新上五島町北魚目の文化的景観

―新上五島町北魚目の文化的景観―
しんかみごとうちょうきたうおのめのぶんかてきけいかん

長崎県南松浦郡新上五島町
重要文化的景観 2012年選定


 五島列島のうち二番目の面積を持つ中通島。その北部に半島状に突き出た北魚目地区は、隆起によって生成された極めて急峻な山々が連なっている。その厳しい自然環境にありながらも、人々は僅かな平地が存在する入江に集落を築いて漁業を営んできた。また江戸時代後期には西彼杵(にしそのぎ)半島の外海地域から移住してきた潜伏キリシタンにより山の中腹が開墾され、石積により甘藷畑と集落が築かれている。現在も北外目地区では伝統的な漁村と険しい地形に築かれた農村が対照的な集落景観を見せていることから、「立串」「小瀬良」「上小瀬良」「大瀬良」「大水」「江袋」「赤波江」「仲知」「一本松」「竹谷」「米山」「津和崎」の12集落を含む一帯が国の重要文化的景観に選定された。




柴田勝家の子孫と伝わり、今でもひと際広い敷地を持つ柴田家住宅

 南北12kmにも及ぶ選定地区のうち、最も規模の大きい集落が「立串」である。その歴史は江戸時代前期の慶長18年(1613年)、かつて賤ヶ岳の戦いにおいて羽柴(豊臣)秀吉に敗れ自刃した柴田勝家の子孫が従者と共に移住してきて定着したことに始まるという。当初は製塩で生計を立てており、のちに五島藩主から漁業の許可を受け、従者にカマス網を操業させるなど主従の深い繋がりが維持されていった。現在の集落は港に沿って柴田家住宅をはじめとする家屋が建ち並び、その背後の緩やかな傾斜地に家屋が密集して築かれている。主要な産業は漁業であり、秋には庭先でアゴ(トビウオ)を天日干しする景観を目にすることができるという。




潜伏キリシタンによって開拓された「上小瀬良」集落
下方の港には昔ながらの漁村である「小瀬良」集落が存在する

 北魚目地区の中央部には「小瀬良」と「上小瀬良」の集落が存在する。海岸沿いに家屋が並ぶ「小瀬良」は立串と同様の漁村であり、港の傍らにはかつて製塩業を営んでいた歴史を物語る塩釜神社が鎮座する。一方で小瀬良の上方に位置する「上小瀬良」は移住してきた潜伏キリシタンによって開拓された集落で、山の中腹に集落と甘藷畑が広がっている。明治時代に禁教令が解けると上小瀬良の人々はカトリックに復帰し、現在も集落には昭和26年(1951年)に築かれた小瀬良教会がたたずんでいる。このように北魚目地区では海岸沿いに家屋が集中する集村的な漁村と、山の中腹に家屋が散らばって建つ散村的なキリシタン農村という、二種類の対極的な集落形態が混在するのが特徴だ。




江袋集落の甘藷畑と江袋教会

 西向きの開けた斜面に位置する「江袋」は、北魚目地区の傾斜地としては最も条件の良い場所であることから潜伏キリシタン集落の中では比較的早い時期に形成された。伊能忠敬の測量による文化10年(1813年)の「備前国五島沿海」図においても、記されている集落は昔から存在する漁村の他、潜伏キリシタン集落では「江袋」と「仲知」だけである。かつては周囲の山の中腹から麓まで段畑が築かれており、海岸沿いには水田も存在していた。集落の中心に建つ江袋教会は明治15年(1882年)の建造と現役の木造教会としては最古級であったが、平成19(2007年)に漏電が原因と見られる火災により全焼。平成22年(2010年)に焼け残った部材を再利用して復元された。




標高180m前後にあり、防風林の発達した大水集落
北魚目地区では最も高所に位置するキリシタン集落である

 山の中腹にある潜伏キリシタン集落では、海から吹き付ける強風から家屋を守る為の防風林や防風石垣が発達している。移住元の外海地域では甘藷の栽培が盛んであったことから「いも文化」が持ち込まれ、同じく外海由来の石積技術によって築かれた段々畑で甘藷の栽培が行われてきた。収穫された甘藷は各家の床下に掘られた「いもがま」と呼ばれる貯蔵庫に保管して食料とし、また甘藷を輪切りにして干した「かんころ」を作って保存食とした。かんころの作成方法は、赤土と石などで作った「じろ」と呼ばれる屋外竈で芋を茹で、木材や竹で組んだ「やぐら」と呼ばれる干し棚に並べて風を当てながら乾燥させる。完成したかんころは主にもち米と一緒につき、「かんころ餅」として食されるという。




立串や小瀬良などと同様、家屋が密集した漁村である津和崎集落
奥には山の中腹に拓かれた米山集落が見える

 北魚目地区の北端に位置する「津和崎」は、港の周囲に家屋が連なる漁村である。江戸時代には平戸藩領であった小値賀(おぢか)島や野崎島と向かい合う位置にあり、津和崎集落もまた五島藩ではなく平戸藩に属していた。その立地条件から小値賀島との結び付きが強く、現在も小値賀島の明覚寺から住職を招いて法事法要を執り行っているという。津和崎の南に面した山の中腹に位置する「米山(こめやま)」は、野崎島や中通島の曽根、立串、小串などに移住した潜伏キリシタンが明治の始めに再移住して定着した二次移住の集落である。点在する家屋の周囲に耕作地が広がる農村であり、この津和崎と米山もまた北魚目地区特有の漁村と農村が対極的な集落景観を形成している。

2018年05月訪問




【アクセス】

佐世保港から高速船で約1時間40分、フェリーで約2時間30分。
「有川港ターミナル」から西肥バス「青方」行きで約25分「青方」バス停下車、「青方」バス停からから西肥バス「津和崎」行きで約45分「立串」バス停、約60分「江袋教会」バス停、約80分「津和崎」バス停下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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