中尊寺金色堂

―中尊寺金色堂―
ちゅうそんじこんじきどう

岩手県西磐井郡平泉町
国宝 1951年指定


 平安時代末期、東北地方に一大勢力を築いた奥州藤原氏。その拠点として繁栄を極めた平泉には、浄土思想に基づいて築かれた寺院や庭園が数多く残されている。初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)が建立した中尊寺は、関山(かんざん)と呼ばれる丘陵に境内を構える天台宗の仏教寺院だ。尾根沿いに伸びる参道の奥に、現在は鉄筋コンクリート造の覆堂に守られた金色堂が鎮座する。その名の通り、屋根以外の建物全体に漆塗りと金箔を施し、様々な装飾によって内陣を飾り立てた豪華絢爛な阿弥陀堂であり、阿弥陀如来が治める極楽浄土を表現している。平安時代における工芸技術の粋ともいえる傑作として名高く、文化財保護法が施行された直後の昭和26年(1951年)に国宝に指定された。




明治42年(1909年)に再建された、中尊寺の本堂

 「前九年の役」と「後三年の役」を乗り越えて奥羽の覇者となった藤原清衡は、嘉保年間(1094年〜1095年)頃に平泉へと居館を移し、戦乱で死亡した敵味方双方の鎮魂のため、また恒久の平和を願うべく、浄土思想に基づく仏国土を築こうと考えた。長治2年 (1105年)、関山に塔を建てたのを皮切りに堂宇の造営を開始し、天治元年(1124年)には金色堂を建立。以降、中尊寺は二代基衡(もとひら)が築いた毛越寺(もうつじ)、および三代秀衡(ひでひら)が建てた無量光院などと共に平泉における信仰の中心地として多大に発展したが、平治の乱で敗れた源義経をかくまっていたことを理由に文治5年(1189年)源頼朝によって四代泰衡(やすひら)が討たれ、奥州藤原氏は滅亡する。




現在の覆堂が建てられるまで金色堂を守っていた旧覆堂

 中尊寺は奥州藤原氏という強力な庇護者を失ったものの、その後も時の権力者により庇護を受けて存続していった。金色堂は建立時には野ざらしであったものの、その後に風雨から建物を守るための策が講じられ、また正応元年(1288年)には鎌倉幕府の第七代征夷大将軍、惟康親王(これやすしんのう)の命によって建物全体を覆う覆堂が建てられた。南北朝時代に入った直後の建武4年 (1337年)には中尊寺の境内ほぼ全域を焼き尽くす大火が起きたものの、金色堂だけは火の手を免れ現在まで残ることとなった。覆堂は度々建て替えられており、室町時代に建てられた3代目の覆堂は、昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリート造の4代目が建てられるまで、約700年に渡り金色堂を守り続けてきた。




かつてはこの空間に金色堂が納められていた
様式から室町中期の建立と考えられており、重要文化財に指定されている

 金色堂は三間(5.48メートル)四方と比較的小規模ではあるものの、奥州で産出された砂金を基盤とする資金力を惜しみなくつぎ込んだ、他に類を見ない装飾の仏堂となっている。屋根は宝形造とし、木製の瓦を用いた木瓦葺(こがわらぶき)である。屋根以外の全面には漆を塗って金箔を押し、軒下に並ぶ垂木や梁の木口には透かし彫りの飾り金具を施し、金色堂の外観を飾っている。内陣の装飾はおびただしく、南方の海で採れる夜光貝や蝶貝の薄片をはめた螺鈿(らでん)細工、漆で描いた絵に金や銀の粉を撒いて定着させる蒔絵(まきえ)、金工による飾り金具などの技法を用い、柱や梁、須弥壇を飾り立てている。これらの工芸技術は京の都から呼び寄せた職人の手によるものだ。




参道沿いに位置する鐘楼
大火後の康永2年(1343年)に鋳造された梵鐘が吊るされている

 内陣を飾る装飾の素材には、紫檀(したん)やアフリカ象の象牙などの舶来品も用いられている。これらは螺鈿に使用されている夜光貝と共に、北方貿易によって大陸からもたらされたものであり、北宋と独自に貿易を行っていた奥州藤原氏の権力と財力を物語る証左である。しかしそれだけ贅を尽くして建てられた金色堂も、奥州藤原氏が滅びて以降は劣化するのみ。中尊寺の衰退も相まって、永らくボロボロの状態であった。そこで昭和37年(1962年)から昭和43年(1968年)の6年に渡って解体修理と装飾の修復が行われ、すべての金箔が張り直された金色堂は800年もの時を超え、創建当時の輝きが今に蘇ることとなった。




境内の中央に位置する大池跡
四代泰衡の首級桶から発見された蓮の種が開花し、ここで育てられている

 須弥壇は正面壇、左壇、右壇の計3基が据えられている。いずれの壇も、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像と脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心とし、左右に三体ずつ計六体の地蔵菩薩立像、手前の左右に持国天像、増長天像を配している。計11体から成るこの仏像構成は他に類を見ないものであり、すべての像が国宝に指定されている。また各須弥壇の内部には、奥州藤原氏四代のミイラ化した遺体が安置されている。中央壇には初代清衡、右壇には二代基衡と四代泰衡の首級、左壇には三代秀衡が、様々な副葬品と共に納められていた。金色堂は浄土往生を願う阿弥陀堂であると共に、奥州藤原氏の当主が眠る廟堂でもある。

2006年06月訪問
2015年10月再訪問




【アクセス】

「平泉駅」から中尊寺境内入口まで徒歩約25分(駅にレンタサイクル有)、境内入口から金色堂まで徒歩約20分。

【拝観情報】

拝観料金は金色堂、経蔵、旧覆堂、及び讃衡蔵(宝物館)共通で800円。
拝観時間8時〜17時(11月11日〜3月31日は8時30分〜16時30分)。

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