平等院鳳凰堂

―平等院鳳凰堂―
びょうどういんほうおうどう

京都府宇治市
国宝 1951年指定


 京都の南、鵜飼など歴史的な文化景観を今に残す宇治川のほとりに建つ平等院は、平安時代を代表する仏教寺院である。その境内に広がる庭園の中心、池の中島に建つ建造物こそ、10円硬貨のデザインで有名な鳳凰堂だ。庭園全体とともに、平安時代に盛んであった浄土思想の世界観を表現する鳳凰堂は、まるで羽を広げた鳳凰のような、まさに西方浄土を思い起こさせるにふさわしい華麗なたたずまいを見せる。




中心の中堂から翼のような翼廊が伸びる

 平等院が置かれたその場所は、もとは平安時代の関白、藤原道長(ふじわらのみちなが)の別荘である、宇治殿のあった土地である。道長が万寿4年(1027年)に死去すると別荘は道長の子である藤原頼通(ふじわらのよりみち)へと渡るが、頼通はそれを寺院へと作り変え、平等院とした。当時は普通の本堂を持つ仏教寺院であったが、天喜元年(1053年)に西方浄土を具現化した浄土式庭園(浄土思想に基づき作られた庭園)を造り、その中心に阿弥陀堂を建てた。それが現在の鳳凰堂である。




阿字池南西から望む鳳凰堂

 浄土式庭園である平等院庭園では、阿字池(あじいけ)をその中心に据え、池の中島に人々を救済するという阿弥陀如来を安置した鳳凰堂が建つ。鳳凰堂は東に向け戸を開いているが、こうすることにより人々は対岸から西向きに阿弥陀如来を拝むこととなる。これは阿弥陀如来の住む極楽浄土は西方にあるという、浄土の世界観を表現したものなのだ。平安時代にはこのような浄土式の寺院が盛んに作られたが、現在まで残る寺院は少なく、平等院は往時の浄土寺院の有様をほぼ完全に残す寺院として非常に貴重である。




中堂正面。屋根の上にはそのものズバリな鳳凰が二尾乗っている
ただしこれらは複製であり、国宝の実物は鳳翔館(平等院の博物館)にある

 鳳凰堂は中心の中堂とその左右に連なる翼廊、中堂の背後に繋がる尾廊といった、全部で四棟の建物から成る。ただしこのうち建物として機能しているのは阿弥陀如来を祀る中堂だけだ。両翼廊は中堂を引き立てるための装飾であり実用性は皆無。尾廊もまた中堂へ渡るための通路に過ぎない。鳳凰堂は元は阿弥陀堂という名であったが、これらの建物がまるで羽を広げた鳳凰のように見えることから、江戸時代より鳳凰堂と呼ばれるようになった。




鳳凰堂右後方より尾廊と中堂を見る

 中堂に鎮座する阿弥陀如来坐像は平安時代を代表する仏師、定朝(じょうちゅう)によって作られたことが判明している唯一の作品であり、鳳凰堂同様国宝に指定されている。定朝の作風は穏やかな表情にふっくらとした丸い顔が特徴で、浄土を求める当時の人々の思考にマッチして指示された。それは定朝様式として弟子たちに受け継がれていき、定朝の仏像は「仏の本様」として、仏像造りの規範ともなった。また、定朝は複数の木材から一つの木像を作り出す、寄木造の技法を完成させた人物でもあり、まさに日本の木造彫刻において多大な功績を残した仏師である。




鎌倉時代初期に再建された観音堂(重要文化財)
平等院建立当時はこの場所に本堂があったという

 阿弥陀如来坐像の頭上には、精巧な螺鈿や金箔によって飾られた、装飾著しい木造の天蓋(てんがい)が吊るされている。また中堂の内部、四方の壁や扉には色鮮やかな壁画が描かれている。これらは平安時代から鎌倉時代にかけて描かれたもので、浄土教の根本聖典の一つである観無量寿経がそのモチーフとなっている。さらに中堂の壁上部には、楽器を手にしたり様々なポーズを取る52体もの木造雲中供養菩薩像が本尊を囲むように掲げられている。これらも全て国宝指定を受けており、本尊と相まって浄土芸術の極みを見せる。

2007年11月訪問




【アクセス】

京阪電気鉄道「宇治駅」から徒歩約10分。
JR奈良線「宇治駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

拝観料600円、拝観時間8時30分〜17時30分(入場は17時15分まで)。

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