登呂遺跡

―登呂遺跡―
とろいせき

静岡県静岡市
特別史跡 1952年指定


 静岡県の中央部を流れ、駿河湾へと注ぐ安倍川。その河口東岸に広がる低湿地に、弥生時代後期を代表する集落遺跡、登呂遺跡が存在する。安倍川の氾濫により、2〜3世紀のムラがまるまる一つ土中に埋もれたその跡地である登呂遺跡からは、竪穴式住居や高床式倉庫といった建物跡のみならず、水田の遺構も発見されている。土器や石器といった遺物も豊富で、また当地は水気の多い低湿地である事から、有機物が分解されにくく、木製品も大量に出土している。このように、登呂遺跡は弥生時代における典型的な集落の様相を今に伝える遺跡として貴重であり、また集落跡に水田跡が伴って出土した日本初の例として、日本考古学史においても重要な位置付けの遺跡である。




登呂遺跡は初めて弥生時代の集落跡と水田跡が伴って発見された例である

 登呂遺跡が発見されたのは、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)の事だ。水田が広がっていた登呂の地に軍需工場を建設していたその際、地中より数多くの木製品、杭列を伴う古代の水田跡が発見されたのである。戦後の昭和22年(1947年)には、より本格的な発掘調査が行われ、広大な水田跡や建物跡が確認された。なお、この発掘調査では「静岡市登呂遺跡調査会」が組織され、考古学者や人類学者のみならず、建築学や地質学、動植物学、農業経済学などといった、多岐に渡る分野の学者が連携し、研究が進められた。このような総合的な調査、研究が行われたのは日本初の事であり、またこの発掘調査を契機として1948年(昭和23年)には日本考古学協会が結成された。




平地式竪穴住居の跡
登呂遺跡では竪穴を掘るのではなく、平地に建てて周囲に土を盛っていた

 登呂遺跡の集落跡、いわば登呂ムラは、安倍川の土砂が洪水により押し流されて形成された、自然堤防の上に展開されている。昭和における発掘調査では、12棟の竪穴式住居跡、および2棟の高床倉庫跡が発見されており、そこには延べ5、60人程度が暮らしていたと考えられている。なお、このムラは低湿地にある為、地面を掘るとすぐに水が湧き出してしまう。よって登呂ムラでは、地面を掘らず平地の上に直接住居を建て、その周囲に浸水防止の為の土を盛った周堤を築いている。故に、正確には竪穴式住居ではなく、平地式竪穴住居と言うべきものだ。それら住居の平面は隅を丸めた方形、すなわち小判状の形であり、その内部からは柱跡や炉跡なども発見されている。




復元された住居の内部

 これらの平地式竪穴住居は、四隅に杉の柱を立てて梁を渡し、その周囲に材木を立て掛けて骨組みを作り、カヤを葺いて仕上げられていた。なお、柱の下には沈下防止の為に礎板を置くなど、水気の多い軟弱な地盤ならではの工夫も見られる。出入口はいずれも南東方向を向いているが、これは採光の為だ。高床式倉庫は、六本、または八本の柱で建てられており、壁は板を井桁状にはめ込んだ原始的な校倉造である。柱には円状のねずみ返しを備え、中に蓄えていた穀物をネズミなどの動物から守っていた。他にも登呂遺跡からは、井戸の跡や、杉を初めとする多様な植生を持つ森林跡が発見されており、集落内やその周囲の環境が明らかとなっている。




南北に水路が通り、その東西に水田が広がっていた

 登呂ムラの水田は、集落が存在する自然堤防の南東、集落より1メートル程低い沼地に開かれていた。その範囲は東西約250メートル、南北約400メートル、8ヘクタールほどの面積である。導水と排水の為の水路が南北に通され、その西側に一列、東側には三列、全部で4、50面ほど、方形に区切られた小区画の水田が広がっていたとされる。なお、水路や畦などには、杭や矢板(板状に平たい杭)が打ち込まれ、護岸されていた。登呂遺跡からは、これらの水田で用いられていた田下駄やクワ、スキ、また脱穀に用いられていた竪杵や竪臼など、現代にも通じ得る数多くの木製農具が出土しており、登呂ムラの人々は非常に高度な農業を営んでいた事が分かっている。




近年新たに発見され、復元された祭殿
高床式倉庫に似ているが、住居から離れた位置にある為、祭祀施設と考えられた

 昭和22年における発掘調査の後も、登呂遺跡ではたびたび発掘調査が行われてきた。史跡公園としての整備もなされ、近年では平成18年(2006年)度から平成24年(2012年)度にかけて、再整備が行われた。それまでの登呂遺跡の整備では、住居が存在していなかった場所に住居を復元していたり、水田が広がっていた場所に木々が植えられていたなど、本来の登呂遺跡の姿を正確に表したものではなかった。今回の整備では、それまでの発掘調査の成果、および平成11年(1999年)度から平成16年(2004年)度まで行われた発掘調査の成果を元に(この調査では、新たに住居跡や倉庫跡、祭殿跡などが発見されている)、遺構の保存および正確な登呂ムラの復元を図ったのである。

2007年01月訪問
2010年12月再訪問




【アクセス】

JR東海道線「静岡駅」よりしずてつバス「登呂線」で約15分、「登呂遺跡バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観自由。

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