―萬福寺 大雄宝殿、法堂、天王殿―
まんぷくじ だいおうほうでん、はっとう、てんのうでん
京都府宇治市 国宝 2024年指定 ![]() 平安時代に貴族の別荘が置かれていた宇治市中心部の北方、宇治川の東側に伽藍を構える黄檗山(おうばくさん)萬福寺は、臨済宗及び曹洞宗と並ぶ禅宗の一派である黄檗宗の大本山である。江戸時代前期に中国から渡来した隠元隆g(いんげんりゅうき)が四代将軍徳川家綱を大檀越として寛文元年(1661年)に創建したもので、現在も当初からの建造物が群として残っている。その異国情緒漂う伽藍は日本の社寺建築手法に中国由来の意匠や形式を融合した独自の様式を呈するものであり、また建築のみならず芸術や生活文化など全国に影響をもたらした黄檗文化を象徴する存在として極めて価値が高いことから、伽藍の中核を成す「大雄宝殿」「法堂」「天王殿」の三棟が国宝に指定された。 ![]() 萬福寺の伽藍配置は中国福州の萬福寺に倣ったと考えられている
隠元は明末期から清初期にかけて、福建省の古刹である黄檗山萬福寺の住持を務めていた高僧である。長崎の在留唐人から崇福寺の住持として招請され、承応三年(1654年)に多くの随僧を伴い来日した。万治元年(1658年)に将軍家綱へ謁見し、その翌年には幕府によって黄檗宗の布教が公認された。隠元は戒律を重んじる厳格な儀式を移入し、黄檗清規(しんぎ、黄檗僧の守るべき規則)を制定するなど停滞していた仏教界に新たな影響を与えた。また隠元は最新の中国文化を日本にもたらした。書画などの芸術、インゲンマメやレンコン、スイカなどの食材、普茶料理や卓袱料理食、煎茶といった食文化、明朝体や原稿用紙の体裁など幅広い分野に及び、それらは萬福寺を拠点に全国へ普及した。 ![]() 他の近世寺院には見出せない中国由来の意匠がふんだんに盛り込まれている
萬福寺の境内は小高く聳える高峯山の西麓、緩やかな傾斜地に西面して伽藍を構えている。その造営は万治三年(1660年)に始まり、寛文二年(1662年)に法堂が竣工、翌年に祝国開堂の儀が執り行われた。寛文八年(1668年)には大雄宝殿と天王殿が竣工し、その後も伽藍の造営は続き延宝七年(1679年)に完成を見た。寺域の西端に総門を開き、中軸線に沿って放生池、三門、天王殿、大雄宝殿、法堂、威徳殿が並ぶ。主要伽藍の三棟を左右対称の廻廊が囲み、その南北に接して諸堂を配す構成だ。これら萬福寺の建造物は群として創建時からの境内景観を留めており、国宝に指定された三棟以外にも萬福十六棟(附九棟)、萬福寺松隠堂七棟(附八棟)が重要文化財に指定されている。 ![]() 主要伽藍三棟のうち最も手前、一段高い石垣の上に建つ「天王殿」
「天王殿」は諸尊を祀る仏堂としての機能に加え、主要伽藍へと入る中門としての機能を併せ持つ。中国では一般的だが日本では黄檗宗にのみ見られる堂宇である。桁行五間、梁間三間、屋根は本瓦葺の入母屋造、軒は二軒疎垂木。前面の一間を瓦四半敷の吹放ちとし、左右の廻廊と接続するのは三棟に共通する特徴だ。石垣上の縁には×型の組子を入れた襷掛の高欄を回している。堂内は中三間を瓦四半敷にして中央に須弥壇を据え、正面には布袋姿の弥勒菩薩像、背面には韋駄天像を祀る。両端間は三和土(たたき)の土間とし、台座上に四天王像を安置する。柱のうち中央二本は下部鉄輪巻の円柱を太鼓形礎盤に立て、他は上部粽付下部鉄輪巻としたチーク材の唐戸面取角柱を角形礎盤に立てている。 ![]() 主要伽藍の中心にそびえる「大雄宝殿」は萬福寺の本堂にあたる
正面には石造の月台(げつだい、行事の際の参列スペース)を備えている 「大雄宝殿」は全面的にチーク材を用いて築かれた日本で唯一の歴史的建造物である。屋根は本瓦葺の入母屋造であり、身舎の軒下に庇状の裳階(もこし)を巡らしている。身舎は桁行三間、梁間三間であり、軒は身舎が二軒扇垂木、裳階が二軒繁垂木である。大棟の中央に火焔宝珠を載せているのは萬福寺ならではだ。堂内は瓦四半敷の一室とし、身舎の背面柱筋中央間を来迎壁で仕切り、壇上積の須弥壇を据えて本尊の釈迦如来坐像と脇侍の摩訶迦葉(まかしょう)立像、阿難陀(あなんだ)立像を祀る。また両側面の裳階内には十八羅漢像を安置する。柱は上部粽付下部鉄輪巻の唐戸面取角柱を角形礎盤に立てて貫で固め、そのうち側柱の外側は尾垂木二段の三手先、内側は二手先を詰組に置く。 ![]() 大雄宝殿の背後に位置する「法堂」は住持が説法を行う堂宇である
写真は2009年のものなので桟瓦葺きだが現在は杮(こけら)葺に復元されている 「法堂」は桁行五間、梁間六間。屋根は入母屋造であり、近代以降は桟瓦葺であったが、近年実施された修理によって建立当初は杮葺であったことが判明し、当初の姿に復元された。軒は一軒の疎垂木であり、石垣上には卍崩しの高欄を回している。堂内は瓦四半敷の一室で、背面入側柱筋の中央間を来迎壁で仕切り須弥壇を据える。柱は面取角柱を角形礎盤の上に立てている。なお法堂と大雄宝殿の吹放ち部分は黄檗天井とも呼ばれるアーチ状の蛇腹天井であるが、これは中国の天井様式を取り入れたものと考えられている。これら萬福寺の堂宇は中国由来の意匠が色濃いながらも唐人大工の関与は見られず、日本人大工が自らの技術をもって築き上げた極めて独創的な寺院建築と言える。 2009年11月訪問
【アクセス】
・JR奈良線、京阪電鉄宇治線「黄檗駅」から徒歩約5分。 【拝観情報】
・拝観料:大人500円、小中学生300円。 ・拝観時間:9時〜17時(入場16時30分まで)。 【参考文献】
・「月刊文化財」令和7年2月(737号) ・黄檗宗大本山萬福寺 ‐京都府宇治市 ・萬福寺 大雄宝殿|国指定文化財等データベース ・萬福寺 法堂|国指定文化財等データベース ・萬福寺 天王殿|国指定文化財等データベース 【関連記事】
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