を販売する提案が起こり、試しに居倉から福井市や武生町へ出荷したところ予想以上に売れ行きが良かったことから販路を拡大。京阪地区へ5万から6万5千本ほど出荷するようになったという。昭和十年(1935年)には越前水仙出荷組合が設立され、主要都市への組織的な販売が始まった。当初は「居倉水仙」として出荷されていたものの、昭和15年(1940年)には「越前水仙」の名で販売されるようになった。 ![]() かつて居倉には多くの石屋がおり、地元産の石材を用いて棚田を造営していた
第二次世界大戦が勃発すると水仙の生産や販売は途絶えたものの、昭和28年(1953年)には出荷組合が再建されている。戦後復興において食糧事情が改善していくと米の需要が減少し、全国的に減反政策が進められていった。下岬地区ではミカンや柿などの果樹栽培が盛んとなり、棚田は水仙畑へと切り替えられていく。その後、より手間がかからず効率的に栽培できる水仙は面積をさらに拡大し、今に見られる水仙畑の景観が整えられていった。現在も居倉集落には棚田を潤す水を供給していた溜池や清水川と呼ばれる石積の用水路が残っており、また水仙畑の中には銀杏を採るためのイチョウやミカンの木が見られるなど、かつて下岬地区には水仙畑以外にも様々な生業があった歴史を伝えている。 2025年12月訪問
【アクセス】
・北陸自動車道「福井インターチェンジ」より車で約1時間10分。 ・北陸自動車道「敦賀インターチェンジ」より車で約1時間20分。 ・JR「福井駅」から京福バス「越前海岸ブルーライン」で約50分、「浜住バス停」で福井市海岸地域バス「広域ルート」に乗り換えて約40分、「越前水仙の里バス停」(浜北山集落)、「居倉バス停」(居倉集落)、「八ツ俣バス停」(水仙の郷遊歩道)下車(バスの本数が極めて少ないので要確認)。 【拝観情報】
・散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 【参考文献】
・越前海岸の水仙畑 下岬の文化的景観|国指定等データベース ・月刊文化財 令和3年2月(689号) ・「越前海岸の水仙畑 下岬の文化的景観」のご案内|福井市 ・「越前海岸の水仙畑の文化的景観」が国の重要文化的景観に選定されました!|福井県 ・「越前水仙」とは?【知る・観る・考える】重要文化的景観に指定された越前海岸の水仙畑や「越前水仙」のスポットを巡ろう|福井市観光公式サイト Tweet |




