南禅寺方丈

―南禅寺方丈―
なんぜんじほうじょう

京都府京都市
国宝 1953年指定


 鎌倉時代に武士や庶民を中心に発展した禅宗は、日本各地に多大なる影響を与えた。特にその興隆の地である鎌倉、及び長きに渡り日本の中心であった京都には、数多くの禅宗寺院が建立され、室町時代になると禅宗寺院の寺格を表す鎌倉五山、京都五山が制定された。錚々たる寺院がその名を連ねる両五山であるが、しかしそれらのさらに上位に位置する「五山之上」として、別格扱いの禅宗寺院が存在する。日本最古の勅願禅寺、瑞龍山太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)こと、南禅寺である。現在に見られる南禅寺の伽藍は、江戸時代初期に復興された際に整えられたものであるが、その中でも京都御所から移築されたとされる方丈が、国宝に指定されている。




引き違いの舞良戸(まいらど)が並ぶ大方丈南側

 南禅寺の伽藍が広がるその地には、後嵯峨天皇が鎌倉時代の文永元年(1264年)に造営した離宮、禅林寺殿(ぜんりんじでん)が存在していた。正応4年(1291年)になると、仏門に入った亀山法皇が禅林寺殿を禅寺に改め、東福寺の大明国師(だいみょうこくし)こと無関普門(むかんふもん)を開山として、龍安山禅林禅寺を開いたのだ。現在の寺名である太平興国南禅禅寺に改められたのは、正安年間(1299年〜1302年)の事である。しかし、その後の室町時代、応仁の乱によって伽藍が烏有に帰すと、南禅寺は衰退の憂き目に遭う。南禅寺が本格的に再興するのは、江戸時代初期の慶長10年(1605年)、徳川家康のブレーンであった以心崇伝(いしんすうでん)が住持になってからの事だ。




大方丈に小方丈がL字型に接続する部分
大方丈も小方丈も、屋根は杮(こけら)葺きである

 緩やかな山の斜面を利用して作られた南禅寺の伽藍には、三門と法堂(はっとう)が西に面して並んでいる。南禅寺方丈はそのさらに奥、法堂の裏手に位置している。この方丈は、元は別々の建物であった大方丈と小方丈を組み合わせて一つの建物にしたもので、大方丈の裏側に小方丈が接続された形となっている。そのうち大方丈は、桃山時代の天正14年(1586年)に造営された、京都御所の正親町院御所(おおぎまちいんごしょ)の宸殿を、以心崇伝の働きかけによって慶長16年(1611年)に南禅寺へ移築したものであるという。小方丈はその後に付け加えられたものとされるが、定かではない。一説によると、伏見城の小書院であったものを、承応元年(1652年)に移築したものであるという。




宮廷建築の名残を残す、大方丈東側の半蔀(はじとみ)

 本来、住持の住まいとして建てられる方丈は、客間として用いられる南側の三室、及び住持の私室として用いられる北側三室の計六室から成るのが基本である。南禅寺の大方丈もまたその様式を踏襲しながらも、御所における宮廷建築としてふさわしい形に発展したものとなっている。大方丈の中心を担うのは、亀山法皇像が安置されている中央北側の「内陣」と、その前室の「御昼の間」だ。その二室の東側には「麝香(じゃこう)の間」と「鳴滝の間」、西側には「鶴の間」と「西の間」が配され(以上が基本の六室)、さらにそれらの東端には「柳の間」と「六畳」、西端に「狭屋の間」という細長い部屋を付属した計九部屋の構成であり、その南側には庭園に面して広縁が設けられている。




玄関前にある広縁の欄間彫刻
江戸時代初期の伝説的彫刻家、左甚五郎(ひだりじんごろう)の作とされる

 「御昼の間」は、御所時代に上段の間として用いられていた部屋であり、その天井は二重折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)という極めて格の高い様式となっている。他にも、広縁の欄間彫刻や、外回りの蔀戸(しとみど)など、随所に宮廷建築の特徴を見ることができる。大方丈の内部は、狩野永徳(かのうえいとく)、及び狩野元信(かのうもとのぶ)が描いたとされる、目にも鮮やかな障壁画で飾られており、それらの障壁画124面は重要文化財に指定されている。一方、小方丈は六室から成る構成である。西側三室は狩野探幽(かのうたんゆう)が描いたとされる襖絵が飾られている事から、虎の間と呼ばれている。この虎の障壁画もまた、重要文化財に指定されている。




小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作庭と伝わる「虎の子渡しの庭」

 方丈の南側には、方丈の移築と同時期に作られたと考えられる、枯山水庭園が広がっている。東西に細長い矩形の土地に、白砂を敷いたその奥、築地壁に面して様々な木々や石がリズミカルに配されたその見事な庭園は、中国の故事に倣って「虎の子渡しの庭」と称されている。それは作庭の名手、小堀遠州によって作られたと伝えられ、江戸時代初期の代表的な枯山水庭園として国の名勝に指定されている。また、小方丈の西側には、心字形に庭石を配した「如心庭」が、北側には苔の生い茂る「六道庭」という名の枯山水庭園が存在する。それらは、それぞれ心安らかな解脱と、煩悩に迷う六道輪廻を表したものであり、対を成す庭園として昭和の時代に作られたものだ。

2010年01月訪問




【アクセス】

京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」より徒歩約10分。
「京都駅」より京都市営バス5系統で約40分「南禅寺・永観堂道バス停」下車、徒歩10分。

【拝観情報】

拝観料500円。
拝観時間は3月〜11月が8時40分〜17時、12月〜2月が8時40分〜16時30分。

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