東大寺南大門

―東大寺南大門―
とうだいじなんだいもん

奈良県奈良市
国宝 1951年指定


 奈良時代の天平15年(743年)、聖武天皇は国家鎮護の為、全国68ヶ国に国分寺と国分尼寺を設置した。それら国分寺の総本山であったのが大和国の国分寺、東大寺である。東大寺は「奈良の大仏」こと盧舎那(るしゃな)仏を安置する金堂(大仏殿)を中心に、かつては講堂や東塔、西塔など、国分寺式の壮大な七堂伽藍を有していた。その伽藍の正門として、大仏殿へ続く参道の途中に構えられたのが南大門である。現存する東大寺南大門は鎌倉時代初期に建てられたものであり、平安時代末期に宋から伝わった大仏様の建築様式で建てられた壮大な二重門だ。純粋な大仏様の建築は、この東大寺南大門と兵庫県の浄土寺浄土堂の二つしか現存せず、極めて貴重な建築である。




大寺院の正門にふさわしい、極めて壮大な東大寺南大門

 東大寺は創建以降、奈良時代を通じて南都仏教の道場として大いに栄えた。しかし平安時代になると、その大寺院は相次いで災いに見舞われた。まず、講堂と僧坊が火災によって焼失、西塔も落雷によって失われてしまった。そして南大門もまた、応和2年(962年)の暴風によって倒壊してしまう。東大寺は荘園を開発し、数多くの僧兵を抱え、興福寺と共に南都の一大勢力に成長したものの、平安時代末期の治承4年(1181年)に平清盛(たいらのきよもり)の命を受けた平重衡(たいらのしげひら)によって攻め込まれ、大仏殿を始めとする主要伽藍を失ってしまった。灰燼に帰した東大寺を復興に導いたのは、俊乗房(しゅんじょうぼう)こと重源(ちょうげん)上人である。




重源上人が築いた純粋大仏様の大建築だ
戦国時代に焼失した二代目大仏殿の姿を知る手がかりでもある

 重源上人は後白河法皇(ごしらかわほうおう)、源頼朝(みなもとのよりとも)、九条兼実(くじょうかねざね)らの寄進を取り付け、宋の土木技術者である陳和卿(ちんなけい)と共に東大寺の建造物を再建した。その際に二人が採用した建築様式は、大陸由来の大仏様であった。大仏殿の再建は建久元年(1190年)年、南大門は正治元年(1199年)の事で、現存する南大門はこの時に建てられたものである。なお、大仏殿は戦国時代の永禄10年(1567年)にも焼失しており、現存するものは宝永2年(1705)に再建された三代目だ。三代目大仏殿は、大仏様をベースとしながら和様を織り交ぜた折衷様であり、故に重源が築いた大仏様の建造物は、東大寺では南大門が残るのみである。




柱と貫(ぬき)で
シンプルながら合理的な建築法で、高い耐震性を持つ

 東大寺南大門は、基壇の上に建つ五間三戸の二重門である。五間三戸とは、五間ある柱間のうち通り抜けられるのが三間という事。二重門とは、上層と下層の両方に屋根が付く二階建ての門という事だ。ただし、この南大門は二重門とは言うものの、下層内部に天井が張られておらず、下層から化粧屋根裏までを見通す事ができる吹き抜けの構造となっている。いわば、腰屋根付きの一重門だ。柱の高さは21メートルにも及び、基壇を含めた南大門の高さは25.46メートルに達する、日本最大の山門である。その屋根を支える円柱は全部で18本。それらが上層まで通され、何段もの貫と呼ばれる水平材でそれぞれ繋がれ、固められている。この貫こそが、大仏様最大の特徴だ。




大仏様の組物である六手先(むてさき)
前へ迫り出す挿肘木(さしひじき)を通肘木(とおしひじき)で繋いでいる

 軒を支える組物は、挿肘木を六段に組んだ六手先で、それらを水平材の通肘木が繋いでいる。柱間からは中備の遊離尾垂木(ゆうりおだるぎ)が伸び、軒の荷重を分散している。垂木は端の数本のみを扇状に配した隅扇垂木(すみおうぎだるき)である。柱と貫とで構成される大仏様は強度が高く、また使用する木材も少なくて済む。故に、大仏殿やこの南大門のような、巨大建造物を作るに適した建築法なのだ。しかし、その豪快で大陸的な様相が敬遠されたのか、大仏様の建造物は重源上人の死去と共に建てられる事が無くなった。しかし、耐震性の高い貫の構造や、木鼻の意匠などは和様に取り入れられ、新和様へ発展するなど、大仏様が日本建築にもたらした影響は極めて大きい。




仁王像のうちの阿形
その巨体は檜材の寄木造で作られている

 南大門の左右間には、高さ約8.4メートルもの巨大な金剛力士立像が睨みを利かせている。通常このような仁王像は、向かって右が阿形、左が吽形であるのに対し、東大寺南大門のそれは左が阿形、右が吽形と逆である。これらは、現在の南大門が再建されたその際、鎌倉時代に慶派の名仏師たちの手によって刻まれたもので、共に国宝に指定されている。像内から発見された墨書などによると、阿形は運慶(うんけい)と快慶(かいけい)、及び12人の仏師が、また吽形は定覚(じょうかく)と湛慶(たんけい)、及び13人の仏師が、わずか69日間で一斉に彫り上げたものであるという。また、背後側の左右間には宋の石工が作った石獅子が安置されており、こちらは重要文化財の指定である。

2006年12月訪問
2010年04月再訪問
2018年11月再訪問




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約15分。
JR奈良線「奈良駅」より徒歩約25分。

【拝観情報】

境内自由。

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