岩橋千塚古墳群

―岩橋千塚古墳群―
いわせせんづかこふんぐん

和歌山県和歌山市
特別史跡 1952年指定


 岩橋千塚古墳群は、和歌山市東部に位置する丘陵一帯に広がる複数の古墳群の総称である。岩橋山の北斜面に密集して存在する岩橋前山古墳群を中心として、周囲の丘に存在する大日山古墳群、花山古墳群、大谷山古墳群、和佐古墳群、井辺総綱寺谷古墳群、井辺前山古墳群、寺内古墳群といった全部で8つの古墳群から構成されており、その範囲はおよそ3km四方と非常に広大。古墳の総数は600基にも及ぶという。




中小豪族が築いた後期の円墳が隙間無く密集する

 これらの古墳群を造成したのは、紀伊国を作り上げた大豪族である紀氏や、その周辺の小豪族などであると考えられている。まず最初、古墳時代前期や中期に大豪族たちが巨大な前方後円墳を作った。古墳時代後期になると、生産力の向上により力を持った中小豪族たちが小規模な円墳を次々と築き上げ、現在見られるような小規模円墳の密集する古墳群の光景となった。




6世紀後半の前方後円墳、将軍塚古墳(前山B53号墳)玄室入口

 8つの古墳群の中で、最も早く古墳が作られ始めたのは花山古墳群である。花山には古い形式の前方後円墳が比較的多く見られ、埋葬施設も粘土槨のものが多い。粘土槨とは棺を粘土で覆い、その上に土を持った簡素な埋葬の形式であり、古墳時代の前期から中期にかけて広く用いられていた。花山古墳群造営後は、大谷山古墳群や大日山古墳群、岩橋前山古墳群へと続いて行く。その中でも大日山や岩橋前山には後期の小規模円墳が高密度で分布しており、往時の繁栄を偲ぶことができる。




横穴式石室を持つ円墳、前山A23号墳(右手前)と前山A24号墳(左奥)

 岩橋千塚古墳群に密集する後期の円墳は、封土の直径4m、高さ2mという小規模のものから、直径30m、高さ8mという大規模なものまで様々である。石室の種類で言えば、棺を収める部屋だけの竪穴式石室と、棺を収める玄室(げんしつ)と玄室へ至る横穴である羨道(せんどう)が設けられる横穴式石室があり、石材は緑がかった平べったい結晶片岩が用いられている。また岩橋千塚古墳群の横穴式石室は、玄室と羨道の間にさらに玄室前道と呼ばれる短い空間が存在するのが特徴である。




前山A46号墳の玄室
岩橋型横穴式石室の特徴である石棚(中央)や石梁(上)が見える

 岩橋千塚古墳群の横穴式石室における玄室内部には、天井を支える梁のような石梁や、玄室奥から手前に張り出す石棚を見ることができる。この石梁や石棚は玄室を支える構造的な役割を持ち、これらを備えることで天井の高い内部空間を作り出すことができたとされる。特に石梁は、この付近にしか見られない極めて局所的なもの。石棚は九州など他の地域の古墳にも見られるものの和歌山県には特に多く、そのうちの多くがこの古墳群に集まっている。この石梁や石棚、それに前述の玄室前道を備える横穴式石室は、岩橋千塚古墳群の特徴として岩橋型横穴式石室と呼ばれている。




紀伊国最大級を誇る前方後円墳、大日山35号墳

 古墳群のほぼ中心に位置する大日山の山頂には、大日山35号墳という6世紀前半に作られた前方後円墳がある。大日山35号墳は基壇の長さで105mあり、これは和歌山県で最大級。後円部分に作られた石室は岩橋型石室として初期に作られたものであり、その代表例として知られている。2003年から2005年にかけて行われた発掘調査では、くびれの左右にある造出(つくりだし)という平地から数多くの形象埴輪が発掘された。特に矢筒型埴輪、2つの顔持つ人物埴輪、翼を広げた鳥形埴輪の三つは、ここからしか発見されていないユニークな埴輪である。

2009年01月訪問




【アクセス】

JR紀勢本線「和歌山駅」より和歌山バス「紀伊風土記の丘行き」で約20分、終点下車。

【拝観情報】

拝観自由。

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