東大寺転害門、東大寺本坊経庫

―東大寺転害門―
とうだいじてがいもん
国宝 1952年指定

―東大寺本坊経庫―
とうだいじほんぼうきょうこ
国宝 1953年指定

奈良県奈良市


 奈良時代の天平15年(743年)に聖武天皇が築いた東大寺は、全国国分寺の総本山として大仏殿や南大門など壮大な七堂伽藍が整えられた。しかし平安時代になると、落雷や火災、暴風などによっていくつかの建物が失われ、さらに治承4年(1181年)には、平清盛(たいらのきよもり)の命によって焼き討ちされ、その伽藍は灰燼に帰した。また戦国時代の永禄10年(1567年)にも、三好家の主導権争いに東大寺が巻き込まれ、大仏殿など焼失している。しかしながら、そのような度々の災厄においても失われる事無く、創建当時より今に残る建造物も存在する。東大寺境内の北西に構えられた転害門、および本坊に建つ経庫も、そのような東大寺に残る数少ない奈良時代の遺構である。




東大寺転害門の軒回り
地垂木は奈良時代特有の丸垂木で、また中央間の天井は組入天井になっている

 東大寺境内の西側に面して、東七坊大路(現在の国道336号線)が南北に通っている。その東七坊大路に対して、東大寺は三ヶ所に門を開いていたが、転害門はそのうち最も北に位置する門である。その正確な創建時期は不明だが、天平勝宝8年(756年)に作成された「東大寺山堺四至図」には、既に佐保路門という名でその存在が描かれている。平城京一条南大路(現在の一条通り)に向かって構えられた通用門として、往時は多数の出入りがあったという。この転害門は、門柱が横に四本並び、門柱の前後にそれぞれ一本ずつ、計八本の控柱を持つ八脚門(やつあしもん)である。柱間三間のうち、通り抜けられるのは中央一間のみの、三間一戸(さんげんいっこ)のスタイルだ。




本瓦で葺かれた切妻造の妻面は二重虹梁蟇股で飾られている
鎌倉時代の修理によって付け加えられた大仏様の線形(くりがた)も見られる

 転害門を構成する木材は太く、妻面には二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた、大虹梁の上に小虹梁を架け、その間に蟇股を入れる構架法)を見る事ができる。鎌倉時代に補修がなされており、元は平三斗(ひらみつど)であった組物が出組(でぐみ)に変えられ、屋根が若干大きく改変されてはいるものの、奈良時代における大寺院の門の様相を良く残しているものとして、国宝に指定されている。なお、手前中央間の天井は、格子を張った格の高い組入天井(くみいりてんじょう)であり、その下には四つの礎石が置かれている。これは毎年10月5日、東大寺の鎮守社である手向山神社の祭礼、転害会(てがいえ)の際に、転害門を神輿の御旅所として、その位置に神輿を置くのである。




転害門同様、東大寺創建当時に建てられた東大寺本坊経庫

 南大門から大仏殿に至る参道の東側は、かつては東南院と呼ばれる東大寺の子院があった一角で、現在は東大寺の本坊が存在する。その本坊の書院手前に建つのが、校倉造(あぜくらづくり)の本坊経庫だ。校倉造とは、断面が三角形の横材である校木(あぜぎ)を井桁状に組んだ建築の事で、そのルーツは弥生時代の高床式倉庫であるという。木材の特性により温度と湿度の調節に優れ、古くより倉庫として用いられてきた。この本坊経庫は、東大寺の創建時に大仏殿の裏手に建てられたもので、元は大仏殿に明かりを灯す為の燃料を貯蔵する油倉であったという。その後、江戸時代の正徳4年(1714年)に現在地に移築され、経典を納める為の経庫として用いられるようになった。




断面が三角形の校木をがっしり噛み合わせて建てられている
こちらの垂木も、奈良時代特有の丸垂木が用いられている

 東大寺本坊経庫は桁行三間、梁間二間であり、屋根は本瓦葺きの寄棟造。正面中央に鍵付きの扉が設けられている。12本の柱は礎石の上に立ち、建物との接点にはネズミ返しが取り付けられ、また扉に上る為の階段も取り外しが可能となっているなど、ネズミなどの動物から貯蔵物を守る為の工夫が見られる。鎌倉時代と室町時代に修理がなされており、一部の部材が取り替えられてはいるものの、創建時からの部材も数多く残っており、状態は非常に良い。また校倉造としての規模も大きく立派なものだ。軒裏の垂木は断面の丸い材木を用いた丸垂木であるが、これは奈良時代の建造物の特徴である。奈良時代における校倉造の模範的な例として、貴重な建造物であると言える。




礎石に建つ本坊経庫の柱とネズミ返し

 なお、東大寺の境内には、本坊経庫を含めて計六棟の校倉が存在する。そのうち東大寺創建当時に建立された本坊経庫と、大仏殿裏手に位置する正倉院正倉の二棟が国宝だ。正倉は東大寺の宝物を納める倉であるが、現在は宝物と共に宮内庁の所管である。また、その正倉の側には、平安時代末期、あるいは鎌倉時代の建立である、聖語蔵(しょうごぞう)が残されている。これは、かつて東南院と共に東大寺の二大院と称された尊勝院の経蔵であった。法華堂経庫と勧進所経庫は、平安時代前期に正倉の西側に建てられた倉を移築したもの。手向山神社宝庫は、本坊経庫と共に油倉として並んでいたものだ。これらのうち、宮内庁所管の聖語蔵以外は全て重要文化財に指定されている。

2006年12月訪問(転害門)
2009年01月再訪問(転害門)
2010年05月訪問(本坊経庫)
2018年11月再訪問(転害門)




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約30分。
JR奈良線「奈良駅」より徒歩約40分。

【拝観情報】

転害門は境内自由。
本坊経庫は通常非公開だが、毎年5月2日の聖武天皇祭にて外観の拝観が可能である。

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