京都岡崎の文化的景観

―京都岡崎の文化的景観―
きょうとおかざきのぶんかてきけいかん

京都府京都市
重要文化的景観 2015年選定


 京都盆地の東端を南北に連なる東山。その西麓には比叡山南の谷筋に端を発する白川の扇状地が広がっており、数多くの歴史ある寺社が境内を構えている。その中でも旧東海道沿い、いわば京都の東口にあたる蹴上(けあげ)の北側には、臨済宗南禅寺派の大本山である南禅寺やその塔頭、古くより学問が盛んであった永観堂こと禅林寺などの寺院群が軒を連ねている。また明治時代には蹴上から岡崎を経て鴨川へと至る琵琶湖疏水が開削され、その流路沿いには舟運や水力発電の施設が整備された。近世には農村であった岡崎には近代から現代にかけて文教施設が建てられており、岡崎やその周辺一帯では京都市街地周縁部における土地利用変遷を示す重層的な文化的景観を目にすることが可能である。




白河天皇が築いた法勝寺の跡に位置する保養施設「白河院」
大正8年(1919年)に「植治」が築いた庭園が残る

 かつて岡崎の一帯は白河と称され、平安時代後期の院政時代には白河法皇の御所として白河殿(しらかわどの)が造営された。また同時期に天皇や皇族によって「勝」の名が付く六つの寺院が次々と建立され、総称して「六勝寺(りくしょうじ)」と呼ばれていた。鎌倉時代に大陸から禅宗が伝来すると、正応4年(1291年)に亀山法皇の離宮であった禅林寺殿(ぜんりんじどの)の敷地に南禅寺が創建され、京都における禅宗の拠点として信仰を集めていく。一方で六勝寺は度重なる災害によって荒廃し、その後の応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱によって廃絶。以降、岡崎は農業を主体とするようになり、江戸時代には岡崎村および聖護院(しょうごいん)村として都市近郊農業が営まれていた。




大正3年(1914年)に運用が開始された夷川(えびすがわ)発電所
明治45年(1912年)の第二疏水開削に伴い、墨染発電所と共に建設された

 明治時代に入ると首都機能が東京へと移転し、京都は人口が流出して産業も衰退した。そこで京都府知事の北垣国道(きたがきくにみち)が殖産興業策のひとつとして計画したのが琵琶湖疏水である。疏水の設計は工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)によって行われ、明治18年(1885年)から明治23年(1890年)にかけて第一疏水が開削された。当初は灌漑・上水道・水運・水車による動力を目的としていたものの、米国を視察した朔郎により水力発電のアイデアが取り入れられ、日本初の営業用水力発電所である蹴上発電所が建設されることとなる。その電力は高低差のある蹴上で船を運ぶためのインクライン(傾斜鉄道)や京都市内を走る路面電車に供給され、京都近代化の礎を築くこととなった。




南禅寺の境内を通る疏水分流の水道橋「水路閣」
琵琶湖疏水の一部としてインクラインなどと共に国の史跡に指定されている

 蹴上からは琵琶湖疏水の本流と分岐し、東山山麓を北へと向かって北白川や下鴨を経てから西の堀川へと至る「疏水分線」が通されている。これは沿線における水力利用や灌漑、防火用水などの供給を目的として築かれたものだが、現在は宅地化によって水の利用は限られたものとなっている。しかしその流れは京都市民によって親しまれており、特に禅林寺の北側から慈照寺(銀閣寺)付近にかけては明治時代に文人や哲学者が好んで散策したことから「哲学の道」という愛称で有名だ。また南禅寺の境内には分流の水道橋である「水路閣」が築かれている。当時としては画期的な煉瓦造の西洋水道橋であり、古都としての景観を破壊すると危惧されたものの、現在では南禅寺における風景の一部として歴史的風土に溶け込んでいる。




近代日本庭園の嚆矢として位置付けられている「無鄰菴庭園」
東山を借景とする、明るく開放的な池泉廻遊式庭園だ

 明治維新の上知令により、南禅寺は寺領の多くが政府によって接収された。旧境内地は別荘地として開発され、琵琶湖疏水の水を引き入れた庭園が数多く造営されている。それら南禅寺界隈別荘群の代表格が、明治政府の要職を務めた山縣有朋(やまがたありとも)の別邸として築かれた「無鄰菴(むりんあん)」だ。明治27年(1894年)から明治29年(1896年)にかけて造成された敷地内には、南禅寺別荘群の庭園を数多く手がけた七代目小川治兵衛(おがわじへい、通称「植治(うえじ)」による池泉廻遊式庭園が広がっている。それまでの日本庭園の技術に加え、刈り込みを低く築いて見晴らしを確保し、園地の一面に芝生を張るなど西洋の趣向を採り入れており、明治の庭園としてはいち早く昭和26年(1951年)に国の名勝に指定された。




平安神宮の外拝殿(重要文化財)
朝堂院の正殿である大極殿を模して建てられている

 琵琶湖疏水がクランク状に折れ曲がる岡崎の一帯は、現在は岡崎公園として整備されている。明治28年(1895年)には平安遷都千百年紀念祭および第四回内国勧業博覧会の会場となり、その際に平安京の大内裏を模した平安神宮が造営された。伊東忠太(いとうちゅうた)等によって築かれたその社殿群は、昭和昭和51年(1976年)の放火で焼失した建物を除く6棟が国の重要文化財に指定されており、また社殿を取り囲む神苑は植治が20年以上かけて築き上げたもので国の名勝に指定されている。その後、明治42年(1909年)には京都府立図書館、昭和8年(1933年)に京都市美術館、昭和35年(1960年)に京都会館などの文化施設が次々と建てられ、京都を代表する一大文教地区に成長した。

2009年10月訪問
2010年01月再訪問
2011年03月再訪問
2017年05月再訪問




【アクセス】

京都市営地下鉄東西線「東山駅」下車、徒歩約10分。
京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

<平安神宮>
境内拝観時間:6:00〜18:00
神苑拝観時間:3月1日〜3月14日は8:30〜17:00、3月15日〜9月30日は8:30〜17:30、10月1日〜10月31日は8:30〜17:00、11月1日〜2月末日は8:30〜16:30(入場は閉場時間の30分前まで)
神苑拝観料:大人600円、小人300円、ただし6月上旬の一日(年ごとに変動)と9月19日は無料公開

<無鄰菴>
拝観時間:4〜6月は8:30分〜18:00、7〜8月は7:30分〜18:00、9〜10月は08:30分〜18:00、11月は7:30分〜17:00、12〜3月は8:30分〜17:00(入場は閉場時間の30分前まで)
休場日:12月29日〜12月31日
拝観料:410円(小学生未満無料)

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