遍路7日目:二軒屋駅〜道の駅 ひなの里かつうら(23.7km)






 目が覚めてからもベッドの上でだらだら過ごし、9時近くになってからようやくザックを担いで宿を出た。遍路としてはあまりに遅い殿様出勤ではあるが、せっかく部屋を取ったのだから、限界まで粘りたいものだ。

 というのも、今日はどこまで行くべきなのかがハッキリしている。この先、第20番札所の鶴林寺は本格的な登山が必要な山の上にあるので、今日はその麓までたどり着ければ良いのである。その距離、およそ20km。道も平坦な舗装路ばかりなようで、遅めに出発しても割と余裕な気配なのだ。のんびりまったり、体に疲れをためないペースで行くとしよう。


徳島市の旧道をひたすら南下する


田畑の中に住宅街が連なる、典型的な郊外といった雰囲気である

 二軒屋駅から県道136号線を1時間程歩いて昨日の終点へと戻り、そこから引き続き遍路道を南下する。

 途中で線香が切れていたことを思い出し、開店したばかりのドラッグストアで購入しておいた。線香やローソクは各霊場でも一束100円とかで売っているが、量販店で買う方が比較にならないほど安いのだ。

 旧道らしい住宅街の道をさらに進むこと約1時間、徳島市を抜けて小松島市に入ると同時に、遍路道は交通量の多い国道55号線と合流した。


勝浦川に架かる橋を渡る


ここからしばらくは国道55号線を歩く

 はっきりいって国道は嫌いである。トラックなどの大型車が多くて危ないというのもあるのだが、どこまでも真っ直ぐに作られており、同じような景色が延々と続くので退屈極まりないのだ。車で通り過ぎるのは一瞬でも、歩きだとその何十倍もの時間、ほとんど変わらぬ景色を見続けることになる。

 とはいえ、国道ならではのメリットもある。お店が多いということだ。特に複合商業施設はたいていのものが安く手に入るのでありがたい。この国道55号線沿いにもルピアという大型ショッピングセンターあったので、twitterでフォロワーさんからオススメされていたエアーサロンパスを購入した。


そしたら、色々な試供品をつけてくれた

 エアーサロンパスを一本買っただけなのだが、店員さんがこれもどうぞと湿布と栄養ドリンクの試供品をオマケでくれた。このような量販店でもお接待して頂けるとは……遍路に対する人々の温かさは想像以上のものである。

 さてはて、ショッピングセンターを出てしばらく南へ進んでいくと、遍路道は国道と並走する旧道へと入っていった。その道中に「弘法大師 お杖の水」という水場が存在するようなので、立ち寄ってみた。


例のごとく、空海が掘り当てたという水源だ

 弘法大師がこの地を通りかかった際に水を欲したものの、この付近の土地は塩交じりの水しか湧かず、飲用には不適当であった。不便に思った弘法大師は杖を突いて水源を探し、真水の湧く井戸を掘り当てたといういつもの伝説だ。

 現在はステンレスの蓋が被せられているが、開けてみるとちゃんと水を湛えていた。おあつらえ向きに柄杓も添えられているが……スミマセン、さすがにこの水を飲む勇気はありませんでした。周囲が森林とかならいざ知らず、水田とか住宅に囲まれているのでは、ねぇ……。


国道からさらに離れ、レトロな風情の道を行く


こういうさりげない応援が、意外と嬉しい

 やはり、国道よりもこういう旧道の方がほっとする。昔から地域の人々によって使われてきたのだろう、道端には石仏や石造の道標が残っていたり、通りに面して神社の鳥居が立っていたりする。集落もまた道に沿うように形成されており、歩いていて地域との距離が近く感じられるのだ。

