小菅の里及び小菅山の文化的景観

―小菅の里及び小菅山の文化的景観―
こすげのさとおよびこすげさんのぶんかてきけいかん

長野県飯山市
重要文化的景観 2014年選定


 長野県北部、千曲川の東岸にたたずむ標高1047メートルの小菅山は、飛鳥時代に修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)が開いたとされるかつての霊場である。同じく長野県北部に位置する戸隠山や飯縄山と共に北信濃三大修験として崇敬を集め、その信仰圏は北信から上越にまで及んでいた。明治時代に入ると神仏分離令と修験禁止令によって小菅神社に改められたものの、現在も麓の小菅集落には「カイド」と呼ばれる参道に沿って石垣で整地された雛壇状の土地に家屋が建ち並んでおり、古絵図に描かれたかつての坊院群の様相をうかがい知ることができる。また奥社へ至る参道には杉の並木が連なり、集落と山が一体となって修験道にルーツを持つ文化的景観を今に残している。




小菅集落を一直線に貫く参道「カイド」
空気が澄んだ日には正面に妙高山を望むことができる

 天文11年(1542年)に記された「信濃国高井郡小菅山八所権現并元隆寺来由記」などの史料によると、小菅山が開かれたのは白鳳8年(680年)、役小角が小菅権現を主神とし、併せて熊野・吉野・白山・立山・山王・走湯・戸隠の七神を勧請して祀ったことに始まるという。平安時代前期の大同年間(806〜810年)には征夷大将軍を務めた坂上田村麻呂が小菅を訪れ、八所権現本宮や加耶吉利堂を再建し、堂宇を整えて元隆寺を創建した。その後の平安時代後期より修験道の霊場として栄え、全盛期の室町時代には元隆寺を中心に37の坊が建ち並んでいたという。戦国時代には越後の上杉領に属していたが、永禄10年(1567年)に武田氏の侵攻によってほとんどの堂宇を焼失している。




別当寺院であった大聖院の跡地に残る護摩堂

 江戸時代には飯山藩の庇護を受けて存続していったが、小菅山の管理は寺から離れて里人が行うようになった。次第に観光の要素が強まり、祭礼も儀式的なものから参詣者に見せる為のものに変わっていったという。明治2年(1869年)には別当寺院であった大聖院が廃寺となり、別当職も神職へと転向、明治33年(1900年)には現在の小菅神社という名に改められた。大聖院の本堂は後に取り壊されたものの、その跡地には寛延3年(1750年)の護摩堂や庭園の遺構、堅固に積まれた石垣などが現存している。またかつての境内入口にあたる集落入口に構えられた仁王門、集落内に建つ講堂や観音堂など、在りし日の元隆寺の様子を今に伝える建造物が多数残されている。




昔ながらの石積や、湧水を利用した水利システムが残る

 小菅集落の地割は真っ直ぐに伸びる「カイド」を軸とし、その左右に石積を築いて各家の敷地や田畑を造成している。各家には「カワ」や「タネ」と呼ばれる池が存在するが、これは湧き水を引き込んで洗いものや消雪に利用するものだ。また集落の北側には北竜湖が存在し、水路を通じて田畑の灌漑に利用している。水路の維持管理は集落全体で行われ、小菅ではそのような共同作業を「オテンマ」と呼び集落の結束としている。また集落内の里宮では、小菅神社の例大祭として「柱松行事」が執り行われる。特に小菅のものは修験道の柱松行事が完全な形で伝えられており、国の重要無形民俗文化財に指定されている。かつては毎年7月15日に行われていたが、現在は3年に一度の開催だ。




杉並木が連なる奥社への参道

 小菅集落から奥社へと至る石畳の参道には、約800メートルに渡っておよそ180本の杉並木が連続しており、参詣道らしい景観を作り出している。湧き水が豊富な小菅山は杉の育成にも条件が良く、大きいものでは樹高45メートル、目通りの樹周が5.5メートル、樹齢300年に及ぶものもあるという。また参道の途中には様々な形状の岩があり、カエルの形をした「蝦蟇岩」や船のような形をした「船岩」、鏡のように平らな「鏡岩」、鐙(あぶみ)の跡が残る「鐙岩」、弘法大師が参詣の際に座ったとされる「御座岩」、川中島の戦いで敗走した上杉軍の兵が隠れ、追手をやり過ごしたという「隠れ岩」など、それぞれの形状や伝承に応じた名前が付けられている。




小菅山に鎮座する奥社本殿

 小菅山の山頂近く、標高約900メートルの位置に建つ奥社本殿は、室町時代後期の天文年間(1532〜1554年)に築かれたものである。中世にまで遡る修験道の建造物として極めて貴重であり、重要文化財に指定されている。巨大な岩窟を背に南面して建ち、斜面に束柱を伸ばして建てられた懸造(かけづくり)となっている。建物の規模は桁行四間に梁間四間、岩窟に接する背面以外の三方に縁を巡らしており、左右の階段から正面へと参る。堂内には永正5年(1508年)に築かれた禅宗様の宮殿が2基設えられており、それらも附けたりとして重要文化財だ。岩窟からは水が湧き出しており、堂内には信仰の対象であったと考えられる甘露池が存在するという。

2015年05月訪問




【アクセス】

JR飯山線「飯山駅」より長電バス「野沢線」で約30分「関沢バス停」下車、徒歩約20分。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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