唐招提寺経蔵、唐招提寺宝蔵、唐招提寺鼓楼

―唐招提寺経蔵―
とうしょうだいじきょうぞう
国宝 1953年指定

―唐招提寺宝蔵―
とうしょうだいじほうぞう
国宝 1959年指定

―唐招提寺鼓楼―
とうしょうだいじころう
国宝 1953年指定

奈良県奈良市


 言わずと知れた奈良時代の首都、平城京。その右京にあたる西ノ京は、奈良時代からの名刹が集う地として知られている。その西ノ京に鎮座する唐招提寺は、唐より招かれた帰化僧の鑑真(がんじん)によって、天平宝字3年(759年)に創建された、律宗の総本山である。鑑真が晩年を過ごし、入滅までの5年の間、戒律を説く事にその身を費やした唐招提寺の境内には、平城宮の宮廷建築を天平宝字4年(760年)頃に移築、改修して建てられた講堂や、鑑真が没した後の奈良時代末期、弟子たちによって建てられた金堂、同じく奈良時代に建てられた校倉造(あぜくらづくり)の経蔵および宝蔵、鎌倉時代に建てられた鼓楼などが残されており、それらはいずれも国宝に指定されている。




二棟並ぶ、校倉造の宝蔵(左)と経蔵(右)

 唐招提寺の伽藍が広がるその場所は、元は新田部(にたべ)親王の邸宅であった。それを天平宝字2年(758年)に淳仁(じゅんにん)天皇が鑑真へと下賜し、鑑真はその土地に講堂を建て、戒律を学ぶ道場として唐招提寺を創建したのだ。そこがまだ新田部親王邸であった頃、果たしてどのような住居建築が建てられていたのかは定かではないが、唯一、唐招提寺が開かれる以前より残る遺構として、経蔵がある。金堂の東側に建つその経蔵は、校倉造という弥生時代の高床式倉庫にルーツを持つ建築様式で建てられたものであり、元は新田部親王邸の倉であったものを、唐招提寺創建時に改造を施して経蔵にしたという。これは東大寺正倉院の正倉よりも古く、現存最古の校倉造建築である。




唐招提寺創建以前より存在していた、最古の校倉造である経蔵

 校倉造は、校木(あぜぎ)と呼ばれる三角形の断面を持つ横材を、井桁状に積み重ねて壁とした倉庫建築だ。建材であるスギやヒノキの特性により、温度や湿度の調節に優れ、古代より収蔵物を良好な状態で保存しておくことができる倉庫として利用されてきた。壁の端には鼠返しと呼ばれる下向きに反った板が付けられており、鼠などの侵入を防いでいるが、これは校倉が米などの食糧貯蔵庫として利用されていた名残である。また、この鼠返しは、雨水を流す為の雨切の役目も担っている。唐招提寺経蔵の規模は、桁行三間に梁間三間。屋根は寄棟造りの本瓦葺きである。かつては垂木が一段の一軒(ひとのき)であったが、改修により二段の垂木を持つ二軒(ふたのき)へと変えられている。




経蔵よりも一回り大きい、唐招提寺宝蔵

 経蔵の隣には、同じく校倉造の宝蔵が静かにたたずんでいる。こちらは経蔵とは違って新田部親王邸時代からのものではなく、唐招提寺が創建された折に新しく建てられたものだ。宝蔵も経蔵と同じく、寄棟造りの本瓦葺きで垂木は二軒。柱間数も桁行三間、梁間三間と経蔵と同様であるが、宝蔵は経蔵よりサイズが一回り大きく作られている。また経蔵は比較的質の低い木材を用いて建てられているが、宝蔵は樹心部分を含まない良質の心去り材を用いて建てられている点も異なっている。このように校倉造が二棟並んで残る例は他に無く、極めて貴重な遺構であると言える。なお、現在は宝蔵の奥に鉄筋コンクリート造の新宝蔵が建てられており、寺宝の多くはこちらに移されている。




鎌倉時代に建てられた唐招提寺鼓楼
背後の長い建物も、鎌倉時代の礼堂(重要文化財)である

 平安時代になると、仏陀の立教より1000年後には、仏法が及ばない世の中になるという末法思想が広まって、厳しい修行を行わずとも、念仏を唱えるだけで誰もが極楽浄土へ行けるという念仏信仰が台頭した。それに伴い、律宗の教義である戒律の研究および実践は軽視されるようになってしまい、唐招提寺は衰退の道を下って行く。しかしながら、鎌倉時代に入ると、再び戒律重視の動きが活発となり、興福寺の覚盛(かくじょう)は、西大寺の叡尊(えいそん)などと共に自らに戒律を授ける自誓受戒を行うと、寛元2年(1244年)に唐招提寺へと入って寺勢を復興させ、見事律宗を蘇らせたのだ。それにより覚盛は唐招提寺中興の祖として、今もなお中興堂にて祀られている。




鼓楼の軒下、および組物
和様の中に大仏様の木鼻(きばな)が見られる新和様建築である

 金堂の右斜め後ろに建つ鼓楼は、覚盛が唐招提寺を復興する少し前、鎌倉時代の仁治元年(1240年)に建てられた楼造建造である。唐招提寺創建当時、鼓楼の位置には経楼が建っており、金堂左斜め後ろに位置する鐘楼と対を成していた。この建物は鼓楼と呼ばれるものの、太鼓が置かれていた訳ではなく、その一階は鑑真が唐より持参した仏舎利を安置する舎利殿として、また二階は経蔵として利用されていたという。故に、一階の窓は通常の連子窓、二階はより隙間無く格子が入れられた盲連子窓となっている。また、この建築は和様がベースとなっているが、柱の上部を貫く水平材の頭貫(かしらぬき)には、鎌倉時代に大陸から伝わった大仏様の特徴である木鼻も認められる。

2006年12月訪問
2009年12月再訪問




【アクセス】

近鉄橿原線「西ノ京駅」から徒歩約10分。

【拝観情報】

拝観料600円、拝観時間8時30分〜17時。

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