 国道がより早くその地域を通過するためのものであるのに対し、旧道は昔から地域に根付いてきた、温かみのある道である。


12時を周った頃、第18番札所の恩山寺に到着した


山門から未舗装の参道を登っていく


恩山寺の伽藍は山の中腹に広がっていた

 石段の上に鎮座する本堂にお参りし、続いて石段下の大師堂でもお参りを済ます。納経所で朱印を貰ってから境内を出ようとしたところ、ふと境内の入口にたたずむ鐘楼に目が留まった。ちょうど一人の遍路が鐘を突いていたところで、厳かながらも落ち着く鐘の音が境内中にこだまする。

 そういえば、お参りの際に鐘を突いている遍路も多い。私もまた鐘を鳴らしてみたくなったので、なんとなく綱を握って撞木を振るう。深く沈んだ音が梵鐘の中から発せられ、しばらく反響したのち尾を引くように消えていった。

 素晴らしい音色に満足した私は、ウキウキ気分で境内を後にする。――とその時、突然背後から声を掛けられた。驚いて振り返った私に、一人のおばちゃん遍路がマジメな顔をしていう。「ダメじゃない、あなた」と。意味が分からなかった私は、たぶん鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたことだろう。おばちゃん遍路はさらに言葉を続ける。「あなた、お参りした後に鐘を突いたじゃない。それはやったらダメなことなのよ」

 なるほど、どうやら私は参拝の作法に違反してしまったらしい。なんでも、鐘を突くのは参拝の前でないとならず、参拝の後に鐘を突くのは“戻り鐘”といって、非常に縁起が悪いとのことだ。橋の上で杖を突いていた時も注意されてしまったが、今回もまた同様に無知を露呈してしまったというワケである。

 少しヘコみながら恩山寺を出ようとしたところ、カメラのレンズキャップが行方不明なことに気が付いた。カメラバッグをひっくり返しても見当たらない。お寺に入った直後にはまだあったはずだから、参拝の最中に落としてしまったのだろうか。

 私は慌てて境内に戻り、30分ほど探し回ったもののレンズキャップは見つからず。がっくりとうなだれベンチに座り込むと、ポケットのあたりに何やら固いものがあった。取り出したそれは、それは散々探していたレンズキャップである。先程の戻り鐘のこともあって、ドッと疲れが溢れ出た瞬間だ。


気を取り直して行こう
恩山寺からの遍路は、竹林の未舗装路であった


細い畑の道を行き、再びアスファルトの道路となる


途中には「お京塚」と呼ばれる小堂があった

 なんでも、この先の第19番札所、立江寺(たつえじ)は“阿波の関所”と称されてきたそうだ。その由来は、ここに祀られているお京という人物にある。

 江戸時代後期、大坂で芸妓をしていたお京は要助という人物と駆け落ちし、郷里の石見国浜田(現在の島根県浜田市)に戻って結婚した。しかしお京はいつしか鍛冶屋長蔵と密通し、共謀して要助を殺してしまう。讃岐国丸亀へと逃げてきた二人は四国遍路を始めるものの、立江寺の本尊である地蔵尊を拝もうとしたその際、突如としてお京の髪が逆立ち、鉦の緒に巻き付いて取れなくなってしまったという。二人がこれまでの悪行を住職に懺悔すると、髪は元に戻ったそうだ。改心した二人はこの場所に庵を結び、死ぬまで地蔵尊を念じたという。

 このホラー映画も真っ青な伝説により、立江寺は不逞の遍路を取り締まる関所として知られるようになった。享和3年(1803年)に納められた「お京の鉦の緒」は寺宝として立江寺に残っているという。


お京塚から15分足らずで立江寺に到着である


本堂は床がやけに高い不思議なお堂だ
昭和49年(1974年)に火事で焼失し、昭和52年(1977年)の再建とのこと

 果たして私は不逞の遍路と判定されないだろうか。少し緊張しながらお参りをしてみたが、普段の素行が良かったのか髪が逆立つことはなかった。……もっとも、丸刈りの私には逆立つ髪もないのだが。

 なにはともあれ、参拝と納経を無事済ませた私は、早々に立江寺を辞去して先を急いだ。恩山寺で時間をロスしてしまったこともあって、若干押し気味なのだ。既に時間は15時半。今日の目的地である勝浦町の生名まで約10km。日が暮れるまでに辿り着かなければ。


強い日差しの中、田園地帯を西へ向かって突き進む


喉が乾いたので、大塚製薬のMATCHで水分補給だ

 徳島県には大塚製薬の自販機がやたらと多い。遍路を始めてから知ったのだが、徳島県は大塚製薬のお膝元なのだそうだ。地元なのだから、自販機が多いのも納得である。

 大塚製薬の飲み物と言えば、私はMATCHが好きでよく飲んでいる。MATCHはオロナミンCをポカリスウェットで割った製品とのことで、確かに味もそんなような感じだ。ビタミンドリンクとスポーツドリンクの良さを兼ね備えた、遍路にピッタリな飲み物といえるだろう。

 自販機で買ったばかりの冷えたMATCHをゴクゴクやりながら、水田地帯を西へ西へとただひたすら歩いていく。


田んぼに浮かんだような家があった


平地から山間へと入り、水田の景色も変わっていく


勝浦町に入り、勝浦川沿いの道に出た

 この勝浦川の光景は、なんとなく見覚えがあるような気がした。それもそのはず、ここはちょうど一年前、勝浦川の上流に位置する上勝町の山間に広がる「樫原の棚田」を見に行く際、バスで通った道なのだ。

 昔ながらの道なのであろう県道は歩道が狭くて行き交う車が少し怖いが、通りに沿って連なる町並みの雰囲気は悪くない。


所々に古い町家が残っており、なかなか趣深いのだ

 家々を眺めながら歩いていると、向かいから来た男の子に「こんにちは!」と元気良く挨拶された。続いてやってきた女の子もまた「こんにちは」と挨拶してくれる。どうやら勝浦町では、遍路には挨拶をしましょうと指導しているようだ。

 私は人とすれ違う際、なるべく「こんにちは」と挨拶するようにしている。無視されることも少なくないのだが、しかしこの町の子供のように元気よく挨拶を返してくれるのは、なんとも気持ちが良いものだ。

 気分良く歩いていると、「お兄さん!」と威勢の良い声が掛かった。何事かと振り向くと、農産物直売所からおじさんが小走りで出てきて、「これ、持っていってよ!」と満面の笑みで私にイチゴのパックを差し出した。


ぷりっぷりの、実においしそうなイチゴである

 思わぬお接待に、私は感極まって泣きそうになった。ここまで直球のご厚意を受けると、人は心を激しく揺さぶられるものなのである。私は何度も謝辞を述べつつ、お礼代わりの納め札を渡し、イチゴのパックを受け取った。

 日が傾きかけた18時過ぎ、私は生名地区に到着した。勝浦町の中心部である生名は、次の札所、鶴林寺への登山道入口に位置している。今日はこの生名にある道の駅で野宿をしようと考えていたのだ。

 実際に道の駅を訪れてみると、その駐車場の片隅には遍路小屋が建っていた。遍路小屋とは、歩き遍路の為に各所に建てられている休憩所のことだ。あくまで休憩用の施設なので、四方が吹きさらしで宿泊には不適当であったり、遍路小屋によっては宿泊お断りのところも少なくないが……。


勝浦町の遍路小屋は、間仕切りがある上――


なんと、布団まで用意されていた!

 これには本当に驚かされた。宿泊禁止どころか、どうぞここで寝てくださいといわんばかりに布団一式が用意されていたのだ。道の駅の人、あるいは近所の人が定期的に干しているのだろう、布団もキレイな状態に保たれている。

 いはやは、なんてアットホームな町なんだ。子供たちは挨拶してくれるし、イチゴを頂いたおじさんも気持ちの良い人だったし、さらには宿泊場所まで提供してくれるとは。ここまで遍路に優しい町はそうないぞ。人口5000人強という小さな町ではあるものの、勝浦町の名前は私の心に深く刻み込まれた。