太山寺本堂

―太山寺本堂―
たいさんじほんどう

愛媛県松山市
国宝 1956年指定


 古くより、瀬戸内における海上交通の重要拠点であった、愛媛県松山市西部の松山港。その港を見下ろす位置にそびえる経ヶ森(きょうがもり)の中腹に位置するのが、四国八十八箇所霊場の第52番札所として知られる古社、瀧雲山(りゅううんざん)太山寺である。その参道は、山麓に構えられた一の門から始まり、鎌倉時代に建造された二の門(二王門)を抜け、さらに石段を登ったその先の三の門(楼門)をくぐると、極めて堂々としたたたずまいの本堂が表れる。鎌倉時代の後期に建てられたその本堂は、桁行七間、梁間九間という巨大な規模を持ち、またその建物を覆う屋根も目を見張る程の高さを見せる。中世密教仏堂における最大規模のものとして、貴重な建築である。




本堂と同じく鎌倉後期に建てられた二王門(重要文化財)

 太山寺の創建には、真野長者による「一夜建立の御堂」伝説が語られている。飛鳥時代の用明天皇2年(587年)、九州は豊後国臼杵の真野長者が船で難波に向かう途中、沖で嵐に遭遇した。長者が観音菩薩に祈ると、岸にそびえる山から光が射し、嵐が止んで助かったという。後に長者がその光が射した山、現在の太山寺奥の院にあたる経ヶ森を訪れたところ、そこには十一面観音菩薩像が鎮座していた。助けられた事に感謝した真野長者は、豊後国で木組みした建材を船で運び、一夜にして十一面観音菩薩像を祀る堂を経ヶ森に建てたという。なお、この真野長者にまつわる縁起は、豊後地方に古くから伝わる真名長者伝説に基づくものであり、その関係が興味深い。




規模も屋根の大きさも、極めて壮大な中世密教仏堂である

 奈良時代の天平5年(733年)には、聖武天皇の勅願を受けた行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、以降は朝廷の篤い観音信仰のもと、壮大な伽藍と多数の子院を備える大寺院となった。現在、本堂に秘仏として祀られている本尊の木造十一面観音立像、およびその両脇に安置されている六体の木造十一面観音立像は、後冷泉天皇以降の歴代天皇が勅納したものと伝えられている。いずれも像高1.5メートル前後、平安時代後期の作で、重要文化財の指定である。なお、この太山寺には天長年間(824〜834年)に空海が訪れ、その際に法相宗から真言宗へと改宗された。以降、中世には伊予国の守護である河野氏、近世には松山藩主の加藤氏によって庇護を受け、栄えたという。




前面は七間全てに蔀戸が吊るされている

 現在に残る太山寺の本堂は、昭和29年からの解体修理で発見された蟇股の墨書銘より、嘉元3(1305年)に建てられた事が判明している。その際、地面から焼け跡も見つかっており、この本堂は創建より三代目の本堂であると考えられている。前述の通り、桁行七間、梁間九間と横幅より奥行きの方が大きい建物で、これはかなり異例だ。その建築様式は、全体的には日本古来の建築様式である和様を基調としているものの、鎌倉時代に宋より日本に伝わった禅宗様や大仏様を部分的に取り入れた、折衷様の仏堂となっている。このような折衷様の中世密教仏堂は瀬戸内沿岸に数多く見られ、瀬戸内の航路によって富を蓄え、また新しい技術が持ち込まれた、その背景を伺う事ができる。




軒下の本蟇股と出組
巻斗三個に対し、垂木を六本配する、六枝掛(ろくしがけ)の技法が見られる

 本堂軒下の組物は出組(でぐみ)であり、中備は正面が透かし彫りの施された本蟇股(ほんかえるまた)で、側面と背面は間斗束(けんとづか)である。外回りの建具は、前面には和様の蔀戸(しとみど)が、それ以外には禅宗様の桟唐戸(さんからど)が入れられている。内部の構造は、中央の五間四方が身舎(もや、建物本体のこと)であり、そのうち手前側の桁行五間、梁間二間を外陣、奥側の桁行五間、梁間三間を内陣とする。さらにそれらを取り囲むように、外々陣と脇陣、後陣が配されるという、極めて壮大かつ特異なものだ。鎌倉時代になると、民衆にも仏教が浸透し、巡礼者の数も増加した。より多くの参拝者を収容可能とすべく、外陣部分を広く取る平面にしたと考えられる。




側面より太山寺本堂を望む
蟇股が置かれた巨大な妻面が印象的だ

 中世密教仏堂の典型通り、菱欄間と格子戸によって外陣と内陣の間が仕切られている。外々陣には虹梁(こうりょう)が架けられているが、その虹梁が柱と交差して作る木鼻の部分には、大仏様の繰型(くりがた)が見られる。また、虹梁を支える肘木は挿肘木(さしひじき)であり、これもまた大仏様の特徴だ。天井は、建物の周囲一間のみ垂木をそのまま見せる化粧屋根裏であり、それ以外は小組天井とし、また身舎部分は支輪で一段高く持ち上げている。床は内陣のみ床を張らない土間とし、それ以外の部分は床を張るが、これは天台密教の仏堂に多い形式だ。また、仏像を納める厨子は土間に築かれた土壇に乗るが、これは当時の密教寺院としては非常に珍しいものである。

2010年03月訪問
2011年06月再訪問




【アクセス】

JR予讃線「伊予和気駅」より徒歩約40分。
伊予鉄道高浜線「三津駅」より徒歩約40分。
伊予鉄道高浜線「三津駅」より伊予鉄道バス「三津ループ線」で約10分「太山寺バス停」下車より徒歩約5分。

【拝観情報】

境内自由。

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