―京都岡崎の文化的景観―
京都府京都市 重要文化的景観 2015年選定 ![]() 京都盆地の東端を成す東山の西麓、比叡山を水源とする白川によって形成された扇状地に位置する岡崎は、京都市街地の周縁部として時代ごとに異なる土地利用の変遷を辿ってきた地域である。平安時代に貴族の別業(別荘)地となり、11世紀には白河法皇による白河殿が営まれ院政の舞台となった。また白河法皇が建立した法勝寺などの寺院群が造成され、宗教都市というべき様相を呈していた。中世には戦乱や災害によって荒廃し、田畑が広がる農村となる。近代に入ると琵琶湖疏水が開削されて京都近代化の礎を築くと共に、疏水を利用した別荘や文化施設が整備された。現在も疏水の流れを主体とする風致を残すことから、岡崎から蹴上にかけての一帯が国の重要文化的景観に選定されている。 ![]() 白河天皇が築いた法勝寺の跡地にある保養施設「白河院」
大正8年(1919年)に「植治」が築いた庭園が残る かつて白河と呼ばれていた岡崎の一帯は、平安京から東へ向かう官道(東海道・東山道・北陸道)が山科盆地へ抜ける際に通過する粟田口に隣接しており、いわば京都の玄関口というべき場所である。承保元年(1074年)に藤原師実から別業を献上された白河天皇は承暦元年(1077年)に法勝寺を建立し、その6年後には天高く聳える八角九重塔が完成するなど広大な境内を整備した。以降、白河には歴代天皇により「勝」の名が付く六つの寺院が建立され、それらは「六勝寺」と総称された。ところが保元元年(1156年)に勃発した保元の乱により白河北殿などが焼失し、また元暦2年(1185年)の地震では法勝寺九重塔を始めとする諸堂が甚大な被害を受け、六勝寺は衰退していった。 ![]() 大正3年(1914年)に運用が開始された夷川発電所(重要文化財)
鎌倉時代に大陸から禅宗が伝来すると、後嵯峨天皇が山麓部に造営した禅林寺殿を亀山法皇が正応4年(1291年)に寺院へ改めて禅林善寺(南禅寺)を創建、京都における禅宗の拠点として信仰を集めていった。一方で平地部は農地化が進み、応仁の乱の後に六勝寺が完全に廃絶して都市近郊の農村へと変化していく。江戸時代になるとかつて白河と呼ばれていた地域は岡崎村と聖護院村となり、茅葺家屋の周囲に田畑が広がる風景が広がっていた。白河扇状地による水はけの良い砂質土壌は蔬菜の栽培に適しており、聖護院蕪や聖護院大根など京野菜を代表する独特の品種を育んでいく。また幕末の動乱期には各藩の駐屯地的な京屋敷が岡崎村の周囲に築かれたが、大政奉還によって取り壊された。 ![]() 高低差のある蹴上船溜から南禅寺船溜へ舟を運んでいたインクライン
明治時代になると首都機能が東京へと移り、京都は産業が衰退して人口が流出した。京都府知事の北垣国道は殖産興業策のひとつとして琵琶湖疏水の計画を推進。工部大学校(東京大学工学部の前身)を卒業したばかりの田辺朔郎が工事主任として設計を担い、島田道生による測量のもと、明治18年(1885年)から明治23年(1890年)にかけて第一疏水が完成した。当初は舟運、灌漑、防火、水道、そして水車による機械動力を予定していたものの、米国を視察した田辺朔郎はただちに水力発電へ変更し、日本初となる営業用の水力発電所が建設された。その電力は高低差のある蹴上で船を運ぶためのインクライン(傾斜鉄道)や京都市内を走る路面電車に供給され、京都近代化の一大動力となった。 ![]() 近代日本庭園の嚆矢として位置付けられている無鄰菴庭園(名勝)
明治維新の上知令により、南禅寺は寺領の多くが政府に接収された。当初、疏水沿いは工場用地とされたものの、水車から水力発電への転換により疏水沿いに工場を作る必要がなくなり、代わりに別荘地として開発され疏水から水を引き入れた庭園が築かれた。その代表格が、山縣有朋の別邸「無鄰菴」である。明治27年(1894年)から2年かけて造成された敷地内には、南禅寺周辺の別荘庭園を数多く手がけた「植治」こと七代目小川治兵衛による池泉廻遊式庭園が広がっている。それまでの日本庭園の技術に加え、刈り込みを低く築いて見晴らしを確保し、園地の一面に芝生を張るなど西洋の趣向を採り入れており、明治時代の庭園としてはいち早く昭和26年(1951年)に国の名勝に指定された。 ![]() 朝堂院の正殿である大極殿を模して築かれた、平安神宮の外拝殿(重要文化財)
琵琶湖疏水が南禅寺船溜りからクランク状に折れ曲がる一帯は、現在は岡崎公園として整備されている。明治28年(1895年)には平安遷都千百年紀念祭および第四回内国勧業博覧会の会場となり、その際に平安京の大内裏を模した平安神宮が造営された。伊東忠太等によって築かれたその社殿群は、昭和51年(1976年)の放火によって焼失した建物を除く6棟が国の重要文化財に指定されている。また社殿を取り囲む神苑は植治が20年以上かけて築き上げたもので国の名勝に指定されている。その後、明治42年(1909年)には京都府立図書館、昭和8年(1933年)に京都市美術館、昭和35年(1960年)に京都会館などの文化施設が次々と建てられ、現在は京都を代表する一大文教地区に位置付けられている。 2009年10月訪問
2010年01月再訪問
2011年03月再訪問
2017年05月再訪問
2017年11月再訪問
2025年05月再訪問
【アクセス】
・京都市営地下鉄東西線「東山駅」下車、徒歩約10分。 ・京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車すぐ。 【拝観情報】
・散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 <平安神宮> ・3月1日〜3月14日:開門6時〜17時30分閉門、神苑受付8時30分〜17時。 ・3月15日〜9月30日:開門6時〜18時閉門、神苑受付8時30分〜17時30分。 ・10月1日〜10月31日:開門6時〜17時30分閉門、神苑受付8時30分〜17時。 ・11月1日〜2月14日:開門6時〜17時閉門、神苑受付8時30分〜16時30分。 ・2月15日〜2月末日:開門6時〜17時30分閉門、神苑受付8時30分〜16時30分。 ・神苑拝観料:大人600円、中学生以下300円、ただし6月上旬の一日(年ごとに変動)と9月19日は無料。 <無鄰菴> ・拝観時間:4月〜9月は9時〜18時、10月〜3月は9時〜17時(入場は閉場時間の30分前まで)。 ・休場日:12月29日〜12月31日。 ・拝観料:通常600円、繁忙期は900〜1500円、小学生未満の幼児無料。 【参考文献】
・「月刊文化財」平成27年9月(624号) ・京都岡崎の文化的景観|国指定文化財等データベース ・京都岡崎の文化的景観 調査報告書|京都市文化財保護課 【関連記事】
・琵琶湖疏水施設 第一隧道、第二隧道、第三隧道、インクライン、南禅寺水路閣(国宝建造物) ・南禅寺方丈(国宝建造物) ・金地院庭園(特別名勝) Tweet